ブログ
- 2024/09/25
- 2024/09/24
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院内雑誌「不東」発刊。
医師になって28年が過ぎた。
還暦に向かう「途次」。「旅枕」を重ねて、「不東」の精神で歩んできた。
高きものを羨ましく眺めつつ、「広耕深掘」を地道に貫いてきた。それは、「半実半夢」の境地!
これは本当だったのか?
現実だったのか?
夢ではなかったのか?
全く信じられない。それに、これだけの実績にまったく達成感を覚えない。
無欲だったからか?
無心だったからか?
価値観を覚えなかったからか?
それとも、操られていたからか? - 2024/09/23
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方丈記と災害
本年早々、元旦の16時10分、携帯がうめいた。そして、くらくらめまいがした。コンビニに買い物に行く途中であった。ああ、地震だ。
すぐに買い物を済ませ、病院に戻ってテレビを見ると大津波警報。能登地方。どうゆうこと?めでたい祝日に。よりによってこんなときに。
津波は低そうでよかったなあ。安堵感が漂う。
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その晩、方丈記を読み直した。何で方丈記って?日本三大随筆だからね。そして、災害の記録が鮮明に書かれている鴨長明の名著だからね。
以下、抜粋。
また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。
元暦1185年7月9日に起こった「文治地震」。マグニチュード7.4の大地震だったという。「土砂崩れ」「地割れ」「津波」「液状化」「建物倒壊」が発生したと描かれている。一日に20~30回も余震が起こり、3ヶ月続いたとも記されている。
そして、鴨長明は、世の人がしばらく前に起こった地震を忘れ、忘れたころにまた地震がやってきて、大きな被害を受けるのを繰り返してきたとも書いている。備えを怠らないようにという戒めなのか?
この文治地震は、元暦2年7月9日(1185年8月6日)の正午頃に発生した。壇ノ浦の戦いの約4ヶ月後に発生し、平家物語にもその記述が見られる。「この度の地震は、これより後もあるべしとも覚えざりけり、平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり」と。特に、京都での被害がひどかったようで、白河辺りの諸御願寺や京中の殿屋などで九重塔や九輪などが破損した。遠国においても被害が発生し津波があった。
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翌2日になって、被害状況が顕になった。津波はすでに来ていたのだ。お見舞い申し上げる。
令和6年の能登半島地震において、
お亡くなりになられた方々
深い哀悼の意を表します。
被災された方々
お見舞い申し上げます。
また、被災地域で医療提供や支援活動に尽力する医療関係者をはじめ、すべての皆さまに心から敬意と感謝を表します。
一日も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。
齋藤孝仁
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- 2024/09/22
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2024/9/22
2024/2/6夜間から2/7未明の出来事。思いもよらぬ夢をみた。
失職して無職になったので(理由不明)、旧職場の就職試験を机に向かって受けていた。
机から起立したとたんに、老いた理事長が出現して、丁寧にあいさつされた。(旧来の態度とは大違いであった。意外であった。不思議以外の何物でもなかった。)
今度は院長が出現して、「いつでも雇ってやる」と豪語された。旧来のデカい態度は変わらず、傲慢であった。顔が紅潮して、フグのような顔に見えた。(まるで小生を馬鹿にするような様子であった。)
小生は、自身の身分の低さを十分理解していた。いつもと違って全くムカつくことなく、なぜか素直に受け入れていた。(憤慨しない小生も、これまた意外であった。)
この夢をみた直後、思いもよらぬニュースが流れてきた。今思えば、「医療法人○○病院というより、むしろ宗教法人○○病院という」職場で働いていたことにようやく気付いた。
- 2024/09/21
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2024/9/21
ある出来事を境に、ブログを再開することにした。過去の悪夢はもう忘れよう。永遠に忘れよう。
小生は、正直言うと、しくじり先生、つまずき先生、落ちこぼれ先生、落第先生の経験者である。しかし、すべて現実だから隠す必要は全くない。
評価されずに、やむを得ず転職したこともあった(計3回)が、それももはや過去の話。記憶に残る厳しい宣告。1. つぶしが効かない!
