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- 2025/11/05
- 2025/11/04
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2025/9/14ボクシング
類まれなるチャンピオン井上尚弥選手。
衰えたどころか、成長していました。
KOがすべてでない。勝利最優先主義。
見習いたいです。クレバーな戦略。
私も56歳ですが、成長したいと思わせてくれた試合でした。
そして、試合にクレバーな人生観が漂っていました。
ここで思い出します。
「まだ少しずつ上達している」―パブロ・カザルスの言葉
チェロの巨匠であるパブロ・カザルスは20世紀を代表する音楽家。彼は生涯を通じて、演奏活動だけでなく、平和や人権を訴える活動にも力を注いだ。
そんなカザルスは、90歳を過ぎてもなお、毎朝チェロの練習を欠かさなかったことは有名。
ある問いかけ、「先生、なぜそんなにご高齢になっても、まだ練習を続けるのですか?」に対して、シンプルに回答したそうです。
「私はまだ、少しずつ上達しているからです。」と。
この言葉には、人の成長に「年齢の限界」はないという真理が凝縮されている。人間は、歳を重ねると「もう若くはない」「衰えるばかりだ」と思いがち。
しかし、カザルスは違った。90歳を過ぎても「昨日より今日、今日より明日」と、前に進むことをやめなかった。
この姿勢は、私たちも「人生のどの時点からでも新しいステップを踏み出せる」と思わせてくれます。この言葉を胸に刻めば、日々の仕事や学びの中で「まだ自分は成長できる」という希望を持ち続けられる。
最後に、みなさまに一言。
「あなたは今日、どんな成長を感じますか?」 - 2025/11/03
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納得いかない夢を見た
職場の話。どこだかわからない。
散々、厄介なことで働かされた挙句に、文句を言ったら、自分の座席が片付けられていた。
殺風景になっていたところに立ち尽くしていたら、看護師がやってきた。
うなずいていたので、自分がクビになったことを実感した。
上司は出てこなかった。
自分も状況を理解し、腹立たしかったが、受け入れた。
AI夢判断は以下の通り。
- 職場・座席・解雇のイメージ
職場:現実の仕事そのものだけでなく、「社会的役割」「責任」「居場所」の象徴。 自分の座席が片付けられていた:アイデンティティや役割を剥奪される不安、居場所を失う恐怖の表現。 上司が出てこなかった:権威的な存在に対して、直接ぶつかることを避けている心理かもしれません。つまり「怒りをぶつけたいが、相手に出てきてほしくない」という ambivalence(両価感情)。 - 看護師が登場した点
看護師は「ケア」「癒し」「受容」の象徴。夢の中で、上司ではなく看護師が出てきたのは、厳しい裁断ではなく「やさしい承認」を潜在的に求めている可能性があります。 うなずいた=外部から「そうだよ」と事実を突きつけられた形。これは、自分の内面の「ほんとうはもう分かっていた」気持ちの投影かもしれません。 - 感情面(腹立たしさと受け入れ)
怒りと同時に受容しているのは、現実生活でも「納得はいかないけど、仕方がない」と飲み込む場面が多いことの反映かもしれません。 特に、職場で「理不尽な役割」や「過大な負担」を抱えている場合、夢がそれを象徴化していることが多いです。
まとめると・・・この夢は、
「自分の役割を奪われるのでは、という不安」、「理不尽に働かされている感覚」および「怒りはあるが最終的には受け入れてしまう自己像」を映している可能性があります。
フロイト風に言えば、抑圧された怒りや不満が「解雇」という極端な形で表れ、しかし同時にそれを受け入れてしまう自分を映し出している、といえるでしょう。 - 職場・座席・解雇のイメージ
- 2025/11/02
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ネクタイ
江戸時代末期、土佐の漁師であった中浜万次郎(ジョン万次郎)は、遭難中にアメリカの捕鯨船に救われて渡米し、1851年に帰国した。その際の所持品として「白鹿襟飾」の記録があり、これが日本に初めて持ちこまれたネクタイだとされている。
なお、ネクタイの発祥は、17世紀のヨーロッパ、特にクロアチア兵が首に巻いていたスカーフ「クラバット」に由来する。
歴史的背景:クロアチア兵がフランス王国の従軍時に首に巻いていたスカーフが、宮廷のファッションとして採用され、現代ネクタイの起源となった。
それまでも、古代ローマの兵士が寒さをしのぐためや、身分を表すために首に布を巻いていたが、現代ネクタイと直接関係はないという。名前の由来:フランス語で、ネクタイは「クラヴァット(cravate)」というが、これは「クロアチア人(Croate/クロワット)」が語源。
