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- 2023/12/12
- 2023/12/11
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四日市街歩き「伝七邸」
日本最大の紡績会社「東洋紡績」の創始者であり、「紡績王」と呼ばれた第十世伊藤伝七(1852-1924)の別邸。
明治29年、四日市市に移設された。「伝七邸」といい、約600坪の敷地に2階建て木造建築と日本庭園を擁する。
威風堂々とした「玄関棟」と切妻造りの「さつき棟」は、国の登録有形文化財となっている。過日、昼食を堪能した。ちょっと贅沢な気もする。座敷にも風情がある。
- 2023/12/10
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虹三連発
虹(にじ: rainbow)は、大気中に浮遊する水滴の中を光が通過する際、分散することで特徴的な模様が見られる大気光学現象である。
この日は、天候の変動が激しかった。しかし、虹が出ると予想してドライブに出発した。
近くの神社でおみくじを引いたら、なんと「大吉」。
珍しい現象が重なった。
「虹三連発」と「大吉」。
神に感謝かな。
- 2023/12/09
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ああドイツに行きたい!!!
ドイツ語で現地の人と話したい!!
ドイツビールがいろいろ飲みたい!
ドイツソーセージが食べたい!!!
ザワークラウトも食べたい!聖ゲオルグ礼拝堂(写真)in リトルワールド
- 2023/12/08
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2023/12/8 ブログ
神様のカルテ つづき
その2 それぞれの進路
9月末、進藤と如月は白樺峠を訪れた。翌年春に離ればなれになる運命。如月の希望を進藤が叶えにかかる。「鷹渡り」を見ながら、進藤は己の決断を如月へ伝え、如月はそれを受け入れた。いずれは結婚。
一方、栗原は本庄病院の面接を受けた。一般診療から救急診療まで担う地域の基幹病院で、「24時間365日対応」という看板が赤々と点灯している。面接の際、この看板に対する印象を、栗原は「医療の基本」と答える。前途有望に映ったようで、採用された。
<感想>
小生の時代は、医局に入局するのが一般的であった。就職活動に困難はなかった。むしろ、勧誘合戦であった。しかし、大学院生になるために試験を受け、大学院生も兼ねていた。
現在、医局を経験しない医師も増えてきており、新研修医制度の影響と思われる。小生は、新研修医制度初年度という時期に遭遇し、指導医を命じられた。少数ながら、教え子(初期研修医)もいることになる。
さて、「24時間365日対応」という医療は理想的であるが、なかなか実行できない。小生も数年間、積極的にこのような生活を実施したものの・・・、残念ながらメンタルもフィジカルも疲弊して挫折した。だが、悔いはない。 - 2023/12/07
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炊き込みご飯
COVID-19が始まって、やがて4年になる。
小生の病院生活は3年以上になる。
実績であるが、小生はCOVID-19に罹らず。また、身内に迷惑かけず。炊き込みご飯に凝った時期もあった。グリンピースを頂き、炊いてみた。結果は以下の通り。
欲張って、タケノコご飯を炊いてみた。結果は以下の通り。
- 2023/12/06
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微小妄想?罪業妄想?抑うつ気分?
大学入学直後に、ある先輩から伝えられた言葉
1.お前は医者の子でないやろ!
2.そんな顔に見えるわ!!
3.浪人組!!! 大して頭良くないはずや!!!こうして大学生活が始まった。事実だったので、何も言い返すことが出来なかった。
しかし、医学部生になれたという満足感と幸福感で、その後も気にすることはなかった。
さて、適応障害が悪化すると自信を失う。簡単に言えば、くよくよしてしまう。
外見上、そう見えないそうであるが・・・。昔も今も変わらない。
今においては、小生自身をドクターマイナス(Drー)またはペーパードクター(p-Dr)と評価してしまう。
エキスパート(Dr++)やスペシャリスト(Dr+)はともかく、ジェネラリスト(Drニュートラル)ですら、危うく感じる。
エキスパート(Dr++)やスペシャリスト(Dr+)の守備範囲は、治療中心の医療であり、同業者にも大いにリスペクトされる。一方、ドクターマイナス(Drー)の守備範囲は、予防医学(健診)や終末期医療(高齢者医療)が中心になり、同業者にリスペクトされにくい。そもそも医者なのかと感じることもある。全然役に立っていないと反省してしまう。微小妄想。罪業妄想。
小生の守備範囲もDrーと重なっており、リスペクトされにくい気はする。しかし、患者に感謝された瞬間、「そんなことどうでもいいこと」と思えてくる。満足感と幸福感に浸ることができる至極の瞬間だからである。
