ymnk-hsp-user
- 2025/10/28
- 2025/10/27
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日本昔話の大蛇の塔
何度見てもこの昔ばなしは「身分」を考えさせられる。
代官の怒り。大工の分際で戯けたことを言うな。
娘と恋に落ちた大工は、最終的に代官に殺された。
子供の頃の心の傷がよみがえる。
お前の分際ではダメだといじめ。
身分の低いものは殺される。
今でもそう感じている。
たぶん永遠に感じているだろう。
- 2025/10/26
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外来診療より日沖医師休診のお知らせ
令和7年11月22日(土)午前の日沖医師による外来診療は都合により休診とさせていただきます。
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患者の視点とこれからの誓い ~明るく前を向いて~
小生、持病の眼病の影響で、白内障手術を受けた。2025/8/25の出来事。
見える(光がよみがえる)という喜びを感じている。ありがたいの一言。
小生自身に役に立つアドバイスをくれたすべての者に感謝しかない。
医師も患者になる。当たり前だ。良くなりたいと素直に思う。
くどいが、初恋の彼女に感謝しつつ(回想して)、田中角栄の言葉「学問は生きていく光」を思い出した。
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医師を目指した原点 ~初恋の贈り物~
私が医師を志すきっかけとなったのは、中学二年生のときの初恋でした。昭和58年、斜め前の席に座っていた彼女に一目惚れしました。数学が得意で、タイプの男性は「頭が良くてピアノが弾ける人」と聞き、私は「勉強で彼女を超え、ピアノ伴奏ができるようになろう」と決意しました。ちょうどその頃、社会見学で訪れたのが愛知県犬山市の「リトルワールド」。写真を撮りたくてカメラを持参したものの先生に没収され、落ち込んでいたとき、バスの中で聴いた「あの素晴しい愛をもう一度」の歌声が胸に響きました。その曲を伴奏することが短期目標となり、将来医師になることを長期目標として掲げました。
ピアノ未経験でしたが、妹の楽器を借り、独学で練習を重ねました。文化祭では辛うじて伴奏を果たし、試験でも彼女を超える成績を収めました。ところがその直後、彼女の転校が知らされ、胸が張り裂けるような思いをしました。去り際に「いつかきっと会える」と心で誓い、医師を目指す覚悟を固めました。
その後、大学受験に失敗し浪人生活を送るなかで再び挫折しかけましたが、偶然のご縁から彼女に再会することができ、励ましを受けました。その出会いで心身ともに甦り、医学部合格へとつながりました。
私にとって彼女は「原点」そのものでした。短い時間の交流であっても、そこから得た誓いと努力の習慣が、今日まで私を支え続けています。
平成28年秋、眼の病を機に「終活の旅」を始め、令和元年秋には再びリトルワールドを訪れました。あのとき誓った「永遠に努力する」という気持ちを改めて確認し、今も医師として歩んでいます。
人生を方向づけたのは、誰かを想う心と出会いの力でした。私はその感謝を胸に、これからも患者さんに寄り添い、努力を続けていきたいと思います。
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さて、私の原点を振り返るとき、ふと田中角栄の言葉がよみがえります。「学歴は過去の栄光。学問は生きていく光だ。」肩書きや資格は、一瞬のきらめきにすぎません。けれども、学び続ける姿勢は人生を照らし、困難を切り拓く光となります。私が医師を志したあの日もまた、未来への光を求める決意にほかなりませんでした。
学歴は棚に飾るトロフィーのようなもの。しかし学問は、日々の診療や患者さんとの対話の中で息づき、血肉となって私を支えてくれる。学び続けることでしか、人の痛みに寄り添い、希望をともに描くことはできないのだと、今あらためて感じています。
私の原点は、ただの過去ではなく、これからも歩みを導く「生きていく光」です。
- 2025/10/25
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「ある少女の選択 〜“延命”生と死のはざまで〜」 NHKクローズアップ現代(放送日:2010年12月8日)
延命か? 死を選ぶ権利か?
