医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

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2023/12/25
鳥の詩(唄 杉田かおる)

初恋時代が終わって、中学3年生。やはり、哀愁漂う日々。
転校していった彼女を思いながらも、歌詞に心動かされて独学伴奏できるようにした。

好きなところは下線部。

1番
あなたがいた頃は 笑いさざめき
誰もが幸福に見えていたけど
人は人と別れて あとで何を想う

鳥は鳥と別れて 雲になる 雪になる
私の心が空ならば 必ず真白な鳥が舞う
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩

2番
あなたを想うのは 日ぐれ時から
あたりが夕闇に沈む時まで
人は人と別れて 夜にひとり迷う

鳥は鳥と別れて 月になる 風になる
私の心が水ならば 必ず北から鳥が来る
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩

3番
あなたはいつの日か 巣立つ私を
静かな微笑みで見つめてくれる
人は人と別れて 愛の重さ覚え

鳥は鳥と別れて 春になる 秋になる
私の心が湖ならば 必ずやさしい鳥が棲む
鳥よ 鳥よ 鳥たちよ
鳥よ 鳥よ 鳥の詩

中学校3年生時代は、多忙な日々であった。生徒会活動も行っていたから。

確か、中学2年生の3学期末。生徒会に立候補したとき、壇上から彼女を眺めた記憶がある。

このとき、転校していく情報はなかった。しかし、前年夏にみた夢は正夢になることに。

彼女の転校は現実となった。

2023/12/24
「人間失格」(太宰治著)とジャニーズ性加害問題

「人間失格」の第一の手記に以下の一節(ひとふし)がある。

 けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡そ対蹠的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡りに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。

 ジャニーズ性加害問題を重ねて考えてしまうのは、小生だけであろうか?

 訴える勇気と訴えない勇気。幼少時から、本当の事を言う習慣がついていない?

 さらに、政治家の裏金問題も然り。悪いと言えない人間の深い心の闇。性悪説の典型なのか?

2023/12/23
中学3年生

甘酸っぱい初恋の中学2年生は過ぎ去った。
独学ピアノ伴奏という奇跡は過去の事実となった。
彼女はいない。しかし、小生は心身ともに成長した。

この頃、音楽の授業で「さらば青春」を歌った。
歌詞に敏感になっていた。「僕は呼びかけはしない 遠くすぎ去るものに・・・」

小生を慰めるために、独学伴奏を断行した。辛うじてできるようになった。

さらば青春(中3)

僕は呼びかけはしない
遠くすぎ去るものに
僕は呼びかけはしない
かたわらを行くものさえ
見るがいい黒い水が
抱き込むように流れてく
少女よ泣くのはお止め
風も木も川も土も
みんなみんな
たわむれの口笛を吹く

僕は呼びかけはしない
遠くすぎ去るものに
僕は呼びかけはしない
かたわらを行くものさえ
見るがいい黒い犬が
えものさがしてかけて行く
少女よ泣くのはお止め
空も海も月も星も
みんなみんな
うつろな輝きだ
ラララ…

うつろな輝きを放ち、高校受験に挑んだ。
灰色の青春。修学旅行中も寂しい気持ちが付きまとった。

2023/12/22
神様のカルテ 続き

その4 命の重さ
 栗原が日々奮闘している頃、栗原の住む御嶽荘の住人である片島榛名は冬山登山をしていた。行程の途中で先行していたはずの男性の姿が見えないことに気づいた。捜索の末、吹雪の中に怪我をした男性を発見した。死を覚悟して生きる勇気のない男性に対して、片島は叱咤し、荷物をその場に置いて男性を山小屋に連れ帰った。
翌朝、弁明を試みた男性に対して、片島は静かに自らの考えを語りかけた。山は帰るために登るものであり、帰る場所は自分でつくるのだと。
また、山小屋には他に一組の夫婦が滞在していた。この夫婦にとって、今回の登山は幼くして亡くした息子の弔い登山であった。それを知った男性は生きる気力を取り戻し、吹雪の去ったのち、男性はヘリで救助された。
 片島は撮影をしながら自力で下山した。駅の改札を抜けると、「帰ってきた・・・」と安堵すると同時に、心に占めるものは冬山の記憶でなく、帰宅を待っているであろう心温まる男性の存在であった。玄関の引き戸を開けたその瞬間、ここが自分の居場所と確信した。
<感想>
 少しわき道に反れた構成のようであるが、命の重さを語る上で、この章にアクセントを感じる。栗原と片島の将来的な関係性を含蓄しているようだ。

