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院長のブログ

2022/12/26
冬本番❄︎

令和4年師走

太平洋赤道域の日付変更線付近から南米沿岸に至る海域の水温が地球規模の天候に大きく影響を与えていることはご存知と思います。海面の水温が平年より1年程度あるいはそれ以上に高くなる現象をエルニーニョ現象、その逆をラニーニョ現象と呼ばれています。海面水温が上昇すると貿易風と呼ばれる東風が平常時よりも弱くなり、南太平洋西部に溜まっていた暖かい海水が東へ広がるとともに、東部では冷たい水の沸き起こりが弱まります。そのために太平洋赤道域の中部から東部では、海面水温が通常より高くなり、積乱雲が盛んに発生する海域が平常時より東に移ります。活発な大気の対流活動が東に移動しインドネシアや南米北部では平年より雨が少なく暖かくなります。熱帯からの大気の変動により、日本では冷夏、暖冬となる傾向があります。ラニーニョ現象は海面水温が低下し、周り回って日本では猛暑、厳冬になります。

「越前おおの冬物語」準備中

冬になると太平洋側の地域は晴天であっても、日本海側は曇りであったり雪であったりします。日本海を北上するにつれて積雪量は増えてきます。しかし、積雪記録の世界一は滋賀県の伊吹山山頂であると聞くと若干の驚きがあります。伊吹山より北東に越前国(福井県)と美濃国(岐阜県)を結ぶ「越前街道」「美濃街道」は雪深い九頭竜川に沿って浅倉氏が城を構えた一乗谷を横目に見ながら福井平野につながります。途中の大野市では2月に雪見灯ろうが並べられ「冬物語」というお祭りがあり、大野城を背景に花火を打ち上げるとのことです。また、加賀百万石のお城が置かれた金沢市は、駅を降りると鼓門が迎えてくれますが、秋も深まると雪のため木の枝が折れないように雪吊りの作業が始まります。兼六園の春の新緑や秋の紅葉も綺麗ですが、冬の雪吊りも見どころです。

「徽軫灯籠(琴柱)雪景色」兼六園

冬のこの時期、JPCZという言葉をよく耳に、目にします。日本海寒帯気団収束帯(Japan sea Polar air mass Convergence Zone)というもので、朝鮮半島北部の高山の影響を寒気流が受け日本海側の天候に影響を与えていると解説されています。大気や空には国境はありませんから、地球規模での影響を考えなければならないことを痛感させられます。
南半球の海洋で起こっていることが北半球の陸地やユーラシア大陸から海を渡ってくる寒気や降雪に大いに影響を与えていることは興味深いところです。
視点は異なりますが、南半球のオーストラリアでインフルエンザの流行があれば、北半球でも遅れてインフルエンザの流行が見られるということがあります。新型コロナ感染症が流行したこの二年間ではインフルエンザの流行は見られませんでした。今年はどうでしょうか。ツインデミックとなるのでしょうか。
エルニーニョ現象やラニーニョ現象のように南半球での気候が地球規模で北半球の天候を大きく動かすことと、インフルエンザ流行の影響が北半球の流行に大きく影響を与えることは何かしらの繋がりがある様に思えてなりません。
首都圏や京阪神を中心に少しずつ、インフレエンザ感染者の数が増えてきています。我々の住む四日市市においてもインフルエンザ感染者が確認されています。クリスマスから患者数が増え、年末年始の休みの間は足踏み状態を示し、新年の松が取れた辺りからインフルエンザ感染者の数が増加し始め、センター試験や高校入試の頃に流行を迎えることが多かったように記憶しています。
さて、今シーズンはどうなるでしょうか。
気をつけ過ぎることはありません。

2022/11/14
暑い夏にお別れ⁉︎ 

令和4年霜月

 太陽の動きに合わせ、一年を24に分け春夏秋冬とは別の季節の区切りを称したものに「節気」という名称があり、その時の気候を漢字二文字で端的に表しています。
 青葉が目に鮮やかな時節から、木々の葉が色づく季節に時の流れを感じる日々になりました。暑かった夏で消耗した体力を回復する秋になりました。秋分が過ぎ、夜が長くなり露が冷たく感じる間も無く朝霜が降る頃になり山の頂から次第に木々が色づき始め、来るべき冬のプロローグとなります。
 毎日、北から或いは周辺の山々から紅葉の便りが届けられます。緑一色の景色から色様々な移り変わる光景を私たちに見せてくれます。朝陽の赤は一日の活力を、夕陽の赤は一日の慰労を与えてくれます。日本を代表する紅葉の赤は心に癒しと和みの時を楽しませてくれます。