日本への伝来:日本では、明治時代の文明開化の際にネクタイが取り入れられ、西洋文化の象徴やビジネスシーンの正装として定着した。
まとめ:ネクタイはクロアチア発祥。フランス宮廷で流行し、世界中に広まった男性ファッションの代表的アイテム。小生、研修医時代は、白衣にネクタイでした。しかし、動きやすさを最優先して、途中からケーシー型白衣にしている。白衣が濃紺衣になることもしばしばですが・・・。
- 2025/11/01
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シェイクスピア「リア王」
初演は、日本でいうと江戸時代初期。
この話は、王族の恋愛や親子関係がどれほど「狂気」と紙一重であるかを見事に描いている。
愛の言葉を、三人の娘にどれだけ派手に表現できるかを試すなんて、すでに狂っている。しかも、リア王の娘たち(長女と次女)の豹変ぶりときたら、古今東西の王侯貴族のスキャンダルを先取りしているかのようにも感じる。
権力と遺産が絡めば、愛も忠義もあったものでない。美辞麗句で父(リア王)を酔わせたかと思えば、次の瞬間には冷酷に追い出す。そして、知らん顔。これほど「愛のインフレ」と「家族経営の破綻」を見事に描いた作品はないだろう。
結局、王族の恋愛や家族関係は「愛」と称しながら、実際には「権力闘争」「財産分与」「面子の維持」の三点セットにすぎない。幻滅そのもの。
リア王に限らず、歴史を振り返れば王侯貴族の恋愛沙汰は、政治の舞台装置か血統保存のための契約ごっこと皮肉るしかない。
だから、悲劇にしかならないのだろう。
- 2025/10/31
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ああ母校 ~学問の成功者~
以前、「学問ノススメ」は学ぶことの重要性を説いていると紹介した。
先輩・後輩・同級生の同窓生が「勝ち組」として、母校を立派にしてくれている。
それに比較して、小生は何の役にも立っていない。全くの「負け組」。北方の都に学府のありて・・・。
学問をする者に、勝ち負けはないと信じたい。

- 2025/10/30
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医療における「マルチスキル化(多能工化)」
二刀流?多刀流?
看護師や技師、事務スタッフなどが従来の専門業務だけでなく、複数の業務や役割を担えるよう幅広いスキルを身に付けて活躍することを指す。
マルチスキル化の概要
マルチスキル化は、もともと製造業で注目された仕組みで、医療現場でも人材不足や業務の効率化、サービス品質向上のために非常に重要視される。
例えば、看護師が外来看護に加えて医療事務や患者対応を兼ねたり、臨床検査技師が複数分野の検査に対応するなど、多様なスキルを持った人材育成が進められている。
メリット
業務の効率化:一人が幅広い業務をこなせることで、チーム内の連携がスムーズになり、無駄や手戻りが減る。
人材不足への対応:急な欠員や繁忙期でも他のスタッフが業務をカバーできるので、現場が回りやすくなる。
視野の広がり・成長:複数の業務を経験することで、自分の強みを発見したり、チーム全体を俯瞰できる力が身につく。
デメリット・注意点
負担の増加:業務範囲が広がるため、一人にかかる負担が増えたりモチベーション低下につながるおそれがある。
専門性の低下:何でも対応できる半面、それぞれの専門性が薄れるリスクを伴う。
医療現場での推進ポイント
必要なスキルや役割をはっきりさせて教育を行うこと。スキルマップ(スタッフが何のスキルを持っているか一目で分かる一覧表)を活用することで、役割分担や人員配置を最適化する取り組みが有効。
まとめ
医療現場のマルチスキル化は、「一人で複数の役割を担えるようになること」を意味し、人手不足や急患対応などさまざまな場面で現場を助けている。一方、導入の際は、負担や専門性に配慮しつつ、教育や分担を工夫していくことが大切である。
一般的に、オールマイティーやオールラウンドプレーヤーと言うのでしょうけど。
サッカーいうとリベロ。野球でいうと二刀流。カッコいいけど、あきらかに負担を否めないでしょう。
かつて、これを推奨した経営者がいた。いいところもあるのは確かだけど・・・。
- 2025/10/29
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備蓄米でパエリアを
令和3年収穫のハナエチゼン1号でパエリアを作りました。
炊飯器でしたので、米を研いで、その後、パエリアの素(既製品)で味付けしました。
ところが、なぜかパサパサ感がなく、普通の食感でした。
たぶん、米を研いだことが良かったのかもしれません。そのまま米を入れるのが通常ですから。
とりあえず、福井産を堪能しました。
米を食べられるという幸福感を感じましたが、米農家に心から感謝しております。