(それでは使えない)
2. これ以上、医局にいる必要はない!!
(内視鏡医をやるな)
3.明日から来なくていい!!!
(判決だ、クビだ、出ていけ)小生の能力だから仕方ない。言い訳ができないので、そのまま受け入れた。妻子もいるなか、実際に失職して無職になったこともあったが、これでも生きていけた。運がよかったのだ。
(ちなみに、ある循環器科の先輩K医師が、「お前は明日からもう来なくていい」と教授に宣告されたというエピソードを耳にした。K医師は、ある外科教授の娘婿。結局、某大学の教授に就任したという。同じ宣告でも、教授就任と失職・無職。これって、身分の違い?と野蛮人の小生は妬んでしまった。)心機一転。「逆善*に努め、奇貨**とされるように」を意識して、「前進あるのみ」と誓った。そして、学び直そう。まだまだ未熟だから。全然、究められていないから。そして、いい夢をみよう。いつかきっと必ず、いい夢をみよう。
*藤原清衡の臨終(出典:吾妻鏡)
入滅の年に臨んで、俄に逆善を修し、百ヶ日結願の時に当たり、一病なく合掌して仏号を唱え、眠るが如く閉眼し訖んぬ。**奇貨可居(出典:史記 司馬遷)
子楚、秦諸庶孽孫、質於諸侯。
車乘進用不饒、居處困、不得意。
呂不韋賈邯鄲、見而憐之曰、
此奇貨可居。 - 2024/01/01
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2024/1/1 ブログ
謹賀新年 2024元旦
甘えている場合でない ~私は十分見えている~
2016年夏、右眼虹彩炎をきっかけにメンタル不調になり、対人トラブルにより失職。不本意ながら、無職になった。この時、車の運転も危険であり、日常生活にも支障があった。しかし、左眼はきちんと見えていた。
ショックも大きかったが、偶然、もっと厳しい環境にいる人々を知ることになった。そして、その人々の活躍を追いかけた。
大したことない些細な悩みに浸かっている小生自身を恥じた。まず、まんが「北斗の拳」に登場してくる「南斗白鷺拳・仁の星」シュウの生きざまは見事であった。ケンシロウを救うために己の光を失っても(自ら失明)、心の目を開いて戦い続け、平和をこよなく愛した。まんがとはいえ、心に沁みた。
次に、日本で有名な盲目のピアニストである辻井伸行(つじいのぶゆき)さんは世界的にも通用する。誰も疑わない一流である。ちなみに、夏川草介原作のベストセラー小説「神様のカルテ」(櫻井翔、宮崎あおい主演で2011年8月に映画化)は、地方医療の現場を題材にし、主人公(栗原一止)が医師として成長してゆく姿を描いた傑作。この映画のテーマ曲は、ピアニスト辻井さんによる書き下ろしだそうだ。辻井さんの過去のピアノソロ作品やオーケストラ版、吹奏楽版の編曲も加え、アルバム「神様のカルテ ~辻井伸行自作集~」および「神様のカルテ ~辻井伸行自作集 =SPECIAL EDITION=」が、2011年7月27日に同時リリースされた。
(アマゾンで発売されている) 竹下義樹(たけしたよしき)さんは石川県輪島市生まれ。中学3年の時、失明。大学在学中より視覚障害者の司法試験受験の実現を目指して運動を展開。点字受験の道を開き、昭和56年合格。盲目弁護士のパイオニア。京都法律事務所を経て平成6年独立(竹下法律事務所を設立)。生活保護など社会保障関係の訴訟を中心に活動。著書に「ぶつかって、ぶつかって。」があり、小生はすでに購読済である。
(小生、アマゾンで購入) かつて、記者会見している竹下さんをテレビで見た記憶がある。謙虚な態度であった。盲目で実務をこなしていくこれからに、緊張感を漂わせていた。
以下は、竹下法律事務所ホームページから引用させて頂いた。
「弁護士の活動は、決して人を助けるということではありません。医師は患者の病気を治すのではなく、患者自身が持ち合わせている快復力を助けるというのが医師の役割であるのと同様に、弁護士も依頼者自身が持ち合わせている力を引き出し、あるいは依頼者自身の決定に助力するのが本当だと思います。
しかし、そのためには弁護士自身が常に学習し、向上心を持ち続けていなければなりません。法律もどんどん改正され、国民のニーズも大きく変化しています。そうした社会の変化に対応するためには、学習とともに柔軟性も持ち合わせていなければなりません。
また、専門性が問われる時代になったことを思えば、これまでのようにオールマイティを目指すのではなく、得意分野をいくつ持てるかが問われているとも言えます。
