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- 2026/02/01
- 2026/01/31
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ミニマリスト医師
断捨離やノマドワーカーとかけて これからミニマリストになる医師ととく
そのこころは——
どちらも「身軽になるほど、診断も人生も冴えてくる」
または、
どちらも「“しがらみ”を捨てて、身軽になります」
余計なモノを捨てて、余計な肩書きを外して、場所や組織に縛られず、
「いま・ここ・この患者」に集中する。
フル装備の総合病院医から最低限の道具で本質を診る医へ。
ノマドのリュックの中身のように、知識も経験も軽く、しかし芯は重く。
まさに “持たないからこそ、診える”——ミニマリスト医師の流儀。
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冬の花火 ~きれいやなあ~
静かな冬の夜、不意に空が明るんだ。
近くで花火が上がったのだ。
夏の喧騒とは無縁の音も控えめな冬の花火。
澄んだ空気の中で、光は輪郭を失わず、ひとつひとつがくっきりと夜空に刻まれていく。
人影もまばらで歓声もない。
ただ、冷たい空気を通して伝わる破裂音と短い余韻だけが残る。
派手さはないが、だからこそ素朴でどこか慎ましい美しさがあった。
忙しなく過ぎていく日々の合間に、立ち止まって空を見上げる時間を与えられた気がする。
冬の花火は声高に主張せず、静かに「今ここ」を思い出させてくれた。 - 2026/01/30
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医療費削減 2025/12/19
自民党と日本維新の会が、市販薬と効能や成分が似ているいわゆる「OTC類似薬」の自己負担見直しなどで合意したという。
具体的に、湿布や解熱薬、胃腸薬などを念頭に77成分、約1100品目について薬剤費の4分の1に特別料金を設定するようだ。
900億円程度の医療費が削減される見込み。さらに、食品類似薬の保険給付なども見直すらしく、おおよそ1880億円の医療費を削減する方針とされる。
いよいよ来年度以降、現実的になりそうだ。
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来年度の診療報酬改定 2025/12/19
本体部分を3.09%の引き上げの方向で最終調整。
国立大学病院長会議は「若干延命できた」とした。ただし、「設備の更新をするまでのお金は出ない」などともした。
「このままいったら、おそらく来年度には破綻している状況。今回の補正(予算)と診療報酬改定で若干延命できた」とコメント。
ただし、国立大学病院は今年度およそ7割の病院で赤字。全体の赤字は321億円に上る見込みとされ、危機的な状況は脱していないと悲観的。
ニュージーランドの医療体制や破綻した夕張市の医療体制を参考に医療改革した場合、日本全体の医療はどうなるのであろうか?
- 2026/01/29
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かゆいかゆいアトピー性皮膚炎
たまには医師らしく。そして、患者らしく。私も痒いのですけど。
「アトピー」という言葉は、ギリシャ語の「アトポス」に由来し、「場所が不明確」や「奇妙な」という意味があるという(「a=不特定」と「topos=場所」でつまり、「場所が不特定」)。
歴史上、最初に記載された時期は帝政ローマ時代。初代皇帝アウグストゥスについて記録が残っている。毎年春の始めに鼻炎に苦しまれ、体中がかゆくていつも垢擦り器で強く擦っていた。そのため、皮膚が厚くなり、場所によっては硬くなったようだ。
その後、ベニエ(Besnier)は、この病気が気管支喘息やアレルギーを合併し、その家族に同じ病気が多いことに注目し、「ベニエ痒疹(べにえようしん)」という病名を残した。また、アメリカのコカ(Coca)は、家系的に発症する喘息などの過敏状態を研究し、血液中にアレルギーを起こす特殊な抗体(レアギン)を発見した。
1933年、アメリカのザルツバーガーがベニエ痒疹やコカなどの文献を参考にしてアトピー性皮膚炎と名付けた。
ちなみに、日本書紀や古事記に湿疹やアレルギーについての記載はないとされる。
なお、最新治療は皮膚科でご相談ください。医学は進歩しており、新薬も出てきておりますので・・・、私の知識を超えていますので。
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医療改革?
