ymnk-hsp-user
- 2025/01/04
- 2025/01/03
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今年はこの境地で前進したい。
渋沢栄一著の「論語と算盤」に格言五則がある。
そのうちの一つを示すと、「志意修まれば、即ち富貴を騙り、道義重ければ、即ち王公を軽しとす。荀子」がある。
「志がきちんとしていれば、富や地位など問題でない。人間としてのありかたができていたならば、権力に媚びることはない。」という意味である。
凡人の小生。不可能は承知。
しかし、儚い夢をみることは自由である。
叶わない夢を追いかけるのも、凡人らしくていいだろう。
- 2025/01/02
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今年の目標
1.学問は無理せず現状維持。
2.学会のついでに国内旅行。
今年はこれだけにします。
地味にいこう。
これなら、欲深くないでしょう!?
健康管理は念入りにしますけど・・・。
- 2025/01/01
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謹賀新年
皆様のご多幸を祈る。
さて、今年の目標は「天才を追う」です。
そして、小生の進化型総合診療構想の学直再考です。
初心に戻って、いざ学び直しです。
以下、小生の診療範囲とこれからの目標です。
a.健診・検診・人間ドック
予防医学の基本。早期発見および早期治療の必要性。
エビデンス不足もあるが、個別に検討していく戦略を考えている。
b.一般疾患
この機会はいつまでも奪われない。案外、奥が深い。
まれな疾患も鑑別診断から漏れないように意識して診療していきたい。
c.消化器疾患
専門医を維持している。技術的な上部消化管内視鏡(EsophagoGastroDuodenoscopy:EGD)だけは今でも続けている。
まだまだ、新所見が出てきており、学ぶことが多い。学び続ける姿勢を忘れないようにしたい。
d.感染症疾患
専門医を維持している。
院内感染対策、地域連携、耐性菌の問題など。
課題は山積しており、遅れをとらないようにしたい。
e.脳血管疾患
脳ドック学会に入会し、脳血管疾患や認知症予防に力を入れている。
地域の取り組みに対応している。
f.リウマチ膠原病疾患
専門医を維持している。
関節リウマチを中心にバイオ製剤治療も少なからず行っている。
新薬情報に遅れを取らないように対応したい。
g.生活習慣病
生活習慣病の予防に取り組んでいる。
アップデートされるガイドラインを参考に治療を継続している。
h.漢方診療
漢方認定医は返上したが、漢方家庭医を取得し、漢方診療を継続している。
さまざまな分野の処方を可能にしたい。チャンピオン症例(=宝例)を探す旅に出航している。
i.緩和ケア
終末期ケア専門士に引き続き、上級専門士を取得。
緩和医学だけでなく医学以外の知識も身につけた。例えば、法学、心理学や行動経済学など。
また、医療に役立つ学問も継続学習していく。例えば、死生学など。
j.学会活動
経験症例や臨床研究を発表していく。
最近、第74回日本病院学会で多分野にわたり発表した。
k.医師会活動
三重県医師会雑誌(三重医報)の執筆を続けている。
四日市医師会の東洋医学研究会で常連講師を継続している。
産業医更新のための研修会に出席し、自己研磨をしている。
産業医学の範囲は広いため、全範囲の把握は困難である。法令やメンタルヘルスなどを課題にしている。
l.保健福祉活動
四日市市胃がん検診読影委員会の委員を務めている。
四日市市認知症早期診断事業も少なからず行っている。
m.協会団体活動
日本糖尿病協会、日本脳卒中協会、日本アレルギー協会および全国膠原病友の会に入会し、患者の生の声に耳を傾けてきた。
これからも継続していきたい。
n.教育活動
感染対策(院内)や医療安全(院内)に関し、職員教育を継続している。
o.在宅医療
近隣の受け持ち患者を少数ながら、経験した。
機会があれば、これからも継続したい。
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今までもこれからも、「地域に密着して人々の健康を支えている医師」である「赤ひげ先生」を夢みている。
なお、赤ひげの由来は以下のとおりである。