滋賀県東近江市「永源寺」

 暖房器具の準備を始める頃になると、北海道の大雪山から始まり、八甲田・奥入瀬・黒部立山・香嵐渓へと南下してきます。身近なところでは御在所岳や水沢もみじ谷がありますが、それぞれの地域には紅葉の名所があります。
 少し時間的に余裕のある時は、鈴鹿の山を越え滋賀県に入ると永源寺や西明寺・金剛輪寺・百済寺といった湖東三山が有名です。少し足を伸ばして安土町には白洲正子が紹介した教林坊有名です。京都府まで少し足を伸ばせば岩船寺や浄瑠璃寺の三重塔も出迎えてくれます。

京都府木津川市「浄瑠璃寺」

そのほかにも書ききれないほど多くの楽しませてくれる所がたくさんます。目的地に至る途中でも素晴らしい景色に遭遇することがあります。釣瓶落としと言われるこの時期、食欲だけでなく目や心の満足を満たしてくれる秋を十分に堪能しましょう。

2022/08/08
この暑い時にこそ涼しい話を⁈

令和4年文月

 「雪は天から送られた手紙である。」
 この言葉を残したのは、中谷宇吉郎です。加賀市片山津出身の科学者で、世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出した人です。東京大学を卒業後理化学研究所に入りイギリス留学後北海道大学理学部教授として北海道に渡り、雪の研究を始めます。冬の大雪山にこもり研究を始めました。人工雪に終わらずその後は、広く海外にまで足を伸ばしグリーンランドでは氷について研究を始めます。また、科学だけにとどまらずあらゆる分野にわたる随筆を数多く残しています。
 理化学研究所時代、寺田寅彦に師事しています。寺田寅彦も多くの随筆を残しています。寺田寅彦の熊本第五高等学校時代の英語教師が夏目漱石であり、漱石が主宰していた俳句会に参加していたことから、当時科学以外にも大きな影響を受けたと推察されます。中谷博士や寺田博士は海外留学の経験がありますが、二人とも伴侶を病気で失っているというおかしな共通点もあります。

片山津市「雪の科学館」

 宇吉郎は雪の研究のため北海道に行ったのでなく、北海道という寒冷の環境の中で研究の対象が雪であったというだけのようです。「誰も生まれない前から雪は降っていた」という言葉が表すように、北海道の自然の中に自分の一生を決定する研究対象を見出したのです。

旭川「雪の美術館」(現在閉館中)のクリスタルの一部

 住めば都という言葉が示すように、自分の生活場所に慣れてくれば、またその中に楽しみや意義を見出せば、その地での毎日は決して捨てたものではなく、光り輝いてくることになります。自らの境遇を嘆く暇があれば、新たな喜びや意義をそこで見出すように心がけるようにすることが大切だと思います。

雪の科学館中庭

 北陸自動車道片山津インターから温泉街に向う途中に中谷宇吉郎 雪の科学館があり、中庭は中谷博士が研究に赴いたグリーンランドの地をイメージで作られ、霧アーチストである娘(中谷芙二子)さんの手も入っています。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/52468_49669.html

2022/06/25
桃太郎の故郷〜吉備路〜での発見

令和4年水無月

雉・猿・犬の話で有名である桃太郎は鬼ヶ城で鬼を打ち破り、金銀財宝を故郷に持って帰り、その後はどうなったのか。それには諸説あります。文豪と言われる人が書き表したものをご参考まで。(下記参照)
子供の頃、祖父の発案で私の家族と大阪に住む父親の妹の家族とで岡山を訪れたことがありました。当時は高速道路もなく車で国道2号線を西へ西へと向かいました。岡山市の北西に高松稲荷にある最上稲荷を目指しました。同じ敷地に最上稲荷山妙教寺が並んで建てられています。妙教寺は当家菩提寺と同じ宗派で、曽祖父が醸造業を継承するに当たり願をかけた寺であるとのことでした。

最上稲荷

当時N H Kの大河ドラマで緒形拳が秀吉役の太閤記が放映され、高松城の水責め、本能寺の変や中国大返しは耳にしていました。参拝の道中に高松城の史跡を発見し、こんな所に堤を作り城を攻めたのかとおぼろげに記憶に残っていました。高校の時、上野盆地の四方の山に降った雨は木津川となって岩倉峡を経て島ヶ原・大河原・加茂を通り北上し京都山崎で桂川・宇治川と合流し淀川と名前を変えて大阪湾に注ぐ、地理の授業で説明を受けました。出口の岩倉峡で木津川の水を堰き止めると上野盆地は湖になり中央の河岸段丘の上にある上野白鳳城は水に浮かび美しい眺めとなると冗談で話されました。そのイメージと備中高松状の水攻めが重なって長い間頭の中に残っていました。

