医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

ブログ

2025/10/23
①医師の不勉強

  これは良くない。

  そもそも論。

  できて当たり前。

  その延長線で、若かりし時、休むことを悪と学んだ。

  今まで、そう生きてきた。

  休めば、勉強時間が少なくなるからである。

②医師の休暇

  そろそろ、時代が変わってきたようだ。

  働き方改革で休んでもいいことになった。

  ありがたいことである。

  祖父母・両親は、かつて言った。「無休で我慢して頑張って働けば、いつか必ずいいことがある」と。

  患者は言った。「医者に休みはない」と。「病気に休みがないのだから」と。

③医師の診察時間

  昔から、3時間待ちで3分診療は当たり前だった。

  ある患者が、2時間待ちの2分診療に苦言を呈した。

  その対策として、有給休暇をとって特別診察を組んで、90分の診察をした。

④短時間の患者診察

  制限時間がある以上、医師の思考能力や処理能力が十分発揮されないおそれがある。

  患者満足度は大丈夫か?・・・それに見合った仕事をしているのか?

  よく考えたい。無理なら、患者診察から撤退する勇気が必要である。

2025/10/22
死生学ってなんだろう

 46歳から終活を始めた小生。
 かつて終末期ケア専門士試験を受けて、医学以外のこともいろいろ勉強しました。

みなさん、「死生学(しせいがく)」という言葉を聞いたことがありますか?

 文字通り「死」と「生」を学ぶ学問です。

 人は誰でも生まれ、そしていつか必ず死を迎えます。

 この避けられない現実と向き合い、「どう生き、どう死ぬのか」を考えるのが死生学です。

 たとえば、学校での勉強は「進学や将来の仕事」に役立つかもしれません。スポーツや趣味は「楽しい時間」をつくってくれます。

 でも、死生学はもう少し根本的なテーマに迫ります。「人はなぜ生きるのか」「死ぬとはどういうことか」といった、大きな問いを扱うのです。

死を考えることは生を考えること

 「死について考えるなんて怖い」と思う人もいるでしょう。でも、死を避けずに見つめることで、むしろ「生きることの意味」が浮かび上がります。

 たとえば、もし自分の人生が無限に続くのなら、今日という一日を大事にしなくてもよいかもしれません。しかし寿命が限られているからこそ、「誰と過ごすか」「どんなことをやりたいか」を真剣に考えられるのです。

 哲学者の中には、「死を意識することが、生を豊かにする」と語る人もいます。つまり、死は単なる終わりではなく、私たちに「生きる力」を与える存在でもあるのです。

終末期ケアと死生学

 小生は、医療現場で、終末期、つまり人生の最終段階にいる人を支える仕事をしています。そこでは、「もう治せない病気」とともに生きる人がたくさんいます。その人たちにとって大切なのは、「あとどれだけ生きられるか」よりも「残された時間をどう生きるか」です。

 ある患者さんは、最後まで家族と一緒に過ごすことを望みました。別の患者さんは、できるだけ自然に最期を迎えたいと希望しました。こうした選択には正解はなく、一人ひとりにとって大事な価値観があります。死生学は、こうした「生と死の意味」を尊重し、人それぞれの生き方・死に方を考えるための学問です。

 若いみなさんにとって、「死」はまだ遠いものに感じられるかもしれません。でも、身近な人との別れや大切なペットの死を経験することもあるでしょう。そのときに悲しみを受け止めながら、「なぜ自分は生きているのか」「これからどう生きたいか」と考えることは、決して早すぎることではありません。

 死生学は、特別な人のための学問ではなく、誰にでも必要な視点です。もし日常の中で「生と死」について考える時間を少しでも持てたなら、きっと自分の人生がより豊かに感じられるはずです。

 小生、56歳。現在、終活第4幕の途中。院内職員向けに文集を3回発行しました。時間を大切にして、無駄な時間を作らないように、心がけています。

2025/10/21
こんなのあり? 常勤医師の長期不在

 介護施設で看護師が薬処方か、医師不在届けず報酬受給も (8/31配信)

 職員による入所者への虐待が判明した千葉県成田市の介護施設で、本来は医師がすべき薬の処方を看護師の判断で行っていた疑いのあることが31日、共同通信が入手した音声データや複数の元職員の証言で分かった。保健師助産師看護師法などに違反する可能性がある。配置が義務付けられている常勤の医師が長期間不在だったのに、介護報酬を不正に受け取っていた疑いも判明した。内部告発を受けた千葉県が調査している。この施設は、医療的ケアが必要な高齢者が入所する介護医療院が運営している。

 法人は取材に対し、看護師による処方は否定。医師の長期不在は認めた上で「行政への報告を失念していた」としている。ただ内部資料や元職員によると、施設では少なくとも昨年11月から今年2月まで、現場責任者の看護師が自分の判断で薬の処方箋を作成。それに基づき入所者に薬が与えられていた。この看護師が点滴など医療行為を指示することもあったという。

 ここだけの問題ならまだしも・・・。違法性のあることは、行政が取り締まらないと、正直者がバカをみるぞ。

2025/10/20
低価値医療・無価値医療って?

