医療法人社団 山中胃腸科病院

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2022/09/20
ブログ 2022/9/20 号外

先日、あるインターネット上の医師専用サイトに「記憶に残る他科の凄い医師」特集がありました。
 
以下に、そのまま引用しました。

「同僚が資格マニアで専門医や資格を取りまくっています。よくそんなに勉強できるな、と尊敬しますが、どこを目指しているのでしょうか。

その医師は、総合内科専門医、リハビリテーション科専門医、救急科専門医、神経内科専門医、糖尿病専門医、内分泌・代謝科専門医、感染症専門医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、老年病専門医、消化器病専門医、呼吸器専門医、循環器専門医、腎臓専門医、核医学専門医、漢方専門医、温泉療法専門医、人間ドック健診専門医、病態栄養専門医、脈管専門医、認定管理指導医、脳卒中認定医、認知症専門医、頭痛専門医、ペインクリニック専門医、心療内科専門医、肥満専門医、動脈硬化専門医、高血圧専門医、骨粗鬆症認定医、認定痛風医、結核・抗酸菌症認定医、胃腸科認定医、日本老年精神医学会認定専門医、日本抗加齢医学会認定専門医、家庭医療専門医、日本旅行医学会認定医、日本アロマセラピー学会認定医、認定脳波専門医、認定筋電図専門医、産業医、健康スポーツ医などの学会専門医のほか、臨床心理士、認定心理士、産業カウンセラー、労働衛生コンサルタント、作業環境測定士(1種)、ケアマネージャー、住福祉環境コーディネーター2級、日本体育協会公認スポーツドクター、日本リウマチ財団認定リウマチ登録医、日本糖尿病協会認定療養指導医なども持っています。」

 これには、全く恐れ入りました。脱帽です。

資格取得に向けての試験勉強時間、認定施設における研修期間や実習時間など、いくつもの障壁があったものと推定します。

小生もこのようなスーパードクターに憧れていました。究極の進化型総合診療医です。
是非、テレビに出演して取得のトリセツをご教授くださいませ。m(__)m

2022/09/15
2022/9/15ブログ

今回は、東海道散策です。といっても・・・、病院近辺ですけど。

杖衝坂(つえつきざか)は、三重県四日市市采女にある東海道の坂の名称です。国道1号線のすぐ横にある旧東海道にあり、三重県名の由来にもなった日本武尊(ヤマトタケル)の故事がある急坂です。この急坂は、東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の中間に位置します。日本武尊が東征の帰途、伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登りました。この際、「吾足如三重勾而甚疲」(私の足が三重に折れ曲がってしまったようにひどく疲れた)と言ったそうです。これが「杖衝坂」と「三重」の名前の由来とされています。また、貞享4年(1687年)、松尾芭蕉が江戸から伊賀へ帰途の際、この急坂で落馬してしまい、早速、次の俳句を詠んでいます。「歩行(かち)ならば 杖衝坂を 落馬かな」と。

坂を上がると、采女一里塚跡です。

もう少し歩くと菅原神社国分天神があります。地元では「国分の天神さん」と親しまれています。この神社は、しだれ梅が多数咲き誇るスポットとして有名です。しだれ梅の木だけでなく、白から薄いピンク、濃い桃色までのさまざまな品種の梅の木が植えられ、その数は350本以上もあります。3月上旬から下旬にかけて、梅が見頃となります。「梅まつり」の開催期間中、多くの参拝者が訪れます。
はるか昔に訪れたこの神社。記憶は定かでありませんが・・・、確か小学生時代だったと思います。あの頃にはなかった連理の枝がありました。「比翼の鳥」と「連理の枝」。いずれも「仲がいいたとえ」とされています。

社会分断ウイルスと悪名の高いコロナウイルス。着実に進化し続けています。人類は負けないと思いますが、油断は禁物です。

2022/09/01
2022/9/1 ブログ

8月24日で53歳になりました。誕生日ケーキを堪能しました。病院生活(単身赴任)3年目。いずれコロナとともに生きる時代が来るのでしょうか。多分そうでしょう(><)。

ようやく9月になりました。8月は何かと苦戦しました(T T)。憎きコロナウイルス(BA.5株)。来ないで欲しいBA.2.75株。来れば、危機的第8波。インフルエンザと来るなよ🙅。

さて、今回は東南アジア(インドネシア)の伝統医療を紹介します。かつて、小生は、インドネシアからの留学生の研究協力者を務めたこともあります。時には、民俗医療から思わぬ学びを授けられます。

