医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

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2025/11/08
田中角栄節

① 学歴なんてどうでもいい ―「現場がすべてだ」

「学問より経験。教科書より工事現場だ。」学歴は入り口。成果を出すのは“手と足”。MBAよりもPDCA。現場の泥にこそ答えがある。

② 批判なんてどうでもいい ―「叩かれるうちは注目されてる」

「文句を言う奴に限って、何も作らねぇ。」批判を恐れる人は動けない。批判を笑い飛ばす人だけが、実績を残す。

③ 世間体なんてどうでもいい ―「結果で語れ」

「見栄を張る暇があったら、道路を一本作れ。」SNS映えよりも、仕事の実。外面を磨くより、裏方で結果を積み上げる。

④ カネに潔癖すぎるのもどうでもいい ―「現実主義で行け」

「カネは使ってこそ生きる。」理念だけでは人も動かない。資金は“血液”。流さねば死ぬ。

⑤ 出世競争なんてどうでもいい ―「やることやってりゃ自然に上がる」

「役職はあとからついてくる。」上司に媚びるより、現場で結果。地べたから登る人ほど、組織を動かせる。

⑥ 難しい理屈なんてどうでもいい ―「わかる言葉で話せ」

「子供でもわかる説明ができなきゃ政策じゃねぇ。」専門用語は防御壁。伝わる言葉は武器。“伝える力”はすべてのリーダーの条件。

⑦ 完璧主義なんてどうでもいい ―「まずやれ、直すのはあとだ」

「やりながら考えろ。」机上の空論はゼロ。失敗しても進んだ方が、10倍の経験が残る。

⑧ 敵意なんてどうでもいい ―「恨みは時間のムダ」

「敵でも使える奴は使う。」嫌いだから排除するのは素人。能力で組むのがプロ。

⑨ 過去なんてどうでもいい ―「今日から変えればいい」

「人間、昨日のことを悔やんでも、道路はできねぇ。」過去を悔やむより、今を動かす。未来は「行動の現在形」。

⑩ 評判なんてどうでもいい ―「歴史が判断する」

「今叩かれても、50年後にわかればいい。」目先の人気を追えば軽くなる。本物の仕事は、時代を超えて残る。

小生にとって、学ぶべきところ満載。
やっぱりこれだよ、人生は。
この心構え。

2025/11/07
嗚呼。

 医師とは、人生の航海におけるただの寄港地係にすぎないのかもしれない。

 患者が荒波を越え、嵐に立ち向かうその航路を、医師は診察室の窓からその一瞬だけ垣間見るだけだ。

 聴診器をあて、血圧を測り、検査値を眺めながら、「経過良好」や「変化なし」とただ書くだけ。

 だが、その背景にある夜の涙も、家族との軋轢も、静かに募る孤独も知らないまま。

 医師の見ているのは、人生という絵巻物のほんの切れ端。

 切り取られた部分だけを診て、「全体」を語ろうとするこの滑稽さよ。

 まるで、虫眼鏡で花びらのシミを観察しながら、「この花は幸福だ」と断言するようなものだ。

 それでも白衣をまとい、「先生」と呼ばれてしまう。

 この矛盾の中で、無力感と傲慢感が見事に同時に存在している。

 この調子だと、私は一生、「医者になれない」と感じてしまう。もう成れなかったと言わざるを得ない。いや、そう結論づけた。暗い未来だ。

2025/11/06
年末年始の診療について
超短い夢を見た

 私は医者。若い男性の内臓に腫瘍が見つかった。大学病院に紹介しよう。

ChatGPT夢判断
 興味深い夢ですね。夢判断として整理してみます。

夢の内容
 あなたは医者(現実と同じ役割)

 若い男性に腫瘍が見つかる

 「大学病院に紹介しよう」と考える

象徴的な解釈・・・

腫瘍=問題や不安の「かたまり」
 腫瘍は身体の中に隠れていた「異常」であり、夢では心理的な「気づかぬうちに育っている問題」や「心配ごと」の象徴とみられます。

若い男性=未熟な側面や未来の可能性

 「若さ」は発展途上や将来性を表します。自分の中の若い部分(新しい挑戦や成長したい気持ち)が、問題や負担と結びついているかもしれません。

大学病院に紹介=専門家や大きな力に委ねる

  これは「自分ひとりで抱え込まず、より大きな仕組みや他者に任せる」心境を反映している可能性があります。責任を感じつつも、適切に分担する姿勢が夢に表れているようです。

心理的背景の推測
 現実での診療・カウンセリング・家族支援などで、「自分がすべて背負わずに、適切に他者につなぐ」判断を求められる場面が多いのではないでしょうか。

 夢は、その判断や姿勢をあなた自身が再確認しているサインとも読めます。

全体のメッセージ
 この夢は不吉な予兆というより、「見つけた問題を正しく認識し、責任感を持ちつつも専門性に応じて委ねていく」という、医師としての基本的な態度を夢の中で再演しているように感じます。