 患者にほとんど又は全く健康改善効果をもたらさない医療を指すという。

 こうした医療を減らすことで、過剰な検査や治療を防ぎ、不要な医療費を抑制し、医療資源(財源や人材)をより有効な医療サービスに振り分けることができる。

 しかし、どのような医師が低価値医療・無価値医療を提供する傾向があるのかについては、これまで十分な根拠がなかった。

 検査漬けという批判的な意見はよく聞かれた。一方で、検査不足で不幸な転機を辿ったという結果論も時々聞かれた。

知っておきたい「低価値医療」と「無価値医療」― かしこく医療とつきあうために ―

 病院に行くと「せっかく来たんだから、検査をしてほしい」「薬をもらわないと安心できない」と思うことはありませんか。私たちの多くは「何かをしてもらうこと=安心」と感じやすいのです。けれども、最近、医療の世界では「低価値医療」「無価値医療」という言葉が注目されています。これは、医療を受ける私たちにとっても無関係ではありません。あまり耳慣れない言葉ですが、ちょっと説明してみましょう。

低価値医療ってなに?

 低価値医療とは、「やっても効果がとても小さい医療」のことです。例えば、風邪をひいて病院に行ったときに抗生物質を処方される場合があります。でも、風邪のほとんどはウイルスが原因なので、抗生物質は効きません。むしろ副作用や耐性菌の問題を起こしてしまう可能性があります。つまり、「効かないわけではないけれど、得られる利益よりも害やコストの方が大きい医療」が低価値医療です。

無価値医療ってなに?

 無価値医療とは、読んで字のごとく「やっても全く意味がない医療」のことです。例えば、医学的な根拠がない検査や必要のない点滴などがあります。患者さんにとって利益がないばかりか、かえって害を与えることもあります。

なぜ残ってしまうの?
 どうして、こうした医療が現場に残ってしまうのでしょうか。理由はいくつもあります。「安心したい」という患者さんの気持ち、医師の「念のためにやっておこう」という心理、医療制度の仕組みなど。決して「誰かが悪い」という話ではないのですが、その結果、限られた医療資源が本当に必要な人に届きにくくなってしまうのです。

医療費と私たちの未来

 日本は世界一の長寿国です。年々、医療費はふくらんでおり、年間40兆円を超え、今後ますます増えると予想されています。低価値医療や無価値医療を減らすことは、「医療費削減」だけが目的ではありません。むしろ「本当に必要な人に、必要な医療を届ける」ための工夫なのです。

海外の取り組み「Choosing Wisely」

 海外では「Choosing Wisely(賢く選ぼう)」というキャンペーンが広がっています。学会や専門家が「やらなくていい医療行為リスト」を発表し、患者と医師が一緒に考える仕組みを作っているのです。日本でも「軽い腰痛でいきなり画像検査はしない」「風邪に抗生物質は出さない」などの提案が始まっています。

患者としてできること

 ずばり、医師に質問してみることです。「この検査は私に必要ですか?」とか、「この薬のメリットとデメリットは何ですか?」とか。質問することは決して失礼ではありません。むしろ、医師にとっても患者と一緒に考えるきっかけになります。また、薬や検査をしてもらえなかったときに「手抜きされた」と思うのではなく、「必要のないことを避けてもらった」と受け止める視点も大切です。

生活をより良くする医療へ

 医療の目的は「長生き」だけではなく、「より良く生きること」です。余計な検査や治療に時間やお金をかけることより、生活習慣を整えることや安心して過ごせる環境をつくることが、むしろ健康につながる場合も多いのです。無駄な医療を減らすことは、患者の安全を守り、未来の医療制度を持続させるための大切なステップです。

最後に

 低価値医療や無価値医療は、少し難しい言葉ですが、要するに「しない方がいい医療」のことです。私たちが医師と一緒に考え、必要な医療を選び取ることが、安心できる医療を守ることにつながります。してもらう」ことに安心を求めるのではなく、「必要なことを選んでもらう」ことに安心を感じられる社会へ。そんな意識の転換が、これからの日本の医療を支えていくのかもしれません。

 SDM(シェアード・ディシジョン・メイキング)という、患者さんが自分の治療を選ぶ方法として、協働意思決定というものがあります。 SDMは、患者さんと医療者が協力して治療法を決定するプロセスです。ともに考えていく医療を実現したいものです。