「東南アジアの民俗医療」

トバ・バタック族の家(野外民俗博物館・リトルワールド):ちなみに、トバ・バタック族はキリスト教徒(プロテスタント)である。

1.はじめに

 インドネシアは、東南アジアの島々の大部分を占めており、スマトラなどの大きな島々と無数の小島々から成る熱帯気候の国である。スマトラやジャワ島などに3000㍍級の山々が連なり、地理的変化に富んでいる。ここにある植物は極めて多種多様かつ豊富であり、これらの植物資源を背景に古くから伝統医学が発展している。

2.インドネシアの伝統医学

 インドネシアの伝統医学は、インドと密接な関係があるといわれる。なぜなら、現代のインドネシアで広く用いられる生薬配合薬(ジャムゥ)の大部分はアーユルべーダと共通するからである。8世紀中頃にインドからヒンズー教と共に伝えられたと考えられている。しかし、その医療体系は患者の問診を主とし、他の伝統医学で見られるような触診はなく、症状を聞いて最適な生薬を配合するという。現代医学の感覚からすれば、医師というより薬剤師に近いかもしれない。配合生薬の種類や調合法、処方目標はすべて口伝により伝承される(ほとんど世襲化)。治療理論に相当するものはなく(寒熱二元論の程度であり)、その地理上の位置を考えるとアーユルベーダだけでなく、他の伝統医学の影響も受けているようである。

3.インドネシア伝統医ドゥクン

 インドネシア社会における医療体制について、西洋医学による公立病院や保健センターなどが都市部に存在する。医師数は少なく、10万人当たり10人程度に過ぎない(2010年度)という。一方、地方ではドゥクンと呼ばれる民間医(呪術師、祈祷師も含む)によって病気の治療が施される。出産、魔除け、占いや予言なども行われ、現代においてもなお人々の生活に深く溶け込んでいる。ちなみに、ドゥクンはほとんどが世襲制である。山野に自生する薬用植物を用いてマラリアなどの熱帯病治療や骨折などの外科治療、出産などに対応している。

4.伝統医薬品ジャムウ

 ジャワ島にはジャムウと呼ばれる伝統医薬品がある。ジャムウとは、ジャワ語で「植物の根や葉などから作られた薬」という意味である。また、生薬製剤を含めた植物起源の医薬品の総称でもある。遺跡ボロブドール(780〜833年頃建立)の仏塔にある回廊壁にジャムウを調合する女性が描かれている。ブランバナン寺院群(9世紀初頭)でも同様である。ジャムウ調合法を記載した10〜11世紀の古文書がバリ島に残されている。今日、ジャムウの多くは製薬企業の工場で薬用植物の抽出エキスの粉末や錠剤、カプセルの形状で製造され、薬局などで販売されている。医学書に相当するものはなく、祖母や母から娘に継承される世襲的な医学知識を基にしているという。例えば、ジャムウに汎用される食用ショウガ科植物の含有成分を精査すると、フェニルプロパノイド類やセスキテルペン類などが含まれている。その有効性として、健胃、抗潰瘍、抗炎症、抗アレルギー、抗糖尿病、肝保護などの作用が証明されている。ジャムウに使用される薬草は何百種類もあり、代表的なウコンや生姜に加え、タマリンドやシナモン、レモングラスなど様々な植物が使用されている。ジャムウには植物の抽出液だけでなく、蜂蜜やその幼虫、タツノオトシゴやナマコの干物、乳や卵なども含まれている。漢方や栄養ドリンクのような滋養強壮に近い材料でもあり、風邪などで衰弱時に栄養補給として使用される。

5.まとめ

 伝統医学といえども、長い年月から知り得た生活の知恵である。ただただ感服するのみである。

2022/08/15
2022/8/15 ブログ

1.はじめに

 昔話に感動することはしばしばあります。まんが日本昔ばなし。遠い昔の物語。たまには、すっきりと心を和ませたいものです。今は亡き市原悦子さん朗読およびナレーションでした。コロナなんぞ、予想だにしていなかった幼少期のことです。確か土曜夜7時からよくみていました。遠い昔の思い出です。
 今回、非現実的ではありますが、奇異的で感動したシーンを紹介します。

2.昔話(まんが日本昔ばなしより)

