ymnk-hsp-user
- 2025/01/14
- 2025/01/13
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2025/1/13
2025/1/2、久しぶりにパエリアを作って食べた。
自分で言うのはおこがましいけど、うまくいった。旨かった。
まあ、大エビがポイントなんだけど。シンプルで1時間かからない料理。今回は、エビ、ベーコン、フランクフルトおよびミックスベジタブルを具とした。
コメは伊賀米2合とした。スープは既製品のモランボン地中海風パエリア550gを1袋。パエリアの解説を簡単にしておきますね。
・・・パエリアはスペイン料理の代表的な一品で、特にスペイン東部のバレンシア地方が発祥地とされる。平たい大きな鍋(パエリャ鍋)を使って米を炊き込む料理。おしゃれな料理として世界的に親しまれている。主な具材は以下の通り。
シーフード風パエリア:エビ、イカ、ムール貝、アサリなどの魚介類
バレンシア風パエリア:鶏肉、ウサギ肉、インゲン豆、トマトなど
ミックスパエリア:魚介類と肉類を両方使った豪華なタイプスパイスであるサフランで味付け。これがパエリア特有の色と香りを引き出す。塩やコショウで味を調える。出汁がしっかり効くので、シンプルな味付けが基本。
鍋にオリーブオイルを熱し、具材を軽く炒める。トマトやニンニク、パプリカを加え、香りを出す。米を加えて油を馴染ませたら、スープとサフランを投入する。強火で炊き上げた後、弱火でじっくり煮込む。蓋をして蒸らし、鍋底におこげを作る。
なんといっても、パエリアは見た目が豪華。大勢で食べるときにぴったりの料理。
- 2025/01/12
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2025初夢
大学病院にいるようだ。
教授になった後輩(K先生)が、小生を連れて病院内を案内してくれている。
案内中に時々、K先生は姿を消している。
「どこにいるのか?」と探しているうちに、小生はエレベーターに乗ることになった。
小生はマスクをしていなかった。途中で一人のマスクしない女性が乗り込んできた。
ヤバいと思った。コロナが心配になった。
しばらく、探し回った挙句、K先生を見つけた。
なんと、ベンチに座ってピーナッツを食べているではないか。
「今後ともよろしくお願いいたします」とお礼を告げた。
「わかった」と返事がきた。
- 2025/01/11
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今年も出ましたフルロナ(インコロ)
新型コロナウイルス(CoV-2)と季節性インフルエンザウイルス(Flu)の同時感染のことを「フルロナ」と呼ぶが、日本人だから「インコロ」のほうがなじむと思うけど。重症化リスクが高くなるとの報告もあるらしいけど、経験的にはそうでもなかったなあ。
ツインデミック(両方流行)で見られるのは確かである。 - 2025/01/10
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2025年 新年の心境
2025/1/1 初日の出 凡医、敗走医、奴隷医、雑用専門医
これが小生の医師人生。
しかし、全く悔いはない。
なぜなら、それと気づかずに、本気で全力で前向きに、医療に従事してきた。
だから、全く悔いはない。
あとから気づいたわけだから、小生の能力不足である。視野の狭さである。潔く、受け入れよう。
今年の目標は決まった。
凡人らしく、欲を捨てて、身分をわきまえて行動。
無欲の境地。
むろん、「天才を追う」ことも忘れず生きる。
2025/1/1 病院にて
- 2025/01/09
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2025/1/9
今年の目標は復習である。振り返りが必要と感じたからだ。学直再考。くどいけど。
医療人として・・・小生はセカンドでいいと思う。
そもそも名脇役が仕事だから。医療は客観性を重視しているのだから。
かつて、ある患者に残念なことをされた。
上級病院(上級医師)に、勝手に(紹介状を持参せずに)診察を受けに行ってきた。
そして、その上級医師からの紹介状を持参して、その指示に従って今後診察していくように要求された。
患者のつまみ食いはやめて頂きたいと思った。老害医療に腹を立てた。
しかし、今は反省している。
そこで、ポンペの言葉を思い出した。「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」という言葉を。
患者本位なら、腹を立てる必要はなかったのである。恥ずかしい話だ。
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ふと、三重県厚生連関連病院の薬剤師であった「今は亡き父」を思い出した。
長野県厚生連佐久総合病院の若月俊一院長。子供の頃、その名を初めて父より聞いた。
(アジアのノーベル賞と呼ばれる)マグサイサイ賞受賞(1976年)
「農民とともに」を合言葉に、集団健診や健康管理などに取り組み、農村医学発展に尽した佐久総合病院の初代院長。
実績を調べたら、以下の通りであった。すごいの一言。地域医療(地域密着型医療)の幕開けだろう。
1 「農民とともに」
佐久に外科医はおらず、あらゆる手術の必要があり、多忙を極めた。
そんな中、手遅れの患者が多いことに気づき、休日を利用して医者のいない地域に出張診療を始める。
同時に、正しい病気の知識ならびに正しい衛生環境を整備するための啓発活動を行った。2 戦後国内初の病院給食開始
「食の平等」という発想から、1947年日本初の病院給食を始めた。
当時「佐久病院に行けば若月の手術と銀シャリで病気が治る」と噂されたそうだ。3 日本農村医学会創立
地域の中に入り、農村の生活に密着した調査・研究を行う。
農村特有の病気について研究しようと長野県農村医学研究会を設立。
後に日本農村医学会へと発展し、「農村医療」という分野を確立する。4 予防は治療に勝る
「病気を治すだけではなく、地域の保健活動を通して定期的な検診を行うことで病気をなくすこともしなければならない」という思いが現在の健康診断のモデルとなる。
全村一斉の集団検診など全村健康管理を八千穂村(現・佐久市)で始める。5 病床数1000床超
- 2025/01/08
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ツインデミック!!!