2025/11/05
第79回 創立記念祭のお知らせ

 当院は、令和7年12月1日(月)に創立79年を迎えます。

 長きにわたり支えてくださった地域の皆様方に感謝を込めて、令和7年11月29日(土)30日(日)12月1日(月)の3日間に記念品を配布させていただきます。

                         院 長

想定外の夢を見た

(ギャンブルは幼少期からしていない。ゆえに、人生していないに等しい。)
そんな自分が、ギャンブル巡りしていた。
実家に夜9時(21時)に帰らないといけないのに、次の店に足を運んでいた。
そこを出て、急いで街中を歩いて、電車に乗ろうとしているのだが。
電車に乗りたいのに、もう22時40分。しかし、駅が見つからない。
うろうろしていたら、橋が面前にあらわれて、白木駅が遠くに見えてきた。
橋の向こうには、車が渋滞していた。
AIの夢判断は以下の通り。

夢の要素:

1.ギャンブル巡り(現実では無縁のもの)

 普段しない行為を夢でしている → 「日常では抑えている欲求」や「自分にとって異質な世界への接触」を象徴することがあります。ギャンブルは「偶然性」「コントロールできないもの」「一攫千金」などの意味をもち、現実での不確実性やリスクをどう扱うかの心の投影とも考えられます。

2.実家に夜9時までに帰らなければならない(期限・義務)

 実家=安心の場・原点。そこに「制限時間」がついている → 「守るべき責任・義務」と「自分の自由との葛藤」を表している可能性があります。

3.電車に乗れない/駅が見つからない

 電車は「人生のレール」「計画された進路」の象徴。駅が見つからないのは「進むべき道が見えない」「時間に追われている」心境を暗示します。

4.22時40分になっている(遅れ)

 「時間に遅れる」夢は、現実での焦りや不安、計画通りに進まない感覚を映しやすいです。

5.橋が出現し、遠くに白木駅が見える

 橋は「移行期」「越えなければならない課題」を意味することが多いです。

 白木駅(固有名詞が出る夢は象徴性が強い)→「まだ遠いが目標や希望が見えている」。

 白木=白い木=「新しい出発・浄化・素朴さ」とも解釈できます。

6.橋の向こうの渋滞

 車の渋滞は「停滞」「スムーズに進めない状況」を暗示。

 自分だけでなく周囲全体も停滞していることを示す場合もあります。

まとめると、この夢は、

 ①「帰らなければならない(義務・責任)」と「寄り道をしてしまう(自由・リスク)」の葛藤

 ②計画した時間(9時)に間に合わない焦り

 ③進むべき駅は見えているが、まだ遠い(ゴールは分かっているが到達困難な現状)」

 ④橋=課題を越える必要があるが、周囲も停滞している

という心理的テーマを映しているようです。

臨床心理学的にいえば、

 1)「本来の自分(実家)に戻る責任感」と「寄り道や不確実性への誘惑」
 2)「時間に追われ、目標は見えるがまだ到達できない感覚」

が同時に表現されており、現実の生活や仕事の中で、期限や責任に縛られながらも別の選択肢や寄り道をしたい気持ちが出ているのかもしれません。

2025/11/04
2025/9/14ボクシング

 類まれなるチャンピオン井上尚弥選手。

 衰えたどころか、成長していました。

 KOがすべてでない。勝利最優先主義。

 見習いたいです。クレバーな戦略。

 私も56歳ですが、成長したいと思わせてくれた試合でした。

 そして、試合にクレバーな人生観が漂っていました。

ここで思い出します。

 「まだ少しずつ上達している」―パブロ・カザルスの言葉

 チェロの巨匠であるパブロ・カザルスは20世紀を代表する音楽家。彼は生涯を通じて、演奏活動だけでなく、平和や人権を訴える活動にも力を注いだ。

 そんなカザルスは、90歳を過ぎてもなお、毎朝チェロの練習を欠かさなかったことは有名。

 ある問いかけ、「先生、なぜそんなにご高齢になっても、まだ練習を続けるのですか?」に対して、シンプルに回答したそうです。

「私はまだ、少しずつ上達しているからです。」と。

 この言葉には、人の成長に「年齢の限界」はないという真理が凝縮されている。人間は、歳を重ねると「もう若くはない」「衰えるばかりだ」と思いがち。

 しかし、カザルスは違った。90歳を過ぎても「昨日より今日、今日より明日」と、前に進むことをやめなかった。

 この姿勢は、私たちも「人生のどの時点からでも新しいステップを踏み出せる」と思わせてくれます。この言葉を胸に刻めば、日々の仕事や学びの中で「まだ自分は成長できる」という希望を持ち続けられる。

