ymnk-hsp-user
- 2025/02/07
- 2025/02/06
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あの患者
研修医の頃、胸水の高齢患者が入院した。
胸水穿刺試験をしたら、血胸でした。
一応、出血傾向の検査をしていたら、血友病Aと診断するに至りました。
こんな年齢でも血友病があるんだと学んだのですが、そこで後天性血友病Aという病気を知ることになりました。
確か、第Ⅷ因子活性低下で抗第Ⅷ因子(FⅧ)自己抗体(インヒビター)は陰性だったので、後天性血友病Aではなかったと記憶しています。
ちなみに、後天性血友病A(Acquired Hemophilia A)は通常、血友病を持たない成人が突然、抗第Ⅷ凝固因子(FⅧ)自己抗体(インヒビター)を産生し、出血傾向を引き起こす。免疫異常であるので、自己免疫疾患(膠原病など)や悪性腫瘍(がん)などを持病にもつ患者が多いことも分かっている。
免疫反応を抑えるための免疫抑制療法を行うのが一般的。多くはステロイド剤が用いられるが、重症例やステロイド剤使用例は免疫抑制剤が併用されることも少なくない。
令和6年4月に難病指定されたという。後天性血友病A(Acquired Hemophilia A)は、自己免疫性後天性FVIII/8欠乏症と呼称されている。FVIII/8自己抗体(インヒビター)は、免疫抑制療法によりいったんは寛解することが多いが再燃することも少なくない。FVIII/8自己抗体が残存していることもあり、定期的検査を含む長期の経過観察が必要である。死亡率は2~3割と高く、出血死よりも免疫抑制療法中の感染死が多いので厳重な管理が必要である。
医師としての経験を振り返るのは大切である。
医学はいつの間にか進んでいるから。日進月歩。謙虚に生きよう。不勉強はいけない。
- 2025/02/05
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ああ東京
思い出す。公人2年。国家公務員。PMDECに勤務していた頃。
虎ノ門界隈。森ビル33だったように思う。その10階が職場。
近くを歩くと、東京タワーをビルの隙間から覗くことができた。
今思えば、貴重な時間だったと思うけど・・・。
あの頃は、医療現場ができなくて寂しい思いをしたなあ。
若い時は遠回りしても、視野を広げる努力は必要だったのだ。
- 2025/02/04
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2025/2/4
血液検査の項目の一つ
Lactate Dehydrogenase(LDH)(=乳酸脱水素酵素)まれに、LDH1000~2000 U/Lを経験する。重病があることを必ず推測してしまう。決して無視できない。
「LDHはうそをつかない」という格言がある。
臨床現場において、LDHがさまざまな病態の異常を鋭敏に反映することを示した表現らしい。
ちょっと調べてみたが、これと言った具体的な由来を明確に記した文献を見つけることができなかった。
さて、LDHはほぼすべての組織に存在し、細胞障害や組織崩壊が起こると速やかに血中に漏れ出す。そのため、心筋梗塞、肝疾患、腫瘍、血液疾患、感染症など多くの病態で上昇する。
逆に言えば、何らかの異常があればLDHが上昇するため、「異常を見逃さない指標」としての信頼性が高いとされる。
悪性リンパ腫、白血病、多発性骨髄腫などの血液疾患では、LDHが腫瘍細胞の崩壊や代謝亢進を反映し、予後指標としても使われる。
肺がんや消化器がんなどでも、LDHは腫瘍指標となるため、がん診療においても無視できないマーカーである。
肝障害や溶血性疾患では、(ASTやALTよりも)先にLDHが上昇することがあり、特に溶血の評価に不可欠である。
おおよそ、ALTでは肝臓、ASTでは筋肉および肝臓、CKでは筋肉と、特定の臓器に限られることが多いが、LDHは全身の病態を反映する。
一度上昇すると、その原因を無視できず、精査が必要になるケースが多い。
多くの疾患で異常を示すが、逆に「偽陰性」が少ないため、臨床医が「LDHの上昇を見たら何らかの原因を追求する」という行動をとる習慣が生まれたという。
「LDHはうそをつかない」という表現は、「異常があるときは必ず反応する」という臨床的経験に基づいたものだろう。
- 2025/02/03
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2025/2/3