ちなみに、看護師(ナース)にも保健師や助産師になる過程がある。小生は、保健師や助産師をナースプラス(Ns+)と呼称している。進化型ナース?守備範囲の広いナース?とか、よくわからないけど・・・。最近は認定ナースや専門ナースがいるそうで、細かいことは理解できていない。
- 2023/12/05
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百人一首の第5歌
奥山に
もみぢ踏み分け
鳴く鹿の
声聞く時ぞ
秋はかなしき
猿丸大夫(さるまるだゆう)が、今から1100年以上も昔に水沢もみじ谷で詠んだと言われている。ちなみに、猿丸大夫は伝説の歌人で、三十六歌仙の一人。諸説あるが、実際には不明。古今集では、「詠み人知らず」として紹介されている。
百人一首に詠まれている紅葉の名所「水沢もみじ谷」。水沢といえば、何といっても茶葉の生産が盛んな場所ですよね。鈴鹿山脈の宮妻峡手前にあり、そこから眺める景色はえもいわれぬ美しさです。
「人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雄鹿が雌鹿を恋しいと鳴く声を聞くときこそ、ますます秋は悲しいものに感じる」・・・なんて内容なんだろうかなあ。
- 2023/12/04
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最近のリトルワールド
正面玄関は何年たっても変わらないなあ。
紅葉とクリスマスツリーのコラボ。なかなか見ごたえあるねー。
- 2023/12/03
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松尾芭蕉と不易流行
貞享元年(1684年)8月、芭蕉は「野ざらし紀行」の旅に出る。東海道を西へ向かい、伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐を廻った。再び伊賀に入って越年し、貞享2年(1685年)4月に木曽・甲斐を経て江戸に戻った。
野ざらしを 心に風の しむ身哉
貞享3年(1686年)春、以下の有名な句を詠んだ。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
貞享4年(1687年)2月、伊勢神宮を参拝。8月から芭蕉は弟子の曾良と宗波を伴い、「鹿島詣」に行った。10月25日から、伊勢へ向かう「笈の小文」の旅に出発。東海道を下り、鳴海・熱田・伊良湖崎・名古屋などを経て、同年末に伊賀上野に入った。
元禄2年(1689年)3月27日、弟子の曾良を伴い、「おくのほそ道」の旅に出た。下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前など、未知の国々を巡る旅で多くの名句が詠まれた。
夏草や 兵どもが 夢の跡
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
五月雨を あつめて早し 最上川
荒海や 佐渡によこたふ 天河この旅で、各地に多くの門人を得た。金沢で門人となった者達は、のちに加賀蕉門発展の基礎となったという。また、変わらない本質と流れ行く変化の両面を実感する「不易流行」に繋がる思考の基礎を確立した。
古代バビロニアの「ハンムラビ法典」に「目には目を、歯には歯を」があり、復讐を奨励した一文めいたものがある。実際は、明らかな悪意(法律用語の既知という悪意の意味でない)があった場合にのみ、限定されていたように感じるのは小生だけであろうか?少なくとも、倍返しはよくない。等倍以下返しを奨励するために、やさしい王様が明文化したのではないだろうか。確かに、倍返しはどんどんエスカレートしていきますよね。最終的には無限大に・・・。
さて、去年1月、散弾銃を持って約11時間自宅に立てこもり、医師を撃った男がいる。その裁判で、検察側は無期懲役を求刑した。病死した母への弔問として自宅に呼び出し、44歳の男性医師を散弾銃で撃って殺害した罪などが問われている。
その裁判で、検察側は「至近距離で殺傷能力の高いスラッグ弾を発射し、強い殺意がある。母の死亡に対して男性医師らに一方的な不満を募らせた自己中心的な犯行」などと指摘し、無期懲役を求刑した。一方、弁護側は「大けがをさせようと男性医師のひざを狙った」などと男の殺意を否定し、懲役15年が相当と主張した。
日本の法律について、以下のように2つに分けてみる。
1.前近代社会(復讐容認社会)
司法制度が確立していなかった室町や鎌倉時代において、自らの権利や利益は自らの力で守るという「自力救済」が権利実現のための重要な手段となっていた。「かたき討ち」などを容認したり、「やられたら、やり返す」という自力救済を容認していた。
2.近代社会(実力行使禁止社会)
現在の民法に「自力救済の禁止」の原則がある。刑法にも、正当防衛や緊急避難という防衛行為や避難行為は認めるが、犯罪完結後の報復行為は禁止している。
すでに仕返しができない社会。
いずれにせよ、こんな事件は二度とあって欲しくない。散弾銃所持がなければ起こらなかったわけだから、銃刀法改正を望む意見もあるだろう。しかし、他にも殺害する手段はあるので意味がないという反対意見も出るであろう。法的安定性の深い議論が沸き上がるだろう。
小生より若い医師の冥福を心から祈る。