①「大蛇の塔」
 正直者でまじめな大工が代官の一人娘と恋に落ちました。身分の違いは明らかで、代官は許さず、叶わぬ恋でした。娘は自殺し、大工は失望しました。代官は深い悲しみに苛まれ、大工に恨みを抱きます。大工は囚われ、「一晩で釘一本使わずに五重塔を建てたら、命だけは助けてやる」という酷い難題を代官は押しつけました。困り果てた大工の目の前に、突然、大蛇が現れました。「楔一つ作って待て」と。大蛇は五重塔に化け、大工は塔の天辺に楔を打ちました。五重塔は黄金色に光り輝きました。完成した黄金の塔を見た代官は恐ろしくなり、大工を斬り捨てました。化けた大蛇は元通りになり、大工の屍を銜えて空に上っていきました。そして、嵐がやってきて洪水を引き起こし、代官屋敷までも水に沈みました。命を絶った二人の供養のため、神社が建てられました。
 当時、身分の違いは恋愛結婚を妨げていたのでしょう。一流の大工でも代官の娘を嫁にできなかったわけですから、なす術なしです。小生も親の身分を罵られて、恋敗れたことがありました。こればかりはどうしようもありません。受け入れる以外に術はありません。「人事の日本史」を読むと身分をよく理解できました。

(小生、アマゾンで購入)

②「大工と鬼六」
嵐のたびに橋が流されるという村。大工の棟梁が橋を再建すると豪語しますが、どうしようもできず、途方に暮れていました。後悔の念を感じつつも、とにかく現場に赴きました。そこに鬼が現れました。人間には無理だろうと諭しました。鬼は2日間で橋を完成させていました。そこで、鬼は棟梁の目玉を奪おうとしますが、「おいらの名前を当てたら赦してやる。明日まで。」と約束しました。棟梁は食が進みませんでした。そこに、妻の子守唄が聞こえてきました・・・「鬼六が目玉もってやってくる」と。翌日、棟梁はもったいぶりながら、「鬼六」と告げました。鬼六はそのまま水面下に姿を消しました。
 恩着せがましくなかった鬼六。潔かった鬼六。厚意は誇らないのが吉でしょう。しかし、・・・無知とは恐ろしいですが、妻の子守歌という幸運を棟梁は嚙み締めたはずです。偶然の吉報と橋のプレゼント・・・鬼に金棒でなく、まさしく一挙両得です。
能ある者は、腕を評価されたいという純粋な心を持ち合わせているのかもしれません。厚意に対して見返りを求めないことこそが真の美徳なのかもしれません。

3.まとめ

 現実的ではありませんが、このような夢物語があっても悪くないように思います。医者として生きていくうえでも重要であります。無謀ではありません。「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」と言いますが、発想の転換の重要性を学習できた思い出です。
 こんな些細なことに感動する小生は、デリケートかつロマンチストなのでしょうか?

2022/08/08
この暑い時にこそ涼しい話を⁈

令和4年文月

 「雪は天から送られた手紙である。」
 この言葉を残したのは、中谷宇吉郎です。加賀市片山津出身の科学者で、世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出した人です。東京大学を卒業後理化学研究所に入りイギリス留学後北海道大学理学部教授として北海道に渡り、雪の研究を始めます。冬の大雪山にこもり研究を始めました。人工雪に終わらずその後は、広く海外にまで足を伸ばしグリーンランドでは氷について研究を始めます。また、科学だけにとどまらずあらゆる分野にわたる随筆を数多く残しています。
 理化学研究所時代、寺田寅彦に師事しています。寺田寅彦も多くの随筆を残しています。寺田寅彦の熊本第五高等学校時代の英語教師が夏目漱石であり、漱石が主宰していた俳句会に参加していたことから、当時科学以外にも大きな影響を受けたと推察されます。中谷博士や寺田博士は海外留学の経験がありますが、二人とも伴侶を病気で失っているというおかしな共通点もあります。

片山津市「雪の科学館」

 宇吉郎は雪の研究のため北海道に行ったのでなく、北海道という寒冷の環境の中で研究の対象が雪であったというだけのようです。「誰も生まれない前から雪は降っていた」という言葉が表すように、北海道の自然の中に自分の一生を決定する研究対象を見出したのです。

旭川「雪の美術館」(現在閉館中)のクリスタルの一部

 住めば都という言葉が示すように、自分の生活場所に慣れてくれば、またその中に楽しみや意義を見出せば、その地での毎日は決して捨てたものではなく、光り輝いてくることになります。自らの境遇を嘆く暇があれば、新たな喜びや意義をそこで見出すように心がけるようにすることが大切だと思います。