日本において、総合病院の専門医などに比べて、身近な医療の提供者として開業医が多い。 地域医療の実働部隊であることは言うまでもない。
作家の山本周五郎が小説「赤ひげ診療譚」に描いたように、貧しく病む人を懸命に治療する医師は「赤ひげ先生」と呼ばれ、伝統的に日本の医師の目指すべき理想像の一つとされてきた。
黒澤明監督が映画化したことで、一般の方々にも親しまれているこの「赤ひげ先生」の実在モデルは、江戸中期に貧民救済施設である小石川養生所で活躍した小川笙船と言われている。
日本医師会は、平成24年に赤ひげ大賞を創設した。貧しく不幸な人々に寄り添い、身を粉にして働く頼もしい医師というイメージが受賞者にふさわしいと考え、命名したという。
- 2024/12/31
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2024/12/31
体調の回復に伴い、ブログを再開することができるようになりました。
今年もお世話になりました。来年は、無理せず、穏やかに暮らしたいと思っております。
さて、今から18年前のこと。あの頃、敗走して地元三重へ。
ああ「敗走医」。
持病の適応障害も悪化していたのであった。
ところが、診療開始したら、久しぶりに再会する人がぼつぼつ出現し始めた。
高校の同級生。中学校時代の先生や同級生。
帰郷したという実感。帰ってきたという実感。
自分の居場所を感じた。地元三重。
しかし、魔の手は迫ってきていたのであった。
- 2024/12/30
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2024/12/30
雑用専門医を窮(きわ)めるとしよう
総合医 君もか僕も 雑用医
案外、総合医は脇役かもしれないな~~~
それにしても、専門医はかっこいいな~~~
院内のある先生が、専門医である小生に相談せずに(相談してくれずに)、他病院の専門医に紹介していた。
残念だなあ。総合医(総合診療医)には任せられないと思うんだろうな。
だけど、納得!!!
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ある雑誌(医事新報?)で、岩田健太郎先生(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)のボヤキ記事を読んだ覚えがある。
・・・感染症を勉強していたある医師が、「感染症ではなく総合診療をやりたい」と言ってきたという。「自分は感染症のような専門領域ではなく、総合診療のような患者中心の医療をやりたいのだ」と申し出てきたという。
・・・(岩田先生の)個人的な意見によると、「プライマリ・ケアの領域は家で言えばダイニングルームだ。脳外科や心臓外科のような花形は玄関や客間だろうか。我々感染症領域は便所である。」とされていた。「ただし、便所が汚かったり壊れてたり、あるいは存在しなかったら、生活の質はだだ下がりだけど。」とおっしゃっていた。
・・・(岩田先生も若い頃は勘違いしていたというが・・・、)「何でもできる医者」になりたがる人は多いが、実際には「何でもしている」医者はこの世にはいない。「患者中心の医療がやりたいから総合診療をやりたい」というのは単なる自分のエゴの発動、「自分中心の医療」以外の何者でもない。主役か脇役かで言えば、感染症屋は明らかに脇役だ。脇役でよいから、「患者中心の医療」がやりたい人は一緒にここで(感染症屋を)やりませんか?(と岩田先生は言う。)
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岩田先生の頭脳はスゴい。現実的だ。飾りがない。
それはさておき、感染症専門医を有する小生。便所掃除を頑張ります。脇役、大いに頑張ります。
自称、総合診療医の小生。患者中心の医療において、そもそも医師も脇役。ただ、司会者的存在に過ぎない。脇役、謹んでお受けいたします。患者に選ばれたのだから。
まあ、相談されなくてもいいや。脇役はどこでもウェルカムだからね。
雑用専門医・・・、そういう評価だから・・・、潔く受け入れて、励みます。
- 2024/10/25
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ブログ 今年最後
1963年9月15日号から1965年6月13日号まで、「白い巨塔」が『サンデー毎日』に連載された。
