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- 2024/10/02
- 2024/10/01
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アンガーマネジメント
アンガーマネジメント
小生は、短気で怒り易い。子供の頃から、「落ち着きがない」と親によく叱られたものだ。
怒りは「こころのアナフィラキシー」だろう。(アナフィラキシー=アレルギー反応)
そして、激怒・激昂は「こころのアナフィラキシーショック」であろう。まさしく、半端ないこころの拒絶反応だろう。子供の頃は、気に入らないだけでもよく怒った。
きっと、「欲しいものが買ってもらえない」ことに大きな不満を抱き、怒り散らしていたようだ。さらに、腹の虫の居所が悪い(機嫌が悪い)と怒りの閾値が下がっていた。
己の価値観からどれだけかけ離れているかどうかで、その違い(怒りの度合い)が明らかになるだろう。ヒトは生まれながらにして、怒る。
そして、生まれてから頻回に叱られる(怒られる)。
怒ることも叱られることも幼い時から身に付きまとっている。
最近、アンガーマネジメントが注目されている。
小生の説を披露すると、激怒・激昂は、今まで受けた教育によりこころの中に怒りの基準が生まれ、ある程度定まっている。その基準に反したり、その基準から大きくズレたりすると、「それは違う!」と、こころが反射的に拒否してしまうのでないかと思う。
また、基礎教育に問題があるのではないかと感じることもある。信用する人(親や先生など)に習ったり学んだりしたことが、簡単に否定されたりする場面である。
例えば、医師になってから上司に指導されるなかで、正反対の教育をされた経験が小生にはある。それは、入院患者の約束指示である。夜間休日あるいは主治医不在の場合、事前に決めておく指示(処置や投薬など)である。ある上司には「しっかり記載してわかりやすく指示すること」という教育を受けたが、一方、別の上司には「全く不要だから記載する必要はない。当直医などにすべて代理決定してもらうこと」という教育を受けた・・・。つまり、相矛盾する教育であった。
どちらの言い分が正しいのだろうか?
この場合、どうすればいいのか?
タブルスタンダード?
迷った挙句、折衷案を小生なりに考えたが、今でも解決していない。
たぶん、解決しないうちに定年を迎えそうだ。
そして引退していくのであろう。
- 2024/09/30
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病院は宗教団体?教祖がいる?
かつて教祖的存在(病院経営者)をみたことがある。
病院の評判を常に気にしているその経営者を満足させるために、一部の職員が気遣ってアンケートに細工したという事実がある。
そのアンケートは毎年行っている患者満足度調査だった。ある年だけ、アンケートの5択の設問順序を逆にして(1.2.3.4.5を5.4.3.2.1)行ったのである。実は、その年だけ「例年より評判が良かった」という結果が出た。その経営者はご満悦であったことを記憶している。
つまり、知能犯的な信者がいたことになる。心理学的な観点から、回答者の回答に「反応バイアス」が影響を及ぼすことがある。具体的にいうと、回答者が設問を読む順序によって回答の傾向が変わることを信者が知っていたのであろう。「順序バイアス」なるものだろうか?
行動心理学や行動経済学を勉強すると、さまざまなトリックを知ることになるが、決して悪用してはならないと思う。
- 2024/09/29
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2024/3/8の夢
ちょっと驚く夢をみた。
1.かつての上司(もはや故人)が車いすにのってその妻とともにやってきた。
いきなりカーテンを乱暴にめくって、小生の診察室に入室してきた。
「診てくれ」と。小生の妻がナースで介助係をしていた。
足の診察を行うと、明らかに循環不良で真っ青(医学用語でチアノーゼ)であった。
「ああ手遅れだ。万事休す。」と小生はナースに神妙に囁いた。
2.湖畔をサイクリングしていたら、道に迷って引き返していた。
いきなり海底トンネルの入り口を見つけた。そこを通過するとホテルに出た。
ホテルのロビーでメジャーリーガー大谷選手に出会った。
「なかなかチケットが手に入らないだろう?」と話しかけてきた。
そこに、「小生の本命女性」と「もう一人の美人女性」がいた。
深層心理はいかに?
2話に分かれているが、関連性はないと思われる。最近の出来事が断片的につなぎ合わされているだけに過ぎない。かつての上司と本命女性に気をとられているが、有名人、本妻やもう一人の美人女性に対する気遣いも伺われる。
夢とは何だろう。フロイトの理論がわかるような気がしてきた。
- 2024/09/28
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2024/9/28
重苦しい夢をみた。
旧職場が小生を呼んでいる。
とりあえず訪れてみると、建物がロープや鎖でガードされているではないか。
立ち入れないようにされていた。
これはいったいどういうことかと胸苦しさを感じた。
あらためて、小生は嫌われていると自覚した。
- 2024/09/27
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M子が夢に
2024/9/18、M子が会いに来た。意外も意外。極めて意外。
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(実話)
大学2年生修了後の初春。確か3月だった。小生はM子に挑んだが、見事に敗れた。
金沢市内を二人で5時間ほど、歩き回った。犀川付近を歩いている途中、雨が降ってきた。
意外にも相合傘。彼女は濡れながら、小生の頭上だけに傘をさした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(今回の夢)
さて、最寄りの駅。小生に会いに来た。しかし、「お構いなく」という。
小生に「相手する暇がないのなら、一人で観光するから、自転車を貸してください」という。
そこで、小生は自宅に自転車を取りに帰った。自転車をとって、駅に戻る最中に・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夢は醒めた。やる気が出なかった感じ。
なぜだろう?