この頃、腎臓「人工透析」30万人。
チューブで栄養をとる「経管栄養(胃ろう含む)」40万人。
人工呼吸器使用者3万人。
医療の進歩(「延命治療」技術の発達)で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。
その一方で、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないかという疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。
田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。これ以上の「延命治療」は受けたくないと家族と葛藤を繰り返した。
自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して亡くなった。華子さんの闘病を1年にわたって記録したドキュメント。
「延命」とは何か?
「生きる」こととは何か?
このような問いを繰り返しながら亡くなった華子さん。
その葛藤を見つめた家族・医師たち。
これらを通じた、医療の進歩が投げかける問いと向き合う。
最近、胃ろうを造る機会が激減している。
口から食べられなくなったら、豊かな「生」と言えないという考え方が増えてきているのだろう。
かつて、小生の患者に、食べられないだけで、歩くことができる患者さんがいた。胃ろうで栄養補給する以外は、ふつうの生活に近かった。もちろん、特殊なケースではあったが・・・。
かつて終末期ケア上級専門士であった小生。
医学以外の勉強もたくさん行った。
医療技術だけでなく、倫理や哲学も絡んでくるのだから。
そして、尊厳だから。
- 2025/10/24
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デュエットの逆バージョン
確か、ザ・ベストテンでしたね。
「三年目の浮気」でありました。ヒロシがミスりました。
記録が残っていませんが・・・。記憶は残っています。「愛が止まらない」(WINK)
これはうまくいきましたね。
(https://www.youtube.com/watch?v=riYh3Td2_BE&list=RDriYh3Td2_BE&start_radio=1)
大学入学時にカラオケでよく歌いました。
かすかな思い出です。 - 2025/10/23
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①医師の不勉強
これは良くない。
そもそも論。
できて当たり前。
その延長線で、若かりし時、休むことを悪と学んだ。
今まで、そう生きてきた。
休めば、勉強時間が少なくなるからである。
②医師の休暇
そろそろ、時代が変わってきたようだ。
働き方改革で休んでもいいことになった。
ありがたいことである。
祖父母・両親は、かつて言った。「無休で我慢して頑張って働けば、いつか必ずいいことがある」と。
患者は言った。「医者に休みはない」と。「病気に休みがないのだから」と。
③医師の診察時間
昔から、3時間待ちで3分診療は当たり前だった。
ある患者が、2時間待ちの2分診療に苦言を呈した。
その対策として、有給休暇をとって特別診察を組んで、90分の診察をした。
④短時間の患者診察
制限時間がある以上、医師の思考能力や処理能力が十分発揮されないおそれがある。
患者満足度は大丈夫か?・・・それに見合った仕事をしているのか?
よく考えたい。無理なら、患者診察から撤退する勇気が必要である。
- 2025/10/22
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死生学ってなんだろう
46歳から終活を始めた小生。
かつて終末期ケア専門士試験を受けて、医学以外のこともいろいろ勉強しました。みなさん、「死生学(しせいがく)」という言葉を聞いたことがありますか?
文字通り「死」と「生」を学ぶ学問です。
人は誰でも生まれ、そしていつか必ず死を迎えます。
この避けられない現実と向き合い、「どう生き、どう死ぬのか」を考えるのが死生学です。
たとえば、学校での勉強は「進学や将来の仕事」に役立つかもしれません。スポーツや趣味は「楽しい時間」をつくってくれます。
でも、死生学はもう少し根本的なテーマに迫ります。「人はなぜ生きるのか」「死ぬとはどういうことか」といった、大きな問いを扱うのです。
死を考えることは生を考えること
「死について考えるなんて怖い」と思う人もいるでしょう。でも、死を避けずに見つめることで、むしろ「生きることの意味」が浮かび上がります。
たとえば、もし自分の人生が無限に続くのなら、今日という一日を大事にしなくてもよいかもしれません。しかし寿命が限られているからこそ、「誰と過ごすか」「どんなことをやりたいか」を真剣に考えられるのです。