私は消化器内視鏡専門医です。
一線を退いて、検診中心の胃カメラ(上部消化管内視鏡)をしています。
以前から感じていたのですが、内視鏡で観察される十二指腸乳頭はひとそれぞれで千差万別です。
そこで、個人識別に使えるのでは・・・と思うのです。
十二指腸乳頭の形状は個人差が大きく、位置や開口部の形態、周囲粘膜の隆起などが異なることが知られています。
確かに、指紋や虹彩のように「完全」である必要はないものの、実用的でなければ意味がないでしょう。
内視鏡検査を行わないと観察できないし、定期的に撮影できるわけではないからです。
しかし、弱点があります。
十二指腸乳頭は、加齢だけでなく疾患(炎症や腫瘍など)によっても変化する可能性がありますから。
最終的に、人工知能(AI)に聞いてみました。
その面白さと限界について解説してくれましたが、「理論的には可能性があるが、実用化にはさらなる研究が必要」という段階とのことでした。
- 2025/02/02
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医者の不養生というより医者の不勉強 m(_ _)m
2015年12月25日 文部科学省
食品の栄養成分をまとめた日本食品標準成分表(改訂版)によると、製造に使う釜の多くが鉄製からステンレス製に代わったことで、ヒジキに含まれる鉄分が大幅に減ったという。
この成分表は学校給食の献立づくりや栄養指導などに幅広く使われている。
そこで、表示が大きく変わったのが「鉄分の王様」とも呼ばれるヒジキ。100gあたり55mgあった鉄分が6.2mgと、9分の1になった。ステンレス製の釜が普及し、以前より鉄分が少ないものが流通していることが理由という。
また、切り干し大根もステンレス製包丁の普及を受け、鉄分が9.7mgから3.1mgに減ったという。
10年前のことなのに、情報取集能力のない自分に、喝!!!!
これは、あきらかな恥である。しっかりしろ! 元病態栄養専門医。
- 2025/02/01
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2025/2/1
あの悪夢を見てやがて1年
最後まで小生の努力を認めてくれなかった上司の夢を見た。
あの頃、小生は総合診療専攻医の獲得に燃えていた。
上司の見せかけの対応に怒りを感じていた。
なにくそ根性で指導医を3つ獲得した。時は流れて・・・、
最近、指導医を維持する魅力を感じなくなった。
指導医を返上して、一専門医として一認定医として、一兵卒として活動することに決めた。
医師はそもそも脇役であるのだから。
学会出張をすべてキャンセルして、休診を取り消しにしよう。繰り返すが、主役は患者さん、医師は脇役です。
- 2025/01/31
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天才を追うアラン・チューリング2
前回の続き。
アラン・チューリング(Alan Turing, 1912-1954)は、20世紀を代表する数学者、論理学者、暗号解読者、計算機科学の先駆者です。
もう少し調べたので、詳しく紹介します。「光と影」がありました。
彼の業績は、現代のコンピューター科学と人工知能の基礎を築き、第二次世界大戦中にはナチス・ドイツの暗号を解読することで戦争の行方(勝敗?)を大きく変えた人物としても知られています。
主な業績:
1.チューリング・マシン
1936年に発表した論文で「チューリング・マシン」という抽象的な計算モデルを提案しました。これは、現在のコンピューターの理論的な基礎となっています。このモデルを通じて、「計算可能性」とは何かを数学的に明確にしました。2.エニグマ暗号の解読
第二次世界大戦中、イギリスの政府通信本部(GCHQ)の一部であるブレッチリー・パークで働き、ドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読に貢献しました。特に、「ボンベ」と呼ばれる暗号解読機の開発に携わり、連合国の勝利に大きな影響を与えました。3.人工知能の概念
戦後、「チューリングテスト」と呼ばれる人工知能(AI)の基準を提案しました。これは、コンピューターが人間と同等の知性を持つかどうかを判断するためのテストです。個人的な背景:
アラン・チューリングは同性愛者であり、当時のイギリスでは同性愛が違法とされていました。1952年、彼は同性愛の罪で有罪判決を受け、不当な扱いを受けることになりました。この結果、化学的去勢を受けることを選択し、彼の人生に大きな影響を与えました。