そして、事務所を訪れる依頼者のニーズに応えるためには、複数の弁護士による対応も必要です。そうした弁護士としての責務を果たすには、個々の弁護士の努力だけでなく、つくし法律事務所全体としての力量が問われることにもなります。弁護士、事務員が一体となって依頼者が満足感を得られる事務所にしていきたいと思います。」ちなみに、現在、重度視覚障がいのある弁護士が6名いる。見事以外の何ものでもない。真似できない神業。脱帽。
そのなかで、全盲で司法試験に合格した日本で3人目の弁護士を紹介したい。
大胡田誠(おこだまこと)さん。先天性緑内障により12歳で失明。慶應義塾大学大学院法務研究科(法科大学院)修了。8年に及ぶ苦学の末に、2006年、(5回目のチャレンジで)司法試験に合格。2007年から渋谷シビック法律事務所に所属。2013年からつくし総合法律事務所に所属。一般民事事件や企業法務、家事事件(相続、離婚など)や刑事事件などに従事するほか、障がい者の人権問題についても精力的に活動している。(小生、アマゾンで購入) 最後に、カッコイイとは、ハンディキャップをはね退けて平静を保つことであろう。
そう考えれば、今でも小生は未熟である。くちばしが黄色く、尻が青い。今年も謙虚かつ勤勉に生きていくことを誓う。
ああ、忘れていた。おっちょこちょい。
今年の目標を書くのを失念してしまった。
今年の目標
1.患者目線・障がい者目線
一人前以上になれるポテンシャルを持った人もいるし、実際いた。だから、見習いたい。2.学会出席
コロナ禍が明けたので、現地に行って講演を聴講したい。3.福井に帰省
キャンピングカーをレンタルして、小旅行を楽しみたい。4.漢方医学
漢方を学び直す(漢方を学び、治す) - 2023/12/31
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大晦日
ゆく年くる年
今年も健康に過ごせました。すべてに感謝です。
皆に栄光あれ
齋藤孝仁
- 2023/12/30
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もう見たくない夢
突然、母校の大学病院に戻ることになった。しかし、暗い気分が付きまとっていた。
懐かしさを感じつつ、不安ながらに大学病院内を歩いていると、同級生T先生が教授になっており、廊下中央で笑顔で迎えてくれた。「よー、齋藤」って感じ。
また、同級生I先生が教授になっており、階段付近で笑顔で手を振ってくれた。「齋藤君~」って感じ。
ところが、その二人の先生を除いて、すれ違うすべての職員に無視された。何とも冷たい歓迎であった。暗雲立ち込める雰囲気であった。
小生の深層心理はいかに?
旧友二人(部活も同じ)は出世して立派になっている。
羨ましいけど、順当であったと思う。
そして、学生時代から小生にすごく優しかった。
一方、誰もが小生を相手にしてくれない理由がわからない。しかし、そもそも入局していた医局に当初から歓迎されていなかったのだろう。受けた扱いが心的外傷につながったのかもしれない。だから、心の奥底でいつまでも引き摺っているのだろう。
永遠に弱者かつ敗者・・・。小生はこれを受け入れている。もう忘れよう。あの過去を。
- 2023/12/29
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ビジネス実務法務検定3級
最近、興味本位で東京商工会議所主催のビジネス実務法務検定3級の試験を受けた。
自宅受験が可能になっており、IBT(Internet Based Testing)方式がある。IBT方式とは、受験者自身のパソコン・インターネット環境を利用し、受験する試験方式である。IBT方式では、新型コロナウイルス感染症への感染防止対策はもちろんのこと、自然災害(台風など)、鉄道・道路等の交通状況にも左右されることなく、受験できる。
受験前にカメラを通じて本人確認と受験環境の確認を行い、受験中は終始カメラを通じて試験監督が受験者を監視している。
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民法を勉強したばかり。ドリフの大爆笑に面白いコントがある。
仲本工事といかりや長介・・・宝くじの賞金の行方は?・・・この結末は意外な結果に!?