哲学者の中には、「死を意識することが、生を豊かにする」と語る人もいます。つまり、死は単なる終わりではなく、私たちに「生きる力」を与える存在でもあるのです。
終末期ケアと死生学
小生は、医療現場で、終末期、つまり人生の最終段階にいる人を支える仕事をしています。そこでは、「もう治せない病気」とともに生きる人がたくさんいます。その人たちにとって大切なのは、「あとどれだけ生きられるか」よりも「残された時間をどう生きるか」です。
ある患者さんは、最後まで家族と一緒に過ごすことを望みました。別の患者さんは、できるだけ自然に最期を迎えたいと希望しました。こうした選択には正解はなく、一人ひとりにとって大事な価値観があります。死生学は、こうした「生と死の意味」を尊重し、人それぞれの生き方・死に方を考えるための学問です。
若いみなさんにとって、「死」はまだ遠いものに感じられるかもしれません。でも、身近な人との別れや大切なペットの死を経験することもあるでしょう。そのときに悲しみを受け止めながら、「なぜ自分は生きているのか」「これからどう生きたいか」と考えることは、決して早すぎることではありません。
死生学は、特別な人のための学問ではなく、誰にでも必要な視点です。もし日常の中で「生と死」について考える時間を少しでも持てたなら、きっと自分の人生がより豊かに感じられるはずです。
小生、56歳。現在、終活第4幕の途中。院内職員向けに文集を3回発行しました。時間を大切にして、無駄な時間を作らないように、心がけています。
- 2025/10/21
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こんなのあり? 常勤医師の長期不在
介護施設で看護師が薬処方か、医師不在届けず報酬受給も (8/31配信)
職員による入所者への虐待が判明した千葉県成田市の介護施設で、本来は医師がすべき薬の処方を看護師の判断で行っていた疑いのあることが31日、共同通信が入手した音声データや複数の元職員の証言で分かった。保健師助産師看護師法などに違反する可能性がある。配置が義務付けられている常勤の医師が長期間不在だったのに、介護報酬を不正に受け取っていた疑いも判明した。内部告発を受けた千葉県が調査している。この施設は、医療的ケアが必要な高齢者が入所する介護医療院が運営している。
法人は取材に対し、看護師による処方は否定。医師の長期不在は認めた上で「行政への報告を失念していた」としている。ただ内部資料や元職員によると、施設では少なくとも昨年11月から今年2月まで、現場責任者の看護師が自分の判断で薬の処方箋を作成。それに基づき入所者に薬が与えられていた。この看護師が点滴など医療行為を指示することもあったという。
ここだけの問題ならまだしも・・・。違法性のあることは、行政が取り締まらないと、正直者がバカをみるぞ。
- 2025/10/20
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低価値医療・無価値医療って?
患者にほとんど又は全く健康改善効果をもたらさない医療を指すという。
こうした医療を減らすことで、過剰な検査や治療を防ぎ、不要な医療費を抑制し、医療資源(財源や人材)をより有効な医療サービスに振り分けることができる。
しかし、どのような医師が低価値医療・無価値医療を提供する傾向があるのかについては、これまで十分な根拠がなかった。
検査漬けという批判的な意見はよく聞かれた。一方で、検査不足で不幸な転機を辿ったという結果論も時々聞かれた。
知っておきたい「低価値医療」と「無価値医療」― かしこく医療とつきあうために ―
病院に行くと「せっかく来たんだから、検査をしてほしい」「薬をもらわないと安心できない」と思うことはありませんか。私たちの多くは「何かをしてもらうこと=安心」と感じやすいのです。けれども、最近、医療の世界では「低価値医療」「無価値医療」という言葉が注目されています。これは、医療を受ける私たちにとっても無関係ではありません。あまり耳慣れない言葉ですが、ちょっと説明してみましょう。
低価値医療ってなに?
低価値医療とは、「やっても効果がとても小さい医療」のことです。例えば、風邪をひいて病院に行ったときに抗生物質を処方される場合があります。でも、風邪のほとんどはウイルスが原因なので、抗生物質は効きません。むしろ副作用や耐性菌の問題を起こしてしまう可能性があります。つまり、「効かないわけではないけれど、得られる利益よりも害やコストの方が大きい医療」が低価値医療です。
無価値医療ってなに?
無価値医療とは、読んで字のごとく「やっても全く意味がない医療」のことです。例えば、医学的な根拠がない検査や必要のない点滴などがあります。患者さんにとって利益がないばかりか、かえって害を与えることもあります。
なぜ残ってしまうの?