当初、第一審目での完結予定だったが、予想外に読者からの反響が大きく、1967年7月23日号から1968年6月9日号にかけて、「続・白い巨塔」が『サンデー毎日』に連載された。
「白い巨塔」および「続・白い巨塔」は、山崎豊子の長編小説。
浪速大学に勤務する財前五郎と里見脩二という対照的な人物を通し、医局制度の問題点や医学界の腐敗を鋭く追及した社会派小説である。
大学病院医局から落ちこぼれた小生ではあったが、権力争いを何となく肌で感じた記憶が残っている。
その中で、北陸地方も時々出てくる。
まず、金沢が出てくる。教授戦対抗馬である金沢大学菊川教授(循環器外科)。胃癌学会会場が金沢。財前と里見の対決。財前の里見に対して、研究内容に対する批判や嫌がらせがある。
次に、富山が出てくる。黒部ダム。壮大なスケールに財前も閉口している。
また、病理学の重要性を説いている。病理検索の重要性を。不十分な検討を許すなと。
財前の手術所見は肉眼で早期胃がんであったが、病理所見では進行がんだった。
裁判所での鑑定医とのやり取りが生々しかった。
病理学で学位をとった小生。遺伝子研究が主流になりつつあった当時であったが、小生は研究内容を病理専攻にした。後悔していない。
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最近、持病が急に悪化し、今年はこれが最後になります。
小生自体、いち早く復活できることを祈念しています。
齋藤孝仁
【後編】子供の頃にはなかったなあ ハロウィン🎃
ハロウィンは毎年10月31日に行われる海外の祭り。
古代アイルランドに住んでいたケルト人が起源と考えられている。いろいろ調べると、
もともとはケルト民族の収穫祭「サウィン祭」が起源。
祖先の霊や妖精たちを迎える日とされる。現代において、アメリカの民間行事として親しまれる。
子供達が魔女やお化けに仮装して「トリック・オア・トリート」と言いながら近所の家々を訪れ、お菓子をもらう風習が一般的。
また、カボチャをくり抜いて作る「ジャック・オー・ランタン」もハロウィンの象徴として知られる。日本でも近年、仮装パーティーやイベントが盛んに行われるようになった。渋谷が混雑とか・・・。
- 2024/10/24
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日本昔ばなし(福井)
ちょっと泣けてくる
昔、福井の味真野(あじまの)というところに、太郎という男の子がいました。
太郎の本当の母親は小さいころに死んでしまい、新しくきた母親に育てられました。
しばらくすると次々に子供が生まれましたが、父親は急な病で死んでしまいました。
新しい母親は、太郎を本当の子供のように育て、後に生まれた弟たちと分け隔てなく接しました。
でも、こんな良い母親には「すぐ怒る」という悪い癖がありました。
今日も思わずカッとした母親は、晩御飯の用意を忘れてしまった太郎を怒鳴って殴りつけ、家から追い出してしまいました。
太郎を追い出した後、母親は激しく後悔しました。
でも20日経っても太郎は見つからず、家にも帰ってきませんでした。
母親は、「もう二度と怒らない」と仏様に祈りながら、太郎の帰りを待ちました。
やがて秋になった頃、突然、太郎が家に帰ってきました。
ずぶぬれで着物もボロボロでしたが、丸々と肥えて元気そうな姿でした。
太郎が帰ってきて喜んだ母親は「これまでどこにいたんだ?」と問いかけましたが、太郎は黙ったままでした。
うんともすんとも言わない太郎に対して、母親は次第に怒りが込み上げてきました。
「もういい!そんなに強情はるなら出ていけ」と、再び家から追い出してしまいました。
ああ悲し。
しかし、母親は仏様に誓ったことを思い出して、急いで太郎を追いかけました。
太郎の足跡を追いかけてたどり着いたその先には、お寺がありました。
お寺の裏庭には甘い水が湧きだす泉があって、母親がこの水を一口飲んでみると元気が湧いてきました。
太郎もこの水のおかげで、元気に育っていたのです。
あーよかった。
この不思議な泉は「子育ての泉」とよばれるようになり、この話を知ったお寺の住職が太郎を引き取り育てることになりました。
やがて、太郎は成人してお寺の住職になりました。
そうして、親のない子供や恵まれない子供を寺に引き取って育てたそうです。
後妻の宿命なんだろうか。実の親子でないと、微妙に心のすれ違いがあるのだろう。
- 2024/10/23