今、インフルエンザとコロナの仲がいいぞ
これはヤバい、ハッキリ言って、、、
年末年始の検査数が尋常でなかった
過去最高ではないだろうか・・・
これからピークがくるような気もする
検査キットやインフルエンザ治療薬が枯渇しないことを祈るだけだ!
- 2025/01/07
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2025/1/7
雑用専門医について、AIに聞いてみました。
なかなか面白いです。
発展的解釈です。
これなら、やっていける!!!
今年の目標にします!!!ポジティブな見方
1.多様なスキルを持つ人材
雑用を引き受けるということは、さまざまな状況に対応できる柔軟性と問題解決能力を持っている証です。
専門医が特定の分野で深い知識と技術を持つのに対し、「雑用専門医」は広い視野でチーム全体をサポートし、つなぎ役として貢献する存在とも言えます。2.縁の下の力持ち
雑用と呼ばれるタスクの多くは、直接的な成果が目に見えないことが多いですが、それがなければ組織全体の運営に支障が出ることもあります。雑用専門医は、そうした基盤を支えるプロフェッショナルです。3.新しい役割の創出
昨今、働き方や役割分担の多様化が進んでいます。「雑用専門医」という概念は、新しい働き方やキャリアの形を象徴するものかもしれません。ネガティブな見方や課題
1.過小評価のリスク
雑用と聞くと軽視されがちなため、その重要性が認識されにくく、正当な評価を得られない可能性があります。2.負担の集中
雑用が特定の人に集中すると、その人の負担が増え、モチベーションや効率が低下する恐れがあります。3.専門性の模糊化
あまりに多岐にわたるタスクを抱えることで、「何でもできるが、何か一つの分野に特化していない」という評価を受けるリスクもあります。総括
「雑用専門医」という言葉をどう捉えるかは、その役割や仕事内容、そしてその人がどのように評価されるかによって変わります。ただ、「雑用」とされるタスクを専門的にこなす能力は、現代の複雑な社会や職場において、むしろ非常に価値が高いものだといえます。
- 2025/01/06
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2025/1/6
ドラマ「地面師たち」は、実話をモデルとして制作された。
積水ハウス地面師詐欺事件という元ネタがある。
逮捕者15名を出したこの詐欺事件は、55億5千万円という高額な被害が起きた不動産詐欺事件。
新庄耕の原作。昨年、Netflixで配信が開始された日本の配信ドラマ。
土地の所有者になりすまして売却をもちかけ、多額の代金をだまし取る不動産をめぐる詐欺師(=「地面師」)の犯罪を描いている。
地面師よ 演じきれたな 申と酉
干支を間違えるというハプニング。これが詐欺を暴く最後のチャンスだったと思われる。
本人確認の困難さ。
他人を信じることが当たり前という性善説。
しかし、騙された者が悪いのではない。騙した者が悪いのである。これだけは言える。
- 2025/01/05
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2025/1/5
能登の震災。あれから1年以上が過ぎた。
そんな厳しい環境の中、2024年2月にある金沢人が亡くなった。
享年92歳。
彼女の一連の行動は立派な決断であった。そう思う。
こういう生き方もありかもしれない。そう感じた。
「北風と太陽」が思い浮かぶ。
北朝鮮の拉致問題。当事者と被害者がすべていなくなったところで、未解決事件として終焉(時効)を迎えるように思える。しかし、非常に残念である。
拉致被害者とされていない寺越友枝さん。彼女の息子である寺越武志さんは、1963年に行方不明になり(当時13歳)、1987年に北朝鮮で生存が確認された。彼は北朝鮮で結婚し、家族を持った。彼女は、彼の安否を確認するために何度も北朝鮮を訪問した(計66回)。なお、彼の実父は、ある時点で北朝鮮に移住している。
彼女は、「彼が拉致されたわけでなく、北朝鮮の船に救助された」と信じている。しかし、決して口外できない何らかの真実があるようで、「墓場にまでもっていく」と漏らしていた。
寺越さんの事例には例外的な側面があり、両国家の要人でさえ、立ち入れない何かがあるように感じる。こういう事例もありだと思う。むしろ、うまくいっているのではないだろうか。少々不便なところもあるだろうけど。
最近、「心理的安全性」をよく耳にする。恥ずかしながら、小生は「心理的安定性」と同じように考えていた。不勉強とは恐ろしいものだ。猛烈に反省している。
そこで、「心理的安定性」と「心理的安全性」の違いについて、調べてみた。いずれも精神的な健康や行動に関連する概念という。
以上まとめると、心理的安定性は個人の内面的なバランスに関するもので、心理的安全性は集団内の安心感に関するものである。 いずれも心の健康にとって大切であることは確かである。 さらに言えば、心理的安全性が確保されていると個人の心理的安定性も高まりやすくなる。逆も然り。