- 2025/10/28
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海外の認知症事情
この本を購入して読んだ。
全米病院ランキング「老年医学部門」5年連続1位(U.S.News)の病院で診療にあたる山田悠史医師の著作。その差は、はっきりと白黒分かれるものではなく、「認知症になりやすい⇔なりにくい」のグラデーションであると説く。

「認知症予防&治療の易しくて信頼できるバイブル」という。
「安くてシンプル」ということもわかるという。
軽症の人も含めたら、日本では65歳以上の4人に1人が認知症になる現代。
しかし、認知症になってしまう人がいる一方、80~90代でも認知症にならずに元気な人はたくさんいるのは事実。
「部屋の換気をしない」「晩酌は缶ビール2本以上」「家から出ないで座っている」「一人暮らしをしている」「塩分大好き」……これ全部、認知症になる確率が高い生活習慣だって。こうした生活習慣が、前者と後者を分けている可能性が高いと。
脳にいい生活習慣を日々取り入れ、よくない習慣は手放し、そのグラデーションを「認知症になりにくい」ほうに寄せていく方法を、科学的根拠を元にわかりやすく伝えてくれる。
また、認知症の予防や治療で本当に必要なことは、「エビデンスをすり替えた宣伝で引きつけるサプリ」や「自由診療の高い検査」などはだいたい必要ないと力説する。
「長生きしても、認知症にだけはなりたくない」「このままだと親が認知症になるんじゃないか」「認知症だと診断されたけれど、どうしたらいいのか……」・・・そんな不安を抱えるあなたにぜひ読んでもらいたいそうです。
最後に、日本認知症予防学会の専門医である小生。いい勉強になったことを感謝しています。🙏
- 2025/10/27
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日本昔話の大蛇の塔
何度見てもこの昔ばなしは「身分」を考えさせられる。
代官の怒り。大工の分際で戯けたことを言うな。
娘と恋に落ちた大工は、最終的に代官に殺された。
子供の頃の心の傷がよみがえる。
お前の分際ではダメだといじめ。
身分の低いものは殺される。
今でもそう感じている。
たぶん永遠に感じているだろう。











(ギャンブルは幼少期からしていない。ゆえに、人生していないに等しい。)
そんな自分が、ギャンブル巡りしていた。
実家に夜9時(21時)に帰らないといけないのに、次の店に足を運んでいた。
そこを出て、急いで街中を歩いて、電車に乗ろうとしているのだが。
電車に乗りたいのに、もう22時40分。しかし、駅が見つからない。
うろうろしていたら、橋が面前にあらわれて、白木駅が遠くに見えてきた。
橋の向こうには、車が渋滞していた。
AIの夢判断は以下の通り。
夢の要素:
1.ギャンブル巡り(現実では無縁のもの)
普段しない行為を夢でしている → 「日常では抑えている欲求」や「自分にとって異質な世界への接触」を象徴することがあります。ギャンブルは「偶然性」「コントロールできないもの」「一攫千金」などの意味をもち、現実での不確実性やリスクをどう扱うかの心の投影とも考えられます。
2.実家に夜9時までに帰らなければならない(期限・義務)
実家=安心の場・原点。そこに「制限時間」がついている → 「守るべき責任・義務」と「自分の自由との葛藤」を表している可能性があります。
3.電車に乗れない/駅が見つからない
電車は「人生のレール」「計画された進路」の象徴。駅が見つからないのは「進むべき道が見えない」「時間に追われている」心境を暗示します。
4.22時40分になっている(遅れ)
「時間に遅れる」夢は、現実での焦りや不安、計画通りに進まない感覚を映しやすいです。
5.橋が出現し、遠くに白木駅が見える
橋は「移行期」「越えなければならない課題」を意味することが多いです。
白木駅(固有名詞が出る夢は象徴性が強い)→「まだ遠いが目標や希望が見えている」。
白木=白い木=「新しい出発・浄化・素朴さ」とも解釈できます。
6.橋の向こうの渋滞
車の渋滞は「停滞」「スムーズに進めない状況」を暗示。
自分だけでなく周囲全体も停滞していることを示す場合もあります。
まとめると、この夢は、
①「帰らなければならない(義務・責任)」と「寄り道をしてしまう(自由・リスク)」の葛藤
②計画した時間(9時)に間に合わない焦り
③進むべき駅は見えているが、まだ遠い(ゴールは分かっているが到達困難な現状)」
④橋=課題を越える必要があるが、周囲も停滞している
という心理的テーマを映しているようです。
臨床心理学的にいえば、
1)「本来の自分(実家)に戻る責任感」と「寄り道や不確実性への誘惑」
2)「時間に追われ、目標は見えるがまだ到達できない感覚」
が同時に表現されており、現実の生活や仕事の中で、期限や責任に縛られながらも別の選択肢や寄り道をしたい気持ちが出ているのかもしれません。