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- 2025/11/20
- 2025/11/19
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外来診療より清水医師休診のお知らせ
令和7年12月29日(月)午前・午後の清水医師による循環器内科の診療は都合により休診とさせていただきます。
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「正義中毒という名の医療倫理」
医療現場には、「患者のため」という旗印のもとに燃える“正義中毒”が潜む。
中野信子氏は、人が正義を語るとき、脳内で快楽物質ドーパミンが放出されると述べている。つまり、「正義」は人を酔わせる麻薬でもあるのだ。
「倫理的に正しい医療」を貫くつもりが、いつしか他者を断罪するための道具に変わる。ガイドライン違反を見つけては声を荒げ、同僚を叱責しながら自分の“善”を確認する。そこに対話も共感もない。
倫理とは、本来「共に考えるための知恵」である。にもかかわらず、正義中毒に陥ると「勝ち負け」の倫理にすり替わる。医療者に必要なのは、正義ではなく迷いを許す倫理である。
白衣の中の熱が冷めたとき、ようやく本当の思いやりが顔を出す。
医療現場最優先主義の小生であったが、いよいよ終点に近づいている。
医師とは何か?
医療とは何か?
そして、医者とは何か?
もうわからなくなった。
一度、この世界から少し外れて生きよう。
- 2025/11/18
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現実味のある夢を見た。
職場でいじめられ、追い出された。
残念ながら、退職。
仕事内容も満足できなかった。
しかし、怒りはなかった。
ChatGPTの夢判断
とても印象的な夢ですね。現実味がありながらも、怒りがなかったという点に、心理的な意味が隠れているかもしれません。
夢の要素を整理すると・・・
職場でいじめられる・追い出される:社会的評価や集団内での疎外感、または「自分の居場所を失う不安」を象徴します。
退職:何かを「手放す」「終わらせる」心理的準備を意味することがあります。
仕事内容に満足できなかった:現実でも「努力に見合う成果が得られない」「本来の自分を活かせていない」という感覚が反映されている可能性があります。
怒りがなかった:この部分がとても重要です。怒りが出ないのは、「すでにある程度、受け入れている」「自分の中で決着がつきつつある」ことを示唆します。
つまり、この夢は「現実でのしがらみや不満を、無意識が整理している過程」を描いているように見えます。以前なら怒りや悔しさを感じた場面でも、いまは「もういい」と静かに手放す準備ができている。
これは心理的な成熟や、次の段階への移行期に見られる夢です。もしこの夢を見たあとに、少し軽くなった感覚や、職場や人間関係への執着が薄れたように感じたなら、それは「再出発のサイン」と考えてよいでしょう。
- 2025/11/17
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獅子奮迅のドジャース山本投手
Wシリーズ連覇おめでとう。
気迫と技が溶け合い、まさに渾身の投球だった。
誰もが称賛を惜しまない。
ただ、その奮迅の裏に、どれほどの静かな痛みがあるのだろう。
燃えるような闘志の中にも、ほんの少しの休息を――。
無理をせず、長く光を放ってほしい。
2001年のランディージョンソンを思い出す。
疲れていないわけでない。
しかし、やっぱり根性だろうな。
- 2025/11/16
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早起きは三文の得!
夜更かし(夜なべ)は十文の損?