2023/12/21
シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées, Les Champs-Élysées)

フランス・パリの市内北西部にある大通り。パリ市内で最も美しい通りとされる。「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と表現される。

『オー・シャンゼリゼ』という流行歌は世界的に有名。

小生、かつて本命に挑むため、フランス語で歌えるようにした。カラオケでよく歌って練習した。今でも歌える。

そして、初歩的なピアノ伴奏も独学でできるようにした。今でも何とか弾ける程度だけど・・・。

この曲を最後に、新曲の練習はしていない。

1番
Je m’baladais sur l’avenue
le cœur ouvert à l’inconnu
J’avais envie de dire bonjour à n’importe qui
N’importe qui et ce fut toi
je t’ai dit n’importe quoi
Il suffisait de te parler pour t’apprivoiser
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
aux Champs-Elysées

2番
Tu m’as dit “J’ai rendez-vous
dans un sous-sol avec des fous
Qui vivent la guitare à la main, du soir au matin”
Alors je t’ai accompagnée, on a chanté, on a dansé
Et l’on n’a même pas pensé à s’embrasser
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
aux Champs-Elysées

3番
Hier soir, deux inconnus et ce matin sur l’avenue
Deux amourreaux tout etourdis par la longue nuit
Et de l’Etolie a la Concorde, un orchestre a mille cordes
Tous les oiseaux du point du jour chantent I’amour
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
aux Champs-Elysées

このテンポのいいリズミカルな歌に心和まされたことが多かった。今でもそうだ。

2023/12/20
2023/12/20 ブログ

無残な夢をみた。

 胸苦しさを感じながら、残酷にも夢が続いた。

 旧職場に戻ることになった。

 かつての内科外来は、寂れていた。人気はなく、殺風景。

 リハビリ科に行くと、スタッフには無視されっ放し。

 小生の席は、プレハブの窓際の席。隣のナースに冷たい言葉をかけられた。

 ここではね・・・。

 病院内のどこを歩いても、誰も相手にしてくれなかった。

 院内をひと回りして、小生の席に帰ってくる途中、窓から水色のナース服を着た女性が目に入った。

 胸の谷間をくっきり見せていた。どういうつもりなのか?

小生の深層心理はいかに?

 そういう役回りの運命だったのだろう。その身分は受け入れる。

 しかし、現実でない。助かったと思い、今を大切にしたい。

 ちなみに、女性に誘惑性はあるのだろうか?

2023/12/19
2023/12/19 ブログ

腫瘍マーカーCEA(Carcinoembryonic Antigen) :正常値(基準値)は5.0ng/mL以下。

 CEAは腫瘍マーカーの1つ。もともとCEAは胎児の腸にみられるたんぱく質で、そのために大腸がんに反応しやすい腫瘍マーカーとされる。大腸がんだけでなく、胃がん、肺がん、乳がんなどでも増加する。つまり、消化器癌を中心とした、比較的多くのがんに反応しやすい。

 CEAは通常の血液検査でできるため、検診などで行われることがある。確かに、CEAが高いとがんの発生や再発を示すことがあるが、単に高いだけではがんの診断にはならない。CEAが高い場合は、内視鏡検査や画像検査でがんの有無を調べる必要がある。ところが、案外見つからないことが多い。CEAは、正常細胞では分泌しづらく(だから、血液で検出しづらく)、がんで分泌しやすい(だから、血液で検出しやすい)特徴を持つに過ぎず、がん以外の炎症細胞でも分泌されることがある。