雪の科学館中庭

 北陸自動車道片山津インターから温泉街に向う途中に中谷宇吉郎 雪の科学館があり、中庭は中谷博士が研究に赴いたグリーンランドの地をイメージで作られ、霧アーチストである娘(中谷芙二子)さんの手も入っています。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/52468_49669.html

2022/08/01
2022/8/1 ブログ

 まず、コロナ禍第7波が到来しました。BA.5は強敵で手強いように感じています。1年前の悪夢が再現されてしまいました。

 さらに、銃刀法の取り締まり強化を考える必要性が出てきました。安部元首相の暗殺事件は悲劇そのものでした。また、国内でも海外でも医者が殺される時代になりました。コロナ禍で犯罪が増えることだけは、避けて欲しいものです。

 さて、昨年、終末期ケア専門士となり、終末期医療に対して様々なことを考えるに至りました。個人的に、暗さが漂う「終末期医療」と表現するよりもむしろ「終活医療」としたほうが前向きに生きられるような気がしています。終活という言葉は、いつの間にか小生が好んで使用するようになりました。一度しかない人生ですから、どんな運命であろうとも前向きに生きるしかないのです。

 この話の流れから、例えば、がん(縦隔腫瘍である精巣上皮腫)を克服した医師フィッツ・フュー・モラー氏や肺がんステージ4を告白した緩和ケア医師関本剛氏(令和4年4月永眠)の勇気ある闘病記の発刊に対して敬意を表します。また、大学後輩の精神腫瘍医である清水研医師が活躍しているのをみて(発刊多数)、小生も活性化されました。
 がん患者も多数。そして、彼らに寄り添う家族や関係者も多数。長生きがすべてでないという考え方など、小生の辞書にないことを多く学びました。

 かつての小生の経験を紹介します。60歳代の女性です。当時、悪性リンパ腫と診断され、化学療法(CHOP療法という抗癌剤治療)中でした。医師1年目の研修医(血液内科)の小生の写真を撮ってくれました。金沢大学医学部附属病院の病棟にて。1997年2月頃のことです。

 最近、がんサバイバー大学生手記の『「がんになって良かった」と言いたい』(山口雄也著)を読みました。ただただ感激して涙しました。また、消化管間質腫瘍(GIST)患者である大橋洋平先生の著書「緩和ケア医ががんになって」も読みました。ここから、”足し算命”という時間の価値感を学びました。そのなかで緩和ケア病棟は生きるところであり、死ぬところでないと強調しています。

 もはやがんとは隣り合わせです。小生は、果たして死を悟ることができるのでしょうか?終活医療に貢献できるのでしょうか?神のみぞ知る?

2022/07/15
2022/7/15ブログ

1.はじめに
 アニメに感動することはしばしばあります。例えば、アニメ「アルプスの少女ハイジ」の最終回は、ご存知の通り、クララの歩行にてハッピーエンドを迎えました。めでたしめでたしですね。
 今回、非現実的ではありますが、奇異的で感動したアニメシーンを紹介します。

①アニメ「侍ジャイアンツ」のミラクルボール
 主人公(番場蛮)がストイックな投球方法を開発して球界に旋風を巻き起こします。ハイジャンプ魔球、エビ投げハイジャンプ魔球、大回転魔球および分身魔球の4種類です。各魔球は、いずれもライバルに打ち砕かれました。
 最終回。日米野球で大リーグの最強打者ジャックスと対戦します。4球種のすべての魔球が単独で通用しませんでした。しかし、もうこれ以上投げる球種がなくなって、マウンド上で悩んだ挙句・・・、今こそ投げるべき球種があることに気づいたのでした。そう、魔球を組み合わせればいいことを思いついたのでした。見事、ミラクルボールがキャッチャー八幡の胸に吸い込まれました。ゲームセット。
 追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。組み合わせるということを。

②アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲
 アルファ星の手前の攻防でデスラー総統率いるガミラスに追い詰められました。アルファ星のコロナ(火の海)に突入せざるを得なくなりました。ところが、目前に避けきれない大型コロナが立ちはだかりました。絶体絶命の大ピンチです。速度が速く避けきれない状況ですが、さりとて速度を落とせばアルファ星の引力圏内に引き込まれます。そこで、沖田艦長は「波動砲で火を撃つ」という戦略に出ました。小宇宙を破壊できるほどの威力を持つ波動砲。ならば、コロナをしのげるはずという信念。見事、波動砲はコロナを打ち破り、ヤマトはその危機を辛うじて切り抜けました。まさしく、「火で火を撃つ」という発想の転換でありました。
 追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。「毒をもって毒を制す」という戦略もあることを。