備中高松城跡

最上稲荷と吉備津神社を目当てに平成13年春岡山に向かいました。当時はカーナビ等ない時代で、あちこちと道に迷いながら最上稲荷に向かいましたが、その途中で偶然「緒方洪庵」の字を目にしました。

緒方洪庵の像

大阪に適塾(適々斎塾)を開き、江戸時代末期から幕末、明治維新にかけて活躍した偉人たちを輩出しました。自身も子供の時に天然痘に罹患しましたが、蘭学特に医学を学んだのち、世界的に流行していた天然痘の感染予防のために種痘の接種を積極的に推進しました。種痘は昭和の時代まで続いていました。小学生の時に受けた種痘の痕がまだ私の左肩に残っています。新型コロナウイルスの世界的な流行の時にこの話を紹介する機会を探っていたところに、“サル痘”のニュースが飛び込んできました。1980年に天然痘の撲滅が宣言されましたが、日本国内では1978年に種痘を終了しています。種痘を受けた人はこの“サル痘”には感染予防効果があり、感染しても軽症で済むとのことです。平成以降に生まれた方は御用心を‥。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/100_15253.html

2022/05/23
今はなき寝台夜行列車の旅《1》《名古屋から中津へ》

本来ならば気候も良く旅行シーズン真っ只中ですが、世間の情勢は甘くないようです。
小学生の頃、東京にいる従兄弟たちが夏休みになると母方の実家である伊賀に遊びに来ていました。当時新幹線もなく東京に帰るときは関西本線から東海道本線を走る「大和」という急行列車がありました。伊賀上野の駅を夜10時頃出発し翌朝7時前に東京駅に到着する列車で、伊賀上野の駅のある関西本線は蒸気機関車(D51)が引っ張っていました。その頃から夜通し走る列車に非常に興味を持っていました。
大学の卒業試験で及第出来ず卒業延期になった同級生が、発表があった翌日大阪駅から北海道への感傷旅行を見送ったのが夜行寝台「日本海」でした。長年抱いていた夢でもある寝台列車の旅が20年前の夏休みに実現しました。

機会があればと思い続けていましたが、平成14年の夏、夜行寝台特急「富士」が夢を叶えてくれました。東京駅を夕方出発し名古屋駅には午後9時過ぎに到着します。名古屋駅から大分県の中津駅まで乗車しました。東日本と西日本では電流の周波数が異なります。また、本州と九州では電圧だけでなく直流・交流の違いもあります。関門トンネルを通過する時は、本州側の下関駅でトンネル用の機関車に変え、九州側の門司駅では九州用の機関車に替えるという作業をしていました。

その時の旅の目的は、夜行寝台に乗ること以外にもう一つありました。子供の頃読んだ菊池寛著の「恩讐の彼方に」の主人公である禅海和尚が開削した青の洞門を見たかったからでした。早朝中津駅に着きました。

コツコツと独りで掘り始めました。住民たちの手助けもありましたが、21年の歳月を経て開通しました。その後も幾たびかの改修、拡張工事と手を加えられ自動車が通行できるようになりましたが、明かり取りの窓に完成当初のノミ跡が残っています。

この小説は、書体も古く難解な漢字が多く、短編の割に最後まで読むのに多少時間が必要ですが、読んだ後に残る胸の中の熱い思いは忘れる事ができないと思います。時間を見つけてぜひご一読いただければと思います。こうして現在まで洞門を始め耶馬溪の景色が残っているのは、中津出身の明治維新の教育者福沢諭吉がこの景観保護のために尽力を尽くしたとのことです。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/496_19866.html

2022/04/25
2022/4/25

お元気ですか?
めっきり春らしくなり、樹々の花も競演しています。桜に続きツツジ、サツキと目を楽しませてくれます。生前母がサツキの花が満開になると“則次の誕生日”とよく言っていました。五月が来ると数え年で古希となり、いつの間にか父親の歳を超えました。医師の働き方改革というわけではありませんが、これからは時間を有意義に過ごそうと思います。
あちこちと車で出かけるのが好きで、今までから休日に時間が空けば、フラーッと出かけていました。その時に備え常日頃から下調べしていました。
その延長線上にあったのが“アップルの遠足”です。年2回行いました。
単に見るだけ、遊ぶだけではなく、歩き運動をするということを意識しないで、体を動かすという趣旨の旅行でした。道中のバスの中で健康や病気について、訪問先の地理や歴史についても学びました。2〜3ヶ月前から職員が仕事の合間の時間に集まり計画を練り下調べの予行演習もしました。当日参加された患者様と楽しい時間を共有するための色々な工夫を凝らしました。

荷坂峠H19.4.13

東日本の震災を契機に、私の体力の低下もあって以降は残念ながら行っていません。

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