https://www.youtube.com/watch?v=KyA4f6rFyLwここから、心裡留保っていう専門用語が思い浮かぶ。
心裡留保(しんりりゅうほ)とは
本人の真意とは異なる内容を、本人が外部に表示することをいう。例えば、ある品物を買う意思がまったくないのに、冗談で「その品物を買います」と店員に言う行為が、この心裡留保に該当する。心裡留保とは「真意を心のうちに留めて置く」という意味である。
このような心裡留保による意思表示は、有効な内心的効果意思を欠くものとして無効とするという考え方もありうるが、民法ではこのような真意と異なる意思表示をする本人は法の保護に値しないとの趣旨により、心裡留保にもとづく意思表示を原則的に有効と定めている(民法第93条本文)。
ただし、心裡留保にもとづく意思表示の相手方が、本人の真意に気付いていた場合(または通常の注意力を働かせれば真意に気付いて当然であった場合)には、相手方を保護する必要がないので、心裡留保にもとづく意思表示は無効となる(民法第93条但書)。結果は以下の通り。
除夜の鐘。ゆく年くる年。
皆様、よいお年をお迎えください。 - 2023/12/28
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医師のやりがい
福岡市の救急医療を担う基幹病院で、2024年夏までに医師15人が集団退職する予定という。2023年10月の院長交代がきっかけで、「新院長の方針への反発」が理由と某総合診療科医師(退職予定)が話す。また、「裁量権を失ったとしばしば感じ、モチベーションが大きく低下した」とも言う。患者振り分けに専念させ、ある程度診断が付いたら臓器別専門科に紹介する方針としたことも要因という。さらに、総合診療科医師は1人いればいいとされた。ちなみに、大学から派遣の整形外科医師も引き上げるという。
この集団退職で救急体制は手薄になることが予想される!
救急搬送患者を診るべき常勤医師が不在となる可能性が高い!!
本当に適切な対応ができるのかきわめて疑問!!!病院側の考えや今後の方針はいかに???
最後に小生の意見を述べておく。
類似ニュースは時々耳に入るし、総合診療科医師に対する酷評を感じた時期があった。
ドクターマイナス(Dr-)の扱いは残念だ。その風当たりも強かった。
だから、進化型総合診療構想を思いついた。医師のやりがいを希求して。
ボクシング・・・1990年2月11日、東京ドーム
マイク・タイソン対ジェームス・ダグラス戦は、プロボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチである。
当時最強と言われたタイソンが圧倒的有利とされていた。
ところが、10回KOで無惨にも敗れた。8回で勝っていたかもしれないが・・・。結果は結果。
ボクシング史上、最大の番狂わせの一つとされている。
裏事情はよく語られているが・・・、それにしてもかなり油断しすぎたな。
さて、ここで、いい勉強になった記憶がよみがえる。
「嗚呼、過去のひそひそ話」
遠い昔のある日、突然、病棟の婦長から呼び出された。
何かとんでもない問題を起こしたのか?と恐る恐る婦長の下に足を運んだ。
突然、婦長は「先生、、、もう、、、先生の気に入っている美人ナースのことですけど・・・。あまり熱を上げない方が身のためですよ。先生の上司と××だから、金輪際、近づくのはやめておきなさいね。」と言った。
これはヤバかった。いい勉強になった。
その後、何年もこの逸話を嫌味混じりで言われ続けた。悔しいけど仕方なかった。油断大敵。