③アニメ「エースをねらえ」の鬼コーチの贔屓
主人公(岡ひろみ)がテニス部に入部して間もなく、スパルタ宗方コーチに見初められました。岡の葛藤をコーチの愛情が包み込みました。最終回、実母の面影に重ねて岡を寵愛していたという事実が判明します。案外シンプルな人間の発想でありながら、鬼コーチに親近感を感じてしまいます。天才スタープレイヤーお蝶夫人と岡の死闘は、感動させられました。岡の飾らない真剣な眼差しとラケットと手をテープで巻きつけるという執念に勇気をもらいました。純粋な心が宿った岡の成長と無欲さこそが勝利につながるという摂理を体感しました。
追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。無欲を意識しつつ、勝ちたいという確固たる信念を持つことを。

④アニメ「北斗の拳」の奥義水影心
 「一度戦った相手の拳を己の分身とできる。」という達人技です。史上最強の拳法である証です。幾度となく、主人公のケンシロウはこの奥義を使いました。鮮やかでした。例えば、南斗白鷺拳シュウと一戦を交えたとき、同じ流派の南斗紅鶴拳の奥義を使いました。
追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。相手の弱点を攻めるということを。
 ちなみに、相手の技を盗む行為は、医療においても極めて重要です。常に手取り足取りで教えては頂けません。見て聞いて覚えるのです。一見野蛮ですが、時には重要です。

3.まとめ
 現実的ではありませんが、このような夢物語があって悪くないように思います。医者として生きていくうえでも重要であります。無謀ではありません。「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」と言いますが、発想の転換の重要性を学習できた思い出です。
 こんな些細なことに感動する小生は、デリケートかつロマンチストなのでしょうか?

2022/07/01
2022/7/1ブログ

1.はじめに

 今年も6ヶ月が過ぎました。暑さがさらに増してきています(~~)。桜の時期はコロナ禍中でありましたので、花見を楽しんでいる場合ではありませんでした。(T;T)

2.かつての学会発表

 今から8年前の話です。地域医療を進める中、独自で収集したデータをもとに第111回日本内科学会総会で発表しました。懐かしいです。
 最近の学会事情によると、コロナ対策で学会場に行かなくてもリモート(WEB開催)で学会に出席できます。移動時間が不要であり、現地よりも多くのセッションを聴講できます。地方勤務であれば遠方出張は厳しいので、なおさらありがたいです。(^^)

3. まとめ

 コロナ地獄ながらコロナ福を感じることも時々あります。学会活動がそうです。「ピンチをチャンスに変える」という発想の転換が必要かもしれませんね。(^^)
 今は、コロナ禍という長い長いトンネルに入っています。いつしか、長いトンネルを貫けるとそこは雪国(平穏な生活)であったと夢見ています。

2022/06/25
桃太郎の故郷〜吉備路〜での発見

令和4年水無月

雉・猿・犬の話で有名である桃太郎は鬼ヶ城で鬼を打ち破り、金銀財宝を故郷に持って帰り、その後はどうなったのか。それには諸説あります。文豪と言われる人が書き表したものをご参考まで。(下記参照)
子供の頃、祖父の発案で私の家族と大阪に住む父親の妹の家族とで岡山を訪れたことがありました。当時は高速道路もなく車で国道2号線を西へ西へと向かいました。岡山市の北西に高松稲荷にある最上稲荷を目指しました。同じ敷地に最上稲荷山妙教寺が並んで建てられています。妙教寺は当家菩提寺と同じ宗派で、曽祖父が醸造業を継承するに当たり願をかけた寺であるとのことでした。

最上稲荷

当時N H Kの大河ドラマで緒形拳が秀吉役の太閤記が放映され、高松城の水責め、本能寺の変や中国大返しは耳にしていました。参拝の道中に高松城の史跡を発見し、こんな所に堤を作り城を攻めたのかとおぼろげに記憶に残っていました。高校の時、上野盆地の四方の山に降った雨は木津川となって岩倉峡を経て島ヶ原・大河原・加茂を通り北上し京都山崎で桂川・宇治川と合流し淀川と名前を変えて大阪湾に注ぐ、地理の授業で説明を受けました。出口の岩倉峡で木津川の水を堰き止めると上野盆地は湖になり中央の河岸段丘の上にある上野白鳳城は水に浮かび美しい眺めとなると冗談で話されました。そのイメージと備中高松状の水攻めが重なって長い間頭の中に残っていました。