2025/10/19
ぬるい夢

 知人二人と風呂に入っている。
 ところが、風呂がぬるい。
 知人二人ともぬるいと訴えている。

ChatGPT:夢判断

夢の要素と意味の手がかり

 風呂(入浴):心身を浄化し、リフレッシュする場面の象徴。人間関係では「素の自分をさらけ出す場面」「安心・くつろぎの場」を表すこともあります。

 ぬるいお湯:十分に温まらない=「満足感が足りない」「物足りなさ」。現実での人間関係や仕事の取り組みに「熱意や充足が不足している」感覚を反映する場合があります。

 知人二人と一緒:周囲の人との「共有された感覚」を表す。その二人も「ぬるい」と訴えていることから、自分だけでなく周りも同じ違和感を感じている、という共通体験が象徴化されています。

総合的な夢判断

 この夢は、あなたが現在関わっている人間関係や仕事の場面で、「安心できる環境にあるはずなのに、どこか物足りない・温まりきらない」という気持ちを投影している可能性があります。

 また、「知人二人も同じように訴えている」というのは、→ 自分だけの違和感ではなく、周囲も似たように感じているのでは?という無意識の推測や共感を映しているのかもしれません。

2025/10/18
この涙は本当か? 2025/8/22の放送

 金正恩総書記の目に涙。北朝鮮はロシアで戦死した兵士らに初めて勲章を授与。

 総書記が見守る中、飛行機から続々と運び出されるのは、戦死した兵士が収められているとみられる棺。

 ウクライナ侵攻を続けるロシアを支援するため派遣した兵士らに「英雄」の称号と勲章を授与されている。

 総書記は演説で「軍が成し遂げた勝利は世界戦争史の事変になる」と称賛し、「軍事力の最新鋭化と最強化を進め、戦争準備を完成させなければならない」と強調した。

 多数の戦死者が出ていることへの不満を抑える狙いがあるとされる。

 トランプ大統領がここに登場できないのかなあ?
 他力本願はよくないと言われるが、ここは大国のトップしか解決できないと思う。
 小国の一国民が叫んでも、何の役にも立たない。
 小生では何もできない。無力である。

2025/10/17
無知の恥

 厚生労働省が2024年10月に公表した「日本人の食事摂取基準(2025年版)」から、ベジファーストに関する記述がなくなった。ベジファーストとは、野菜を先に食べることで食事による血糖値の急上昇を抑え、糖尿病予防やダイエット効果があるとされている食事法。しかし、ベジファーストは時間をかけてやらないと意味がないという。

エビデンスが限定的であることがきっかけ
 「野菜を先に食べることで食後の血糖値上昇を抑える」という研究結果は存在する。

 ただし、それらは対象が限られた少人数の短期的な実験に基づくもので、幅広い人々に当てはまる普遍的な根拠とは言い切れないという。高齢者や肥満・糖尿病患者などにも同じ効果があるとは確認されていないという判断から、ガイドラインへの掲載は見送られたそうだ。

 野菜を先に食べる習慣を、野菜を確実に食べる習慣として置き換えたらどうかな。
 ヘルシーだと思うけどなあ。

2025/10/16
56歳の夏

 プライマリ・ケア医(総合診療医)を目指してやがて20年。
 活躍できたかどうかは、よくわからない。
 しかし、いい参考情報を思い出した。
 医療崩壊を回避するヒントになるかもしれない。

夕張市の医療 ~縮小が示した未来像~

 財政破綻から十八年。北海道夕張市の医療は、いまも全国の注目を集めている。かつて171床を誇った市立総合病院は、破綻を機にわずか19床の有床診療所へと縮小された。全国が「医療崩壊の象徴」と騒然となったのは記憶に新しい。

 しかし、その後の歩みは単なる失敗談ではない。むしろ夕張は、超高齢社会の医療の在り方を先取りした「実験場」として位置づけるべきだ。病床を大幅に減らした一方で、夕張はプライマリーケアを核に在宅医療と介護を統合した。救急や急性期は広域の基幹病院に託し、地域には暮らしを支える日常医療を残す。結果として、在宅看取りや慢性疾患の継続ケアが地域に根づいた。医療の中心を病院から家庭へ移すモデルが、財政難の中で実現されたのである。

 もちろん課題は少なくない。冬季の搬送リスク、人材不足、財政の脆弱さは今も続く。だが夕張の経験が示したのは、病院の規模やベッド数だけでは医療の持続性を測れないという厳粛な事実である。

