医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

ブログ

2025/02/14
徒然草143段 人の最期

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(本文)

人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、ただ静かにして乱れずと言はば心にくかるべきを、愚かなる人は、あやしく、異なる相を語りつけ、言ひし言葉も振舞も、己れが好む方に誉めなすことこそ、その人の日ごろの本意にもあらずと覚ゆれ。

この大事は、権化の人も定むべからず。博学の士も測るべからず。己れ違ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。

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(小生の現代語訳)

人間の臨終時、「安らかな様子で最期を迎えたそうです」と人から伝え聞く際、「静かに息を引きとりました」と普通に言ってくれればいいものを・・・。愚かな者は、あれやこれやと脚色して大袈裟に語るだけでなく、故人の言動や振舞いも歪曲して吹聴してしまう。故人の生前の様子からすれば、事実と異なって流布されることは不本意だろうと思ってしまう。

人間の死という重大事は、たとえ神や仏であっても定めることなどできない。また、博学の有識者であっても人間の寿命を予測できない。故人が本意のまま往生したのであれば、見聞によって故人をとやかく評価すべきではない。

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(小生の解釈)

他人の言動や行動に左右されず、自分自身を保つこと。つまり、ブレないこと。
他人の評価や意見に振り回されないようにすること。つまり、いちいち気にしないこと。
流行や世間の風潮に流されずに自分の信念を持つこと。やはり、ブレてはいけない。
加えて、他人干渉は最低限にとどめて余計なことは言わないこと。まあ、沈黙は金なり。触らぬ神に祟りなし。

2025/02/13
福井の雪

こんな感じと写メールがやってきた。
北陸の雪ってこんな感じだ。
覚えている。懐かしい。

福井という地名の由来
江戸時代初期にさかのぼります。
元々、現在の福井市周辺は「北ノ庄」と呼ばれていた。
1600年の関ヶ原合戦後、結城秀康(徳川家康の次男)が北ノ庄城を改修し、「福居(ふくい)」と改名した。
(大河ドラマ「葵 徳川三代」で、家康の御前で結城秀康が嘆願したシーンがある。)
「戦乱の世が終わり、福が来るように」との願いが込められている。
後に「福井」という表記に変わり、現在の地名となっている。

私も研修医時代にその地で医療を行った。福井県済生会病院。

2025/02/12
うれしい夢をみた

(起きたら、涙を流していた。)

祖父が出てきて褒美をくれた。
5万円。
ようやく小生の努力を認めてくれた。
感極まり、涙をこらえながら、隣りの妹の部屋に移動した。
母親が付き添ってくれた。妹はベッドで寝ていた。
起こすことなく、部屋から出てきた。寝顔も覗けなかった。
妹に報告できなくて、残念であった。

2025/02/11
ああ東京

東京在住時・・・。

地下鉄は便利である一方で、通勤には苦労したなあ。
すし詰め状態の満員電車。あれはつらかった。

銀座にも行ったなあ。日本の一等地。
ふぐのしゃぶしゃぶを堪能した。

築地にも行ったなあ。
海鮮丼を食べた。
近くに国立がんセンター中央病院も眺めた。
商店街も風情を感じた。昭和ってイメージ。

もう一度、行ってみたい。
あの時は、東京を満喫する心の余裕がなかったから。

2025/02/10
(その2)小生の感想

一つ壁を隔てたあちら側とこちら側で、お互いに壁の向こうから聞こえる「変な音」に、同じ頃同じように執着していた。しかし、一方の漱石は自らの死を意識していたが辛うじて生き残り、もう一方の隣人はあっけなく死んでいった。

漱石は、「胡瓜を卸す音」を「大根を卸す音」と想像していた。当たらずとも遠からずであったので、大きな差はないことになる。一方、死んでいった隣人は、「自働革砥の音」を「器械で運動する音」と思い込んで羨ましがっていたので、大きなズレがあったことになる。

医師である以上、ある患者が隣人患者の病状を知りたがる心理はよくわかる。お互いに相手に抱く心理状態は、病状を知っている医師が俯瞰すると、「アイロニー(皮肉)」である。病人の心理状態の奥深さを感じとることができた。

さて、きゅうりの汁(きゅうりの絞り汁やすりおろしたものを含む)である。ほてり(体の火照りや熱感)に対して一定の冷却作用が期待できる。

伝統医学(東洋医学やアーユルヴェーダ)において、きゅうりは「涼性食品」とされ、熱を冷ます作用がある。当時、(がんの)緩和ケアに有効とされていたのであろうか?