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初夢
新年早々まあまあの夢をみた
彼女(TMさん)と小生の二人で、何やら部屋の中で探し物をしていた。
同じ方向に向かって二人で歩いていたら、彼女が私の右手に手をつないできて、「(あなたを)ゲット!」と言った。
小生の帰り道、ベンチに座っている男性を見かけた。
マクドナルドハンバーガーを食べていた。
そこで、小生が財布を開けたら、100円玉が6個こぼれて、男性の足元に転がっていった。
しかし、実際7個ある。男性に「100円玉1個落としたでしょ?」と声をかけると、「知らない」という。
100円儲かったと思ったが、男性に1個渡した。
男性は不思議そうに受け取り、再びハンバーガーを食べ始めていた。
ちなみに、初夢の日付に三説あり。
「大晦日から元日」説
「元日から2日」説
「2日から3日」説
大晦日から元日にかけて、徹夜で新年を迎えることがあるので、「元旦から2日」説ができたという。
また、「2日から3日」説は、書初めや初商いなど、多くの新年行事が2日に行われることからという。
さらに、初夢で見ると縁起が良いものに、「一富士二鷹三茄子(いちふじ にたか さんなすび)」がある。
その説の元になった川柳に、「駒込は一富士二鷹三茄子」がある。
駒込に駒込富士神社があり、鷹匠屋敷もあり、名産に駒込茄子があったことから、語呂合わせのように3つを並べたという。
つまり、ローカルな川柳が全国に広がった。
また、「一富士二鷹三茄子」に続き、「四扇五煙草六座頭(しおうぎ ごたばこ ろくざとう)」という言葉があったとされる。
富士は「無事」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という言葉にかけられているそうだ。
また、扇は「広がる」、煙草は「煙が立ち昇る様子から運気が上がる」、座頭は「けががない」という意味があるという。
「一富士二鷹三茄子」の由来は諸説あるが、徳川家康が好んだ「富士山」「鷹狩り」「茄子」を順番に並べたという説が有力とされる。
ちなみに、鷹匠屋敷は、現在の駒込病院。
(鷹匠とは、タカやハヤブサを飼育し、鳥や小動物を捕らえるよう訓練する専門家のこと)
- 2024/10/22
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ああ年末③
2023/12/31夢日記
思い通りにいかない夢をみた
前夜に富山に出かけていた。
朝6時頃、午前9時からの外来代理を頼まれていたので、急いで病院に戻っていた。
バスに乗ろうと国道に向かって歩いていたが、なかなか国道に辿り着けない。
それどころか、道に迷い、湖のほとりに出た。
向こうに国道が見えたので、足早に道を返した。
曲がり角で、停車中の白い車を見つけた。
運転席に女性が乗っており、主人を降ろしたところであった。
道を尋ねようと声をかけに近づいた。願わくは、乗せて行ってもらおうと祈ったが、そばにいた主人が何やら訳の分からないことを言ってきて、うまくいかなかった。
そこで、福井の妻の実家に車を止めていることを思い出し、そこに向かおうと歩き出した。
タクシーを拾ったら、伊地知と忘れずに言おうと思っていた。
しかし、タクシーはいつまでたってもやって来ない。
時間は刻々と過ぎる。
ああ間に合わない・・・。
どうしよう。焦りは絶頂。
万事休す。
自民党御仕置選挙が終わって、新年を迎えた。
昨年10月、第50回衆議院総選挙が行われた。逆風の中、与党は過半数を獲得できなかったが、少数与党の状態ながら、石破総理が辛うじて政権を維持している。「裏金問題」、つまり「政治とカネ」問題であるが、今更って感じである。そもそも、田中角栄の金脈問題で最後にすべきだったのではないか?やはり、特権がなくなってしまうことに未練があるのか?
子供の頃、ルールを破ったとよく怒られた。そもそも、大人がルールを守れていない現状。子供を怒る資格はあるのだろうか?
正直者がバカをみない社会を実現してもらいたいものだ。
正直者がバカをみるとは・・・、世の中の矛盾を言ったことば。ずる賢く立ち回る者が得をして、正直に規則や秩序を守る者が損をするというたとえ。悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。
まんがタイムボカンシリーズの「おしおきだべ~~~」を思い起こす。