 小生の経験では、20~30ng/mLでもがんが見つからないケースがあった。もちろん、翌年も元気に検診にやってくるケースである。常に、不気味さを感じる瞬間である。

 小生の意見として、「腫瘍が認められない場合には、安易にCEA検査をしない方がいい」と考える。逆に、「CEAが正常だからがんでない」と考えるのは危険だと思う。さらに、CEAは早期がんを見つけるものでもないように感じる。

2023/12/18
ワーク・ライフ・バランス

ワーク・ライフ・バランスとは、「仕事と生活を調和させること」という。

ただし、仕事を少なくしてプライベートを充実させることではない。

もちろん、女性のためだけの取り組みでもない。

性別年齢問わず、仕事と生活を両立させ、相乗効果を生み出すという意味が含まれるという。

仕事も生活もどちらも充実してこそ、生きがいや喜びを感じられるということ・・・そんなの分かり切っている。

現実は違う。いかにそのケースを示す。

・仕事だけに追われてしまい、心身のストレスから健康を害してしまうケース

・仕事と家事・育児・介護などの両立がそもそも難しいケース

・家庭の事情で安定した職に就けず、経済的自立ができないケース

そのために提唱されたのが、内閣府の「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」という。

その前に、ワーク・ラーン・バランスを考慮すべきだろう。ワークの中に学ぶ(ラーン)時間を含めるべきだろう。

ライフを犠牲にして、学ぶ(ラーン)ことは多い。勉強(スタディー)時間も無視できないはず。

ワーク・ラーン・ライフ・バランスを提唱する。

2023/12/17
横浜市緑区十日市場町

JR横浜線十日市場駅前。懐かしい場所である。

横浜勤務の際、この近くにある新緑病院に外勤アルバイトに行っていた。

十日市場駅で降りて、歩いて行っていたような記憶がある。

さらに、三重県に帰ってきてからも、この近辺に昔の患者さんが住んでいて(今でもメル友)、会いに行った記憶がある。

ファミリーレストランで飲み食いしたことも懐かしい。

また、この地を訪れることはあるのだろうか?

本当にこの地で働いていたのであろうか?

幻ではなかったのか?夢物語でなかったのか?

ここでも一曲(竹内まりやのマンハッタン・キス)練習して、ピアノ伴奏したような・・・。

やはり夢か?

2023/12/16
死角がん

 最近、死角がんの患者さんのことを思い出した。

 「死角がん」という呼び方はないのであるが、簡単に言えば、見えなかったので診断できなかったがんである。

 見えているのに診断できなかったがんは稀にある。例えば、検査目的と異なったところに偶然に見つかるがんである。

 実際、がんと言っても、細胞の検査までしないとがんと確定できない。当たり前であるが・・・。

 細胞の検査ができないがんもあり、その場合、画像だけでそうだろうと診断してしまうことも時々ある。

 それによって、誤診に至って欲しくないのであるが・・・。リスクとの相談も必要であるし・・・。

 話は逸れたが、内視鏡医は胃カメラや大腸カメラをする。長細い袋の中をファイバースコープで見ている。胃は丸い袋に近いので死角はわずかである。しかし、大腸はヒダがあるので、その裏側は10~15%の死角になる。検査中は大腸の動きを止めるので、どうしても死角ができてしまう。見えなかった病変が、大腸が動くこと(蠕動すること)で見えてくることを時々経験した。よかった。その一言である。安堵する。

 検査の時は、緊張しながら正面視するのが通常である。左右をチラ見するセンスも必要である。何となく、自動車の運転に似ているように感じる。

 常に死角を意識して、内視鏡検査に取り組もうとあらためて思う。

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