 最後に、みなさまに一言。
  「あなたは今日、どんな成長を感じますか?」

2025/11/03
納得いかない夢を見た

 職場の話。どこだかわからない。

 散々、厄介なことで働かされた挙句に、文句を言ったら、自分の座席が片付けられていた。

 殺風景になっていたところに立ち尽くしていたら、看護師がやってきた。

 うなずいていたので、自分がクビになったことを実感した。

 上司は出てこなかった。

 自分も状況を理解し、腹立たしかったが、受け入れた。

AI夢判断は以下の通り。

  1. 職場・座席・解雇のイメージ
     職場:現実の仕事そのものだけでなく、「社会的役割」「責任」「居場所」の象徴。  自分の座席が片付けられていた:アイデンティティや役割を剥奪される不安、居場所を失う恐怖の表現。  上司が出てこなかった:権威的な存在に対して、直接ぶつかることを避けている心理かもしれません。つまり「怒りをぶつけたいが、相手に出てきてほしくない」という ambivalence(両価感情)。
  2. 看護師が登場した点
     看護師は「ケア」「癒し」「受容」の象徴。夢の中で、上司ではなく看護師が出てきたのは、厳しい裁断ではなく「やさしい承認」を潜在的に求めている可能性があります。  うなずいた=外部から「そうだよ」と事実を突きつけられた形。これは、自分の内面の「ほんとうはもう分かっていた」気持ちの投影かもしれません。
  3. 感情面(腹立たしさと受け入れ)
     怒りと同時に受容しているのは、現実生活でも「納得はいかないけど、仕方がない」と飲み込む場面が多いことの反映かもしれません。  特に、職場で「理不尽な役割」や「過大な負担」を抱えている場合、夢がそれを象徴化していることが多いです。

まとめると・・・この夢は、
 「自分の役割を奪われるのでは、という不安」、「理不尽に働かされている感覚」および「怒りはあるが最終的には受け入れてしまう自己像」を映している可能性があります。
 フロイト風に言えば、抑圧された怒りや不満が「解雇」という極端な形で表れ、しかし同時にそれを受け入れてしまう自分を映し出している、といえるでしょう。

2025/11/02
ネクタイ

 江戸時代末期、土佐の漁師であった中浜万次郎(ジョン万次郎)は、遭難中にアメリカの捕鯨船に救われて渡米し、1851年に帰国した。その際の所持品として「白鹿襟飾」の記録があり、これが日本に初めて持ちこまれたネクタイだとされている。

 なお、ネクタイの発祥は、17世紀のヨーロッパ、特にクロアチア兵が首に巻いていたスカーフ「クラバット」に由来する。

歴史的背景:クロアチア兵がフランス王国の従軍時に首に巻いていたスカーフが、宮廷のファッションとして採用され、現代ネクタイの起源となった。
 それまでも、古代ローマの兵士が寒さをしのぐためや、身分を表すために首に布を巻いていたが、現代ネクタイと直接関係はないという。

名前の由来:フランス語で、ネクタイは「クラヴァット(cravate)」というが、これは「クロアチア人(Croate/クロワット)」が語源。
日本への伝来:日本では、明治時代の文明開化の際にネクタイが取り入れられ、西洋文化の象徴やビジネスシーンの正装として定着した。
まとめ:ネクタイはクロアチア発祥。フランス宮廷で流行し、世界中に広まった男性ファッションの代表的アイテム。

 小生、研修医時代は、白衣にネクタイでした。しかし、動きやすさを最優先して、途中からケーシー型白衣にしている。白衣が濃紺衣になることもしばしばですが・・・。

2025/11/01
シェイクスピア「リア王」

 初演は、日本でいうと江戸時代初期。

 この話は、王族の恋愛や親子関係がどれほど「狂気」と紙一重であるかを見事に描いている。

 愛の言葉を、三人の娘にどれだけ派手に表現できるかを試すなんて、すでに狂っている。しかも、リア王の娘たち(長女と次女)の豹変ぶりときたら、古今東西の王侯貴族のスキャンダルを先取りしているかのようにも感じる。

 権力と遺産が絡めば、愛も忠義もあったものでない。美辞麗句で父(リア王)を酔わせたかと思えば、次の瞬間には冷酷に追い出す。そして、知らん顔。これほど「愛のインフレ」と「家族経営の破綻」を見事に描いた作品はないだろう。

 結局、王族の恋愛や家族関係は「愛」と称しながら、実際には「権力闘争」「財産分与」「面子の維持」の三点セットにすぎない。幻滅そのもの。

 リア王に限らず、歴史を振り返れば王侯貴族の恋愛沙汰は、政治の舞台装置か血統保存のための契約ごっこと皮肉るしかない。

 だから、悲劇にしかならないのだろう。

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