医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

ブログ

2024/10/22
ああ年末③

2023/12/31夢日記

思い通りにいかない夢をみた

 前夜に富山に出かけていた。

 朝6時頃、午前9時からの外来代理を頼まれていたので、急いで病院に戻っていた。

 バスに乗ろうと国道に向かって歩いていたが、なかなか国道に辿り着けない。

 それどころか、道に迷い、湖のほとりに出た。

 向こうに国道が見えたので、足早に道を返した。

 曲がり角で、停車中の白い車を見つけた。

 運転席に女性が乗っており、主人を降ろしたところであった。

 道を尋ねようと声をかけに近づいた。願わくは、乗せて行ってもらおうと祈ったが、そばにいた主人が何やら訳の分からないことを言ってきて、うまくいかなかった。

 そこで、福井の妻の実家に車を止めていることを思い出し、そこに向かおうと歩き出した。

 タクシーを拾ったら、伊地知と忘れずに言おうと思っていた。

 しかし、タクシーはいつまでたってもやって来ない。

 時間は刻々と過ぎる。

 ああ間に合わない・・・。

 どうしよう。焦りは絶頂。

 万事休す。

2024/10/21
ああ年末②

ちょっと複雑な夢をみた

 (大学時代にちょっと気に入った女性がいた。たしか音楽部に所属していた。巨乳ながら質素なところもあった。しかし、プライドは高かった。)

 時は流れて、大学病院で再会した。

 青い厚手のセーターを着て、白衣を羽織っていた。

 ボインは変わらなかった。

 突然、講演会に出席してほしいと言われ、会場に向かった。

 ところが、道に迷ってしまって、いつの間にか教授が講義しているところに出た。

 最前列に着席することになってしまった。

 帰りも道に迷って・・・・。

 彼女の表情はわからなかったが、意地悪くかき回されたようだ。

2024/10/20
ああ年末①

2023/12/29夢日記

二度と見たくない夢・・・こんな悲愴な夢

 転職に大失敗した夢をみた。

 大学の寮みたいなところに家族で引っ越しした。

 狭い玄関、狭い部屋、風呂はカビが生えて使えない。

 畳も一部腐っていた。

 押入には学生の靴下が掛けてあった。

 小さい二人の子供は寂しそうに薄暗い部屋から窓を眺めていた。

 悲惨な住環境だった。

 妻も仕方ないと冷静であった。

 甲斐性なしの小生は悲愴な限りであった。

 そんな中、(同級生の)T先生に電話したら、奥さんが出て、「携帯を持って行かず、新宿に飲みに行っていると・・・。」という返事だった。

2024/10/19
山崎豊子原作「沈まぬ太陽」

1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故をモデルに、航空会社で勤務する二人の男性(恩地と行天)の対照的な人生が描かれている。

恩地はかつて「国民航空」の労組委員長として経営陣と激しく対立したがために、パキスタン・カラチ・イラン・テヘラン・ケニア・ナイロビと転勤を命じられ、10年にも及ぶ流刑のごとき処遇を受けた。そのためか、恩地は転勤先で飲酒がエスカレートした。

一方、労組で恩地の右腕でより現実主義的の行天は、経営陣に将来を見込まれた。幾多の汚れ役を引き受けつつ、出世コースを邁進した。途中、組合運動で指導力を発揮した人望厚き恩地を排除した。