皮膚のほてりに対して、すりおろしたきゅうりをパックのように塗ったり、きゅうりのスライスを直接当てたり、きゅうりの汁をコットンに染み込ませてほてった部分に塗ったりする。体内からのクールダウン目的に、きゅうりのジュースを飲んだり、きゅうり入りの水(デトックスウォーター:アンチエイジング?)を摂取したりする。

2025/02/09
(その1)夏目漱石の短編小説「変な音」

「変な音」は、「思い出すことなど」の番外編にあたり、(漱石の)胃腸病院入院中の体験を扱ったものとされる。ちなみに、「思い出すことなど」では、漱石の吐血シーンが生々しく描写されている。

「変な音」は、ある病室にいる患者(漱石)が、他室の患者のたてる異常で敏感な「音」に関心をもつ話である。死にゆく患者と軽快退院してゆく患者の運命的な対照が描かれている。

つまり、生と死の「アイロニー(皮肉)」である。

生死の境を彷徨った漱石は、胃腸病院に2回長期間入院した。

「変な音」は、1回目入院(1910/6/18~7/31)を「上」として、2回目入院(1910/10/11~1911年2/26)を「下」として二つに分けて書かれたものである。

「上」のあらすじ

壁一枚で隔てられた隣室から大根を卸すような妙な音が聞こえて、(漱石は)気になって仕方がない。「それにしても、今頃何の必要があって、隣室で大根卸を拵えているのだか想像が付かない。」と感じていた。看護婦と患者の受け答えも聞こえるにもかかわらず、見当がつかない。

ある日、隣室患者は退院したらしい。(漱石も)後日、退院したが、音に対する好奇の念はすでに頭から消えていた。

「下」のあらすじ

自分(漱石)自身の病状の深刻さゆえに、あの音のことを思い出す余裕もなかった。同じ病棟の患者が続けざまに亡くなり、「3人のうち2人死んで(食道がんと胃がん)、自分だけが生き残ったから、故人に対して気の毒なような気がする」というありさま。

病気はやがて快方に向かい、あの妙な音の聞こえてきた隣室の担当看護婦に、(漱石は)たまたま病棟内で遭遇した。看護婦は先行して、「あの頃、貴方(漱石)の御部屋で時々変な音が致しましたが…」と自分(漱石)に尋ねた。それは、安全剃刀を研ぐための自働革砥の音だった。隣室患者は、「隣人(漱石)は大分快いので朝起きるすぐと、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいな」と繰り返しこぼしていた。

自分(漱石)の気にしていた音の正体がやっと判明した。胡瓜を擦る音だった。あの隣室患者の足が火照るので、看護婦が擦り卸した胡瓜の汁で冷やしていた。しかし、退院後まもなく亡くなった。直腸がんだった。

胡瓜の音で他を焦らして死んだ男と、革砥の音を羨ましがらせて快くなった自分(漱石)との相違を、(漱石は)心の中で思い比べた。

2025/02/08
短編小説「老年」

大正3年、芥川龍之介が22歳時に発表した処女作「老年」。
「放蕩と遊芸に人生の大半を使い果たした敗残老人の一側面」を描いた作品である。

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ある雪の降る日、一中節の順講(浄瑠璃のおさらい会)に多くの出席者がいた。その会場(離れの座敷)に、房という隠居老人が目立たぬように下座にぽつんといる。この房(おととし還暦を迎えた男)が主人公である。

房は、15歳から茶屋酒(遊郭)の味をおぼえて、25歳の前厄時に金瓶大黒(遊郭)の若太夫と心中沙汰になったこともあった。まもなく親ゆずりの身上(財産)をすってしまい、三度の食事にも事欠くことになった。そのため、房はわずかな縁つづきから浅草の玉川軒(料理屋)に引きとられた。今やそこの楽隠居の身に収まっていた。