 全国の地方都市は、人口減と高齢化の波に直面している。すべての地域が大規模病院を抱えるのは非現実的だ。地域包括ケアを基盤とし、広域搬送体制を組み合わせる。そのうえで、財政と人材の持続性をどう確保するか。夕張が歩んだ道のりは、私たちが避けて通れぬ問いを突きつけている。

 「破綻の町」を特殊例と片付けてはならない。夕張の試練と挑戦を自らの地域に照らし合わせ、持続可能な医療の設計図を描くこと。それこそが、医療崩壊を防ぐ最善の道である。

2025/10/15
秋丸機関(あきまるきかん)

 1939年9月、ノモンハン事件や第二次世界大戦の勃発を背景に、日本の陸軍省経理局内に設立された経済研究組織。正式名称は「陸軍省戦争経済研究班」。であり、秋丸次朗中佐(のちに大佐)が主導したため、「秋丸機関」と呼ばれる。

 この機関は、各国の経済力を詳細に分析するため、経済学者や官僚など一流の知識人を集め、主に日米開戦など大規模な戦争が経済的に可能かどうかを科学的に調査・報告した。その結果、英米との戦争には勝算がないという結論の報告書をまとめたものの、この報告は上層部に握り潰され、無視されたとされている。

なぞかけ①:
「秋丸機関とかけて、優秀な部下に耳を傾けない上司と解く。そのこころは?」
→「どちらも、正しい分析や意見が無視され、結局大きな失敗につながるでしょう。」

 秋丸機関は、鋭い分析に基づく重要な報告を出したにもかかわらず、当時の上層部がその報告に耳を傾けなかったため、日米開戦という破局的な選択がなされてしまった。これは、優秀な部下の意見を聞かない上司が大きな失敗を招く構図と重なる。

 そこで、現代の日本で進む病院の赤字化――つまり、医療現場の現実的な不安・問題点について、経営層や政治の現場が十分に耳を傾けないまま改善策を見失いつつある状況は、「秋丸機関のなぞかけ」と見事に重なる。

なぞかけ②:
「病院の赤字化とかけて、秋丸機関の報告書と解く。そのこころは?」
→「どちらも、現場からの切実な警告やデータが上層部に無視され、やがて取り返しのつかない結果を招くでしょう。」

 現場の医療従事者の声や、経営データをもとにした専門家の警告を活かさず、見たくない現実から目をそらしている限り、病院はじわじわと赤字に沈み、社会全体の健康や安心が損なわれる――まさに戦前日本の悲劇と、今の医療現場の危うさがリンクしている。

 この皮肉には、「同じ過ちを繰り返すのか」という痛烈な批判がこもっている。

2025/10/14
室町時代の後半 ~日野富子(八代将軍足利義政の正妻)の人物像~

ここにも尼将軍?
米の売買にも手を出す?

約500年前!現在の経済活動にも通じる手腕!

 近年の研究では、日野富子が「応仁の乱の黒幕」や「日本三大悪女」とされてきた従来の評価に再検証が加わり、善人あるいは少なくとも悪女とは言い切れない人物像が明らかになってきたという。

主な根拠は以下の通り。

 悪女説の根拠は史料の偏りや後世の評価という。もともと日野富子が「悪女」とされるのは、『応仁記』などの伝承や江戸時代以降の戯作などによるイメージの拡大解釈によるものが大きく、当時の実態を正確に反映しているとは限らない。

 富子が乱の元凶とされる構図(富子+山名宗全 vs 義視+細川勝元)は、近年の研究では事実とは異なる点が指摘された。山名宗全と義視の関係も実際には良好だったとの分析もあり、必ずしも富子が一方的に義視排除を企てた事実は認められない。

 富子が「金の亡者」「守銭奴」と言われた背景には、室町幕府自体の財政困難があり、やむなく自身が資産運用や蓄財に奔走せざるを得なかった側面もある。

 幕府の発言力や存続を保つため、財力を高めるのが不可欠だったともされ、「好き好んで」金に執着していたわけではないという指摘もある。

 応仁の乱の終結において、武力ではなく経済力や交渉力で混乱を鎮めた功労者であり、現代に求められるリーダー像と重ね合わせて高いマネジメント能力を評価する声も増えている。むしろ「終戦の功労者」「近代的な経済リーダー」と再評価されている。

 最新の歴史小説や研究において、家や幕府の安定、領民の保護といった大義に生きた人物として描かれることも多く、個人的な欲望や「悪」ではなく、時代背景の制約の中で必死に責務を果たそうとしたと理解されている。

 以上から、日野富子が「善人」とまでは断言できないが、近年の研究では、「偏った悪女イメージは否定されている。むしろ、有能な政治家・財政家として再評価されているというのが最新の通説という。

 フェイクニュースとファクトニュースをどのように情報収集して、いかに分析することが大事なんだよな。

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