医師歴30年。
隙間時間で勉強するには・・・、早朝しかなかった。
仕事が終わってから、(疲れているので)なかなか勉強できなかった。
資格取得のための勉強は、隙間時間と早朝のみ。
今まで、いろいろな資格を取得してきたが、落とし穴があった。
他の分野のアップデートが間に合わず、追いつくのにかなり焦った。
ボクシングに例えると、タイトル挑戦とタイトル防衛を同時に進めないといけない。
うまく計画を立てないと、思うようにはいかない。
学会出席が困難になり、タイトル返上が幾度もあった。
しかし、一度でもハードルを越えたんだという自己満足が心の支えであった。
医師人生最後の資格がこれになるだろう。

- 2025/11/15
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ムーンボウ(moonbow)
日本語で「月虹(げっこう)」とも呼ばれる月光によってできる虹。
太陽の虹と同じ原理で生じる。ただし、光源が「太陽」ではなく「月」。
ムーンボウのしくみ
虹は、水滴の中で光が屈折・反射・再屈折することで生じる。ムーンボウも同様の原理で、月光が雨粒や霧の中で屈折・反射して現れる。
ただし、月光は太陽光の約 1/400,000 の明るさしかないため、非常に淡く、肉眼では白っぽく見えることが多い。
カメラで長時間露光をすると、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫といった色がはっきりと写ることもある。
観察できる条件
ムーンボウはとても珍しい現象で、以下の条件が重なる必要がある。①満月またはそれに近い明るい月が出ている。
②夜空が暗く、街灯などが少ない場所である。
③月が低い位置(地平線から40度以下)にある。
④観察者の反対側(背を向けた方向)に小雨や霧がある。
⑤空気中に水滴のサイズが適度(霧雨くらい)で、光を散乱させすぎない。
なかなか見られないことになるね。いつかその機会があることを祈る。
- 2025/11/14
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医師は属人的だと思う。均一でない。
医師という職業は、「標準化」を掲げながら、実態はまるで「職人芸」。
同じ病名でも、医師が変われば、診療も薬もガラリと変わる。
まるで「和食の店」と「洋食の店」をはしごしているようなもの。
どちらも「料理」ではあるが、味も盛り付けも違う。
患者は「科学」を期待して受診するが、実際に出てくるのは「その医師の流儀」。
医学の裏に、「我流の医学」が隠れているのだ。
だからこそ、人工知能(AI)が医療を均一化(均てん化)するなんて言われても、医師たちは内心ホッとしているんだよな。――「ようやく、我が診療の正しさが証明される日が来た」とね。
- 2025/11/13
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ペイシェント・フレンドリーとは? ~患者にやさしい医療をめざして~
直訳すると「患者にやさしい」という意味です。
単に“やさしく接する”ということだけではありません。
もっと広い意味で、患者が安心して医療を受けられるように工夫された医療のあり方を指します。
たとえば、診察のときに、専門用語を避けて分かりやすく説明したり、患者の不安や質問に耳を傾けたりする姿勢も、重要な要素です。
医療はどうしても専門的で、患者にとっては「わからない」「なんとなく怖い」「聞きにくい」と感じる場面が多いものです。だからこそ、医療者が一歩下がって、患者の立場に立ち、理解しやすく、参加しやすい医療をめざすことが求められます。
これが、ペイシェント・フレンドリーの本質です。
ペイシェント・フレンドリーとは「人にやさしい医療」のことであり、医療の中心に“患者”を置く姿勢です。
医療者と患者が対等なパートナーとして支え合うことから、本当の意味での“安心できる医療”が生まれるのではないでしょうか。
- 2025/11/12
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懐かしい同級生と再会 2025/10/24
幼稚園からの幼馴染と偶然会った。
それも健診の内視鏡ルームで。
昭和XX年X月X日生まれ。S.N.君。
すぐに分かった。
子供の頃、よく遊んだものだ。
面影もかすかに残っていた。
約30年の経験を生かして、胃カメラをさせて頂いた。
同級生みなさんの健康を祈る。











若い頃、私は一流の内視鏡医を夢見ていた。胃でも腸でも、どんな粘膜のヒダも読み取れる達人になりたかった。専門医を取得し、ようやく「独り立ち」の瞬間を迎えたとき、スコープの先には輝かしい未来が見える気がしていた。
ところが、転勤先には内視鏡の係がなかった。人生というのは不思議なもので、「希望の門」は近くにない。半年で退職し、田舎の個人病院に再就職。ようやく再びスコープを握ったものの、今度は思うほどに数をこなせず、技術も伸び悩んだ。病院の方針も変わり、内視鏡は脇役に追いやられ、私は舞台袖で光を失った。
やがて、不満が積もってトラブルに発展し、クビになった。そのときようやく気づいた。私が覗き込んでいたのは、患者の胃ではなく、自分の狭い執念だったのだと。
その後、フリーターをしながら生き延びた。健診センターに応募して、内視鏡のリハビリを続けた。
かろうじて再就職しても、まとまった内視鏡の係には恵まれなかった。内視鏡はさらに脇役に追いやられた。だが、他人の「中」を覗けない代わりに、人生の「内側」を覗くようになった。
いま振り返れば、私は“内視鏡医”ではなく、“内省鏡医”になっていたのかもしれない。スコープを通して見つめたのは、結局、自分の心の粘膜だった。そこには炎症も潰瘍もあったが、瘢痕の下には、ちゃんと再生しようとする上皮があった。
夢は叶わなかった。けれど、叶わなかった夢の跡には、別の道標が残る。それを覗き込む勇気さえあれば、人生もまた、一種の内視鏡検査なのだ。
眼にも腰にも心にも、もう内視鏡を極めるだけの力が残っていない。向上心は必要条件であるが、それを支える健全な心身が十分条件なのだ。必要十分条件。それがないのであれば、ここで挫折決定。さらば、専門医。20年間ありがとう。