 二人の対立が深まっていく。

 二人の勝敗について語りたくないが、醜い権力争いに巻き込まれたくないという気持ちが湧いてきた。

 恩地はニューヨークの動物園で、檻の中の鏡に自分の姿を見た際、「この世で最も危険な動物(=ヒト)」という一面に気づく。

 人類の歴史で繰り返されてきた戦争・闘争。

 恐らく、多くの男性の持つ攻撃性を徹底的に吐き出し、人類社会が次のプロセスへ進むための準備作業であったことに気づく。

2024/10/18
論語

 私の好きなフレーズだよな

1)子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩。」

   私は十五歳のとき学問に志を立てた。

   三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。

   四十歳になると、心に迷うことがなくなった。

   五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。

   六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。

   七十歳になると、自分がしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏みはずすことがなくなった。

  志学☞而立☞不惑☞知命☞耳順☞従心

2)「學びて思はざれば則ち罔(くら)し。 思ひて學ばざれば則ち殆(あやう)し。」

   教わるばかりで、自分で考えることが少ないと力はつかない。

   自分で考えてばかりで、人に学ばないようだと、考えが偏るので危険このうえない。

   若かりし頃、「他人に世話を焼くべからず」と教わった。

   「他人に教えているくらいなら、もっと自分のことをしろ」と怒られたものだ。

   その後、学ぶだけでもダメ、考えるだけでもダメ、ときには教えることも必要と感じるようになった。

   つまり、バランスが大事なんだよな。

   学びながら、、、考えながら、、、そして教えながら、、、

   このバランスが大事だよな

2024/10/17
イスラエル

 テオドール・ヘルツェル(1860年 – 1904年)はシオニズム運動の父として知られている。イスラエル建国に重要な役割を果たし彼は、もともと新聞記者として活動しており、1896年に「ユダヤ人国家」という著書を出版した

 この中で、反ユダヤ主義が根強く存在することを知らしめるとともに、ユダヤ人が他の民族と同様に独自の国家を建設することを提唱した。このシオニズム運動は、ユダヤ人のパレスチナへの移住を促進した。そして、1917年に発表されたイギリスのバルフォア宣言により、パレスチナでのユダヤ人国家建設が認められた1948年、イスラエル共和国がようやく建国された。

紛争中のイスラエル。戦争の得意な国を称賛したくはないのであるが・・・。

 そういえば、約4年前にワクチン接種を驚くべき速度で進めた。新型コロナ対策の世界的模範とされていた。感染者が大幅に減り、接種完了者は電子的接種証明書「グリーンパス」を提示することで、屋内のコンサートやスポーツイベントに参加できるようになったという。最終的にマスク着用義務も撤廃された。

イスラエルは世界にとって、コロナ禍から抜け出す希望の光だったはずが・・・。

ところが、今は違うようだ。「輝かしい手本」が「他山の石」になっている様子だ。やはりワクチン効果が短くかつ不十分なのかもしれない。

悪いお手本は歓迎されない・・・。良いお手本を見せてもらいたいものだ。

2024/10/16
2024/1/15

夢のまた夢

 本命が登場した。

 オレンジの服を着て、髪が美しく結ってある。

 嗚呼、すこぶる綺麗だ。

 本命は小生を呼んで、鏡のある別室に連れてきてくれた。

 鏡の前で、本命は自身の顔を眺めている。

 何やら言いながら、こちらを向いた。

 その瞬間、小生は本命の唇を奪おうとしたが・・・、叶わなかった。

2024/10/15
2024/1/13

 悪夢は続くよ~~~どこまでも~~~

  旧医局2か所。

  旧医局に転職が決まった。

  しかし、職場を巡り巡っても、迷路のようになっていて仕事場に到着しない。

  旧医局2か所の景色がランダムに移りゆく。

  いつまでたっても仕事が開始できない。

  苛立ちより、絶望感が漂っていた。

  泣きっ面に蜂。

  すれ違うスタッフすべてに無視された。

  疎外感。

  小生は歓迎されていないと悟った。

  それでも歩き続ける。

  ようやく着いたら、誰もいなかった。

  業務終了時間。

  孤独感。

2024/10/14
ああ医者になりたい

まだまだ未熟としか言いようがない

 そもそも・・・大学受験に浪人経験

 あれあれ・・・大学院時代に留年経験

 まあまあ・・・臨床医としてひら医師の長い経験

 やれやれ・・・ようやく遅咲き内視鏡医に、、、ホームページに登場とか

熟年どころか、経験が足りない

思い出した2024/1/14の悪夢

何ともしつこい夢をみた

 まだ、浪人生活が続いていた。すでに3浪している。

 もう背水の陣の様子。河合塾のチューター(指導担任)にも緊張感あり。

 小生も焦燥感で疲労困憊であった。

 ・・・

 いきなり、博士号を取得する準備を始めた。発表は近い。

 たとえダメでもいいや。すでに医師免許はあるから大丈夫。

 そう、小生自身を慰めていた。

2024/10/13
2024/1/20の夢

 とんでもない夢をみた。

 旧職場。

 そもそも高次機能病院でない。

 そんなことは、誰でも知っている。周知の事実。

 それはともかくとして、そこにN先生が登場してきた。

 ここでも肝臓移植はできるんだと言いながら、平気に手術をしている。

 それも外来でやっている。

 簡単にのぞいて見えるが、マジで危険に感じた。

 腕は確かなように映って見えたけど・・・。

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