1954年、チューリングは41歳で亡くなり、その死は自殺とされています。名誉回復:
21世紀に入り、チューリングの業績と不当な扱いが再評価され、彼の名誉は大きく回復しました。
•2009年: 英国政府が公式に謝罪。
•2013年: エリザベス女王による恩赦が与えられました。
•2019年: チューリングは英国50ポンド紙幣の肖像に選ばれました。彼の影響:
アラン・チューリングは、「コンピューターの父」とも呼ばれ、科学、技術、社会に計り知れない影響を与えています。その業績は、私たちが日常的に利用するコンピューターやAIの基礎として今も生き続けています。映画イミテーション・ゲーム:
チューリングのエニグマ解読にまつわる映画です。何度でも観たくなります。一瞬ではありますが、あの感動は忘れられません。 - 2025/01/29
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杉とスギ花粉症
神聖な木として神社に植えられた杉が、現代では多くの人々にスギ花粉症という健康問題を引き起こしている。
これは、皮肉な状況だろう。歴史的背景を考えると、杉は日本の文化や宗教に深く根付いており、神社の境内や参道に植えられることで神聖視されてきました。
一方、戦後の復興期に木材需要の高まりから、杉の植林が全国的に推進され、その結果、現在の花粉症問題が生じている。過去の選択や行動が現代の問題に繋がっている点は、歴史の皮肉とも言えるだろう。
「良かれ」と思ってしたことも、結果的に「吉と出ない」ことがある。
やはり、仕方のないことなのだろうか?
花粉症が気になる時節柄。ご自愛ください。
- 2025/01/28
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公人2年、研究者4年以上(その2)
少年老い易く学成り難し・・・やれる時(若い時に)にやっておかねば・・・後悔する
ある教授が、研究者を一定期間やるべきだと言いました。
時間をかけて一つのことに打ち込む経験を重要視しました。
私は若い時にやりました。
医学博士を取得しました。
消化器病研究者4年以上(病理学2年を含む)医学博士(PhD)は、ラテン語の「Philosophiae Doctor」に由来します。
これを直訳すると「哲学の博士」となりますが、ここでの「哲学」とは「知識の追求全般」を指します。
PhDは学術的な研究能力を持つことを示す最高位の学位であり、特定の分野における専門的な研究成果に基づいて授与されます。医学博士(PhD)の利点
1.研究能力の証明
医師がPhDを取得することで、臨床現場だけでなく、基礎研究やトランスレーショナルリサーチにも貢献できる能力を示します。
学術論文の執筆や新しい治療法の開発に必要なスキルが得られます。2.学術的なキャリアの道
医学博士は大学や研究機関でのポストを得るための前提条件となることが多く、教授職や研究リーダーへの道を切り開きます。3.国際的な連携の促進
PhDを持つ医師は国際的な学会や研究プロジェクトに参加しやすくなり、グローバルな視点で医学の発展に貢献できます。4.治療の質の向上
医学研究者としての経験を通じて、エビデンスに基づいた医療をより深く理解し、臨床実践に応用できます。歴史的背景
PhDの概念は、中世ヨーロッパの大学にまで遡ります。
博士号は最初、神学、法学、医学という「三大高等学問」において授与されました。
特に医学博士は、医療が専門職として発展する中で重要な地位を占めていました。近代的なPhDの成立
19世紀にドイツの大学で近代的なPhD制度が確立されました。
このモデルが他国に広がり、研究を通じた学問的貢献を重視する現在のPhD制度が形成されました。日本における医学博士
日本では、近代医学教育が明治時代に導入されると同時に、医学博士号が導入されました。
当初は西洋医学の知識を習得し、国内に広めることが目的でしたが、その後、独自の研究と発展が進み、今日では世界的に認められる研究成果を持つ医師が多く生まれています。
関ケ原合戦に出てくる小早川秀秋に「問鉄砲」が放たれた。
徳川家康が実行したという通説が崩れ始めている。
大河ドラマ「葵 徳川三代」では、その通りであったが・・・。
通説では、徳川家康が小早川秀秋に対して「問鉄砲」を放ったとされてきた。
最近の研究では、この「問鉄砲」のエピソードが史料に見当たらないことがあげられる。また、他の戦術が採用された可能性も指摘されている。
そのため、真偽が再考されているそうだ。