もはや未練がないのか?
たぶんそうだろう。 - 2024/09/26
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2024/5/14にみた夢・・・2連発
夢をみた①
学生時代に戻った。
下宿を引っ越しした。
かなり広い下宿であった。
満足していたが、友人が来て室内を案内していると、だんだんわかってきた。どうも小生だけの個人用でないようだ。
トイレ共用。風呂共用。寝室も共用。
さらに、寝室の裏に抜ける通路があり、その先は広い座敷であった。
夢をみた②
市立四日市病院に転職することになった。54歳で転職。
検査科のK科長が、意外にも市立四日市病院内で勤務していた。
しかし、病院側から「当直医としては中間医になるだろう」と言われた。
中間医とは、3人組(研修医-中間医-監督医の組み合わせ)のまさしく中間で、もっとも負担多き役割であった。
先が思いやられる感覚になった。
- 2024/09/25
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いい勉強になった遠い記憶・・・肝に銘じた・・・「油断してはいけない」
ボクシング・・・1990年2月11日、東京ドーム
マイク・タイソン対ジェームス・ダグラス戦は、プロボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチである。
当時最強と言われたタイソンが圧倒的有利とされていた。
ところが、10回KOで無惨にも敗れた。8回で勝っていたかもしれないが・・・。結果は結果。
ボクシング史上、最大の番狂わせの一つとされている。
裏事情はよく語られているが・・・、それにしてもかなり油断しすぎたな。
さて、ここで、いい勉強になった記憶がよみがえる。
「嗚呼、過去のひそひそ話」
遠い昔のある日、突然、病棟の婦長から呼び出された。
何かとんでもない問題を起こしたのか?と恐る恐る婦長の下に足を運んだ。
突然、婦長は「先生、、、もう、、、先生の気に入っている美人ナースのことですけど・・・。あまり熱を上げない方が身のためですよ。先生の上司と××だから、金輪際、近づくのはやめておきなさいね。」と言った。
これはヤバかった。いい勉強になった。
その後、何年もこの逸話を嫌味混じりで言われ続けた。悔しいけど仕方なかった。油断大敵。
- 2024/09/24
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院内雑誌「不東」発刊。
医師になって28年が過ぎた。
還暦に向かう「途次」。「旅枕」を重ねて、「不東」の精神で歩んできた。
高きものを羨ましく眺めつつ、「広耕深掘」を地道に貫いてきた。それは、「半実半夢」の境地!
これは本当だったのか?
現実だったのか?
夢ではなかったのか?
全く信じられない。それに、これだけの実績にまったく達成感を覚えない。
無欲だったからか?
無心だったからか?
価値観を覚えなかったからか?
それとも、操られていたからか? - 2024/09/23
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方丈記と災害
本年早々、元旦の16時10分、携帯がうめいた。そして、くらくらめまいがした。コンビニに買い物に行く途中であった。ああ、地震だ。
すぐに買い物を済ませ、病院に戻ってテレビを見ると大津波警報。能登地方。どうゆうこと?めでたい祝日に。よりによってこんなときに。
津波は低そうでよかったなあ。安堵感が漂う。
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その晩、方丈記を読み直した。何で方丈記って?日本三大随筆だからね。そして、災害の記録が鮮明に書かれている鴨長明の名著だからね。
以下、抜粋。
また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれたる間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふることはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ。おほなゐふりて、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。
元暦1185年7月9日に起こった「文治地震」。マグニチュード7.4の大地震だったという。「土砂崩れ」「地割れ」「津波」「液状化」「建物倒壊」が発生したと描かれている。一日に20~30回も余震が起こり、3ヶ月続いたとも記されている。
そして、鴨長明は、世の人がしばらく前に起こった地震を忘れ、忘れたころにまた地震がやってきて、大きな被害を受けるのを繰り返してきたとも書いている。備えを怠らないようにという戒めなのか?
この文治地震は、元暦2年7月9日(1185年8月6日)の正午頃に発生した。壇ノ浦の戦いの約4ヶ月後に発生し、平家物語にもその記述が見られる。「この度の地震は、これより後もあるべしとも覚えざりけり、平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり」と。特に、京都での被害がひどかったようで、白河辺りの諸御願寺や京中の殿屋などで九重塔や九輪などが破損した。遠国においても被害が発生し津波があった。
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翌2日になって、被害状況が顕になった。津波はすでに来ていたのだ。お見舞い申し上げる。
令和6年の能登半島地震において、
お亡くなりになられた方々
深い哀悼の意を表します。
被災された方々
お見舞い申し上げます。
また、被災地域で医療提供や支援活動に尽力する医療関係者をはじめ、すべての皆さまに心から敬意と感謝を表します。
一日も早い復旧、復興を心よりお祈り申し上げます。
齋藤孝仁
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藤原為時は平安時代中期の漢詩人。紫式部の父。
ここで有名な短歌を一句
おくれても 咲くべき花は 咲きにけり 身をかぎりとも おもひけるかな
(おくれても さくべきはなは さきにけり みをかぎりとも おもいけるかな)
(意味:咲き遅れても咲くはずの花は必ず咲くものだ。身の栄達も時節があるというもの、我が身をもうこれまでと見限っていたことだ。望みを持とう。)
為時が出世できなかった時期に詠まれたもの。
なお、為時は女房を通じて一条天皇に申文を奏上。以下の漢詩が書き添えられていたという。
苦学寒夜
紅涙霑襟
除目後朝
蒼天在眼
為時の苦労や挫折が表現されており、彼の人生の一部が垣間見られる。