色恋の道に入り遊女と心中事件を起こし、身代をつぶし遊芸も極めた派手な生活歴ももはや過去の話。今や楽隠居の身の上になり、ほぼ人生終わった状態。そのような房の波乱万丈の人生話を聞きたい聴衆もいたようだ。しかし、房はひとり離れの部屋に戻っていった。

そこで、出席者の2人である中洲の大将と小川の旦那が、酒なくして順講はやれないと座敷を抜け出した。一杯やりに離れから母屋の方へ向かった途中、どこからともなく男女の濡れ場を思わせる台詞や音がしてきた。「房さんかな?きっと房だろう!」と、2人はその部屋の障子の隙間から内をそっと覗き見る。房は、なんと白猫を相手に艶めいた端唄の一節を繰り返していた。これを目撃した2人は、顔を見合わせ・・・、長廊下を忍び足で座敷にもどっていく。大将も旦那も房の世界に立ち入ることはできないと悟る。

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プレイボーイもいずれ老いる。盛者必衰。ああ無常。落ちぶれた孤独な老人の一行動ととらえるのが普通であるが、認知症老人を描いた作品としても読むことができる。

認知症治療に回想療法がある。個人の過去の記憶や経験を取り戻し、それを共有することによって感情的な安定感や自己価値を高める効果があるという。

白猫相手に、自身の古き良き派手な時代を語ることによって、自然に老化防止対策をしているのかもしれない。アンチエイジング対策に「恋をする」も含まれているので。

2025/02/07
「問鉄砲」

関ケ原合戦に出てくる小早川秀秋に「問鉄砲」が放たれた。

徳川家康が実行したという通説が崩れ始めている。

大河ドラマ「葵 徳川三代」では、その通りであったが・・・。

通説では、徳川家康が小早川秀秋に対して「問鉄砲」を放ったとされてきた。

最近の研究では、この「問鉄砲」のエピソードが史料に見当たらないことがあげられる。また、他の戦術が採用された可能性も指摘されている。

そのため、真偽が再考されているそうだ。

2025/02/06
あの患者

研修医の頃、胸水の高齢患者が入院した。

胸水穿刺試験をしたら、血胸でした。

一応、出血傾向の検査をしていたら、血友病Aと診断するに至りました。

こんな年齢でも血友病があるんだと学んだのですが、そこで後天性血友病Aという病気を知ることになりました。

確か、第Ⅷ因子活性低下で抗第Ⅷ因子(FⅧ)自己抗体(インヒビター)は陰性だったので、後天性血友病Aではなかったと記憶しています。

ちなみに、後天性血友病A(Acquired Hemophilia A)は通常、血友病を持たない成人が突然、抗第Ⅷ凝固因子(FⅧ)自己抗体(インヒビター)を産生し、出血傾向を引き起こす。免疫異常であるので、自己免疫疾患(膠原病など)や悪性腫瘍(がん)などを持病にもつ患者が多いことも分かっている。

免疫反応を抑えるための免疫抑制療法を行うのが一般的。多くはステロイド剤が用いられるが、重症例やステロイド剤使用例は免疫抑制剤が併用されることも少なくない。

令和6年4月に難病指定されたという。後天性血友病A(Acquired Hemophilia A)は、自己免疫性後天性FVIII/8欠乏症と呼称されている。FVIII/8自己抗体(インヒビター)は、免疫抑制療法によりいったんは寛解することが多いが再燃することも少なくない。FVIII/8自己抗体が残存していることもあり、定期的検査を含む長期の経過観察が必要である。死亡率は2~3割と高く、出血死よりも免疫抑制療法中の感染死が多いので厳重な管理が必要である。

医師としての経験を振り返るのは大切である。
医学はいつの間にか進んでいるから。日進月歩。

謙虚に生きよう。不勉強はいけない。

2025/02/05
ああ東京

思い出す。公人2年。国家公務員。PMDECに勤務していた頃。

虎ノ門界隈。森ビル33だったように思う。その10階が職場。

近くを歩くと、東京タワーをビルの隙間から覗くことができた。

今思えば、貴重な時間だったと思うけど・・・。

あの頃は、医療現場ができなくて寂しい思いをしたなあ。

若い時は遠回りしても、視野を広げる努力は必要だったのだ。

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