備中高松城跡

最上稲荷と吉備津神社を目当てに平成13年春岡山に向かいました。当時はカーナビ等ない時代で、あちこちと道に迷いながら最上稲荷に向かいましたが、その途中で偶然「緒方洪庵」の字を目にしました。

緒方洪庵の像

大阪に適塾(適々斎塾)を開き、江戸時代末期から幕末、明治維新にかけて活躍した偉人たちを輩出しました。自身も子供の時に天然痘に罹患しましたが、蘭学特に医学を学んだのち、世界的に流行していた天然痘の感染予防のために種痘の接種を積極的に推進しました。種痘は昭和の時代まで続いていました。小学生の時に受けた種痘の痕がまだ私の左肩に残っています。新型コロナウイルスの世界的な流行の時にこの話を紹介する機会を探っていたところに、“サル痘”のニュースが飛び込んできました。1980年に天然痘の撲滅が宣言されましたが、日本国内では1978年に種痘を終了しています。種痘を受けた人はこの“サル痘”には感染予防効果があり、感染しても軽症で済むとのことです。平成以降に生まれた方は御用心を‥。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html

2022/06/15
2022/6/15 ブログ

1.はじめに

 最近、大鐘稔彦先生の著書「私が”足の裏の飯粒”を取らなかった理由」(2021年11月発刊)を読みました。小生は、若いうちに医局を離れ、あちこちを転々とするなかで、「はぐれ外様医師」として一匹狼のごとく生きてきました。この本では「アウトサイダー医師」と表現されていますが、同じ意味を示しています。
 博士号なんて要らないとされていますが、博士号(医学博士)を取得した経験からすれば、ある意味であったほうがいいと思います。なぜなら、学会研究発表する際、「医学博士なんだから」と上司に妨害されることがありませんでした。あと強いていうならば、国立の機関で働く場合、手当がつきました(当時、月500円)。それだけのことです。はっきり言うと、医学博士は過去の栄光に過ぎません。
 しかし、臨床医家としての「アウトサイダー医師」では、たとえ博士号を取得していなくても何ら問題とはなりません。特に外科系では、腕さえあれば(実力さえあれば)大丈夫です。患者さんが評価するわけですから。

(小生、アマゾンで購入)

 さらに、現職医師の大鐘稔彦先生の著書に「孤高のメス」というベストセラーがあります。実は完全映画化されています。地域医療という現代医療が直面する大きな問題に一石を投じています。小生が肌で感じた過去の記憶に似たものが含まれています。共感できるところがたくさんありました。

2.孤高のメス~外科医当麻鉄彦~(全6巻)

(小生、アマゾンで購入)

 原本(著書)とドラマを比較することに興味のある小生は、先にドラマを見るのか、先に原本を読むのかは、その都度選択しており法則はありません。まあ、気まぐれなんです。(笑)
 今回はドラマ「孤高のメス」(堤真一主演)を解説しておきます。
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 ある地方の市民病院に外科医当麻鉄彦が赴任する。当麻は、腐敗した病院の中で次々と困難なオペを成功させていく。その信念に満ちた姿はやがて病院や人々の心を動かし、信頼を獲得していく。そんな中、肝硬変に倒れた市長が市民病院に搬送されてきた。助ける方法は唯一、脳死状態のA少年から肝臓移植を受けることだった。しかし、それは日本の法律ではいまだ認められていない禁断のオペだった。当麻は、信念のもと進退をかけてオペに臨む。クライマックスのオペは見事成功し、市長は一命をとりとめた。違法性の議論がなされたが、A少年の肉親の強い意志が容認され、書類送検は見送られた。
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3. まとめ

「孤高のメス」を是非、鑑賞してください。ちなみに、連続ドラマ版(滝沢秀明主演)もあります。

 かつて肝臓専門医だった小生は、肝臓移植に関与したことがありました。当時、原発性胆汁性肝硬変の43歳女性を生体肝移植に送り出しました。最後に交した言葉は、「先生、好きな人には好きと言ってね」でした。しかし、無事に帰って来ませんでした。この記憶はいつまでも消えません。

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