どうして、こうした医療が現場に残ってしまうのでしょうか。理由はいくつもあります。「安心したい」という患者さんの気持ち、医師の「念のためにやっておこう」という心理、医療制度の仕組みなど。決して「誰かが悪い」という話ではないのですが、その結果、限られた医療資源が本当に必要な人に届きにくくなってしまうのです。医療費と私たちの未来
日本は世界一の長寿国です。年々、医療費はふくらんでおり、年間40兆円を超え、今後ますます増えると予想されています。低価値医療や無価値医療を減らすことは、「医療費削減」だけが目的ではありません。むしろ「本当に必要な人に、必要な医療を届ける」ための工夫なのです。
海外の取り組み「Choosing Wisely」
海外では「Choosing Wisely(賢く選ぼう)」というキャンペーンが広がっています。学会や専門家が「やらなくていい医療行為リスト」を発表し、患者と医師が一緒に考える仕組みを作っているのです。日本でも「軽い腰痛でいきなり画像検査はしない」「風邪に抗生物質は出さない」などの提案が始まっています。
患者としてできること
ずばり、医師に質問してみることです。「この検査は私に必要ですか?」とか、「この薬のメリットとデメリットは何ですか?」とか。質問することは決して失礼ではありません。むしろ、医師にとっても患者と一緒に考えるきっかけになります。また、薬や検査をしてもらえなかったときに「手抜きされた」と思うのではなく、「必要のないことを避けてもらった」と受け止める視点も大切です。
生活をより良くする医療へ
医療の目的は「長生き」だけではなく、「より良く生きること」です。余計な検査や治療に時間やお金をかけることより、生活習慣を整えることや安心して過ごせる環境をつくることが、むしろ健康につながる場合も多いのです。無駄な医療を減らすことは、患者の安全を守り、未来の医療制度を持続させるための大切なステップです。
最後に
低価値医療や無価値医療は、少し難しい言葉ですが、要するに「しない方がいい医療」のことです。私たちが医師と一緒に考え、必要な医療を選び取ることが、安心できる医療を守ることにつながります。してもらう」ことに安心を求めるのではなく、「必要なことを選んでもらう」ことに安心を感じられる社会へ。そんな意識の転換が、これからの日本の医療を支えていくのかもしれません。
SDM(シェアード・ディシジョン・メイキング)という、患者さんが自分の治療を選ぶ方法として、協働意思決定というものがあります。 SDMは、患者さんと医療者が協力して治療法を決定するプロセスです。ともに考えていく医療を実現したいものです。











この本を購入して読んだ。
全米病院ランキング「老年医学部門」5年連続1位(U.S.News)の病院で診療にあたる山田悠史医師の著作。その差は、はっきりと白黒分かれるものではなく、「認知症になりやすい⇔なりにくい」のグラデーションであると説く。
「認知症予防&治療の易しくて信頼できるバイブル」という。
「安くてシンプル」ということもわかるという。
軽症の人も含めたら、日本では65歳以上の4人に1人が認知症になる現代。
しかし、認知症になってしまう人がいる一方、80~90代でも認知症にならずに元気な人はたくさんいるのは事実。
「部屋の換気をしない」「晩酌は缶ビール2本以上」「家から出ないで座っている」「一人暮らしをしている」「塩分大好き」……これ全部、認知症になる確率が高い生活習慣だって。こうした生活習慣が、前者と後者を分けている可能性が高いと。
脳にいい生活習慣を日々取り入れ、よくない習慣は手放し、そのグラデーションを「認知症になりにくい」ほうに寄せていく方法を、科学的根拠を元にわかりやすく伝えてくれる。
また、認知症の予防や治療で本当に必要なことは、「エビデンスをすり替えた宣伝で引きつけるサプリ」や「自由診療の高い検査」などはだいたい必要ないと力説する。
「長生きしても、認知症にだけはなりたくない」「このままだと親が認知症になるんじゃないか」「認知症だと診断されたけれど、どうしたらいいのか……」・・・そんな不安を抱えるあなたにぜひ読んでもらいたいそうです。
最後に、日本認知症予防学会の専門医である小生。いい勉強になったことを感謝しています。🙏