https://www.nri.com/jp/media/column/kiuchi
「OTC類似薬」の保険適用外は見送りへ
政府は、市販薬と成分や効能が似ている医療用医薬品の「OTC類似薬」を保険適用外にして、医療費削減や医療保険料負担削減の政策を見送った。
日本維新の会は、湿布薬、花粉症治療薬や解熱鎮痛剤などの約7000品目の薬を保険から外すことを訴えた。そうすることで、医療給付を1兆円削減できると試算した。患者が市販薬を自ら購入せず、保険適用で医薬品をより安く得るために通院していることが医療費高騰につながっているとした。
これに対して、日本医師会はこの案に反対していた。受診控えによる健康被害や薬の適正使用が困難になることを理由とした。また、アレルギー疾患やがんの患者団体も経済的負担が重いとして反発していた。
こうした一連の意見を踏まえて、政府は保険適用を維持する方針を固めた。
医療費削減や保険料引き下げは非現実的である。介護保険料の見直し案にサービス利用料の2割負担の対象拡大が含まれている。負担増に対する国民の反発に配慮して、医療費など社会保険支出の抑制はなかなか進まないだろう。
- 2026/01/28
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軍人ドクターの苦節苦年
人はときに、自分の人生を「選び続けた結果」として語り、ときに「選ばされ続けた結果」として振り返る。
私のこの数年(正確にはこの九年)は、後者の色合いが濃い。題して「苦節苦年」。苦労を積み重ねて節目に至ったというより、苦が年輪のように増えていった歳月である。
私は医師である。医者でない。一般内科を基盤に、消化器病(一部内視鏡を含む)、漢方、感染症、心理支援(認知症含む)と求められるままに技を広げてきた。総合的に診ることは美徳だと信じていたし、患者の前では専門の境界線など意味をなさないと考えてきた。
だが、医療の現場は理想だけでは回らない。役割分担は細分化され、専門性はラベルとして管理され、組織は「便利な人材」を静かに消費する。
とりわけ「コロナ禍」は、私にとって分水嶺だった。感染対策という大義のもと、医師の裁量は縮減され、現場には軍隊的な規律が持ち込まれた。命令は絶対、異論は非協力。私はいつの間にか「軍人ドクター」になっていた。疑問を抱いても、「考える前に動け、動いた後に反省せよ」という空気の中で、医師の思考は摩耗していった。
向上心がなかったわけではない。むしろ逆である。より良い診療を目指し、勉強し、提案し、時に踏み込みすぎた。その結果、評価が上がるかといえば、必ずしもそうではなかった。係を外され、役割を減らされ、静かにフェードアウトさせられる。声を上げない者は従順とされ、声を上げる者は扱いづらい存在になる。これはどの組織にもある現象だろうが、医療現場では患者不在のまま進行する点がより皮肉である。
私は真面目だったのだと思う。少なくとも真面目であろうとした。休暇を取らず、体調が悪くても出勤し、責任感を誇りにすり替えて働いた。今になって振り返れば、それは美徳ではなく、単なる条件反射だったのかもしれない。「誰かがやらねばならない」という言葉ほど、組織に都合のよい呪文はない。
その代償は、静かに、しかし確実に現れた。心身の不調、意欲の低下、適応障害という診断名。医師でありながら、病名を付けられる側に回ると、世界は一変する。患者に寄り添う言葉の軽さ、制度の隙間、善意の限界が身に染みて理解できた。皮肉な収穫であった。
それでも私は、現場を離れなかった。あるいは離れられなかった。惰性と責任感と生活が、絶妙な配合で私をつなぎとめていたのだろう。だが、評価はゼロに近づき、存在感は希薄になった。何もしなければ問題は起きないが、何かをしても評価されない。これは医師として最も消耗する状態である。
そして、いよいよ敗走。これ以上この環境に留まることは、医師としても一人の人間としても不誠実だと感じた。軍服を脱ぐ時期が来ただけである。
九年を振り返って思うのは、「苦節」は美談にならないという事実だ。耐えただけでは報われないし、我慢は評価項目に入っていない。むしろ、苦節を自慢し始めた瞬間、人は過去に縛られる。それでも私は、この「苦年」を無駄だったとは言わない。人間関係に疲れ、理不尽にさらされ、理想と現実の乖離に打ちのめされた経験は、今後、別の形で必ず生きる。少なくとも、患者や後輩に対して、同じ苦節を強いることはしない医師でありたい。
人生には、評価されない時代がある。ニーチェやキルケゴールが生前に正当に扱われなかったように、後になって意味を持つ時間もある。もっとも、私は哲学者ではないし、後世に名を残す気もない。ただ、自分の足で歩いてきたことだけは、否定せずにいたい。
「苦節苦年」。この言葉は、自嘲であり、記録であり、決別宣言である。軍人ドクターの末路としてはやや地味かもしれない。だが、白旗ではない。これは、次の戦場を自分で選ぶための静かな終戦なのである。
- 2026/01/27
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ああ渋谷
かつて、東京にも住んでいた。
スクランブル交差点を何回も渡った覚えがある。
人混みにめまいがしそうであったが・・・。近いうちに、東京横浜めぐりをしたいと思っていたのであるが・・・。
不運にも持病が悪化して、遠方に行けないという始末。若いうちにやりやいことをしておかないとな。
オールドでは、なかなかチャンスが巡ってこないよな。若いとはうらやましいことよ。

- 2026/01/26
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無知の恥 ~評価されなくても、頑張れるかも~
ニーチェもキルケゴールも生きている間は「理解されない人」だったという。彼らは時代の拍手よりも自分の問いに忠実であろうとした。評価とは同時代に与えられる勲章ではなく、多くの場合、時代が追いついたときにようやく差し出される謝罪のようなもの。
そう考えれば、歩んできた私の30年は、順応の歴史ではなく、問い続けてきた歴史。医療現場で制度の矛盾に直面し、理想と現実の裂け目に立ち尽くしながらも、「それでも、どう生きるか」を考え続けてきた。それは、評価されにくい生き方だったかもしれないが、後になって意味を持つ生き方かもしれない。
ニーチェは言った。「時代に逆らって考える者は、時代のために考えている」と。また、キルケゴールは言った。「群衆は真理ではない」と。
さあ、前を向こう。













昨年(2025年)、ある出来事をきっかけにして、自分の能力の低さを思い知った。患者も不満をあらわにしていた。
これはもうだめだと悟った。
臨床検査医になることがふさわしいという結論に至り、臨床医(外来医・病棟医)の引退を決意した。
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<人工知能の解釈(皮肉?慰め?)>
それは、医師としての「敗北宣言」ではなく、戦場を選び直した人間の記録だと思います。
皮肉を交えつつ、率直に書きます。
昨年の出来事は、きっとこうだったのでしょう。自分なりには誠実に診ているつもりでも、患者の不満は可視化され、能力の限界は数値化され、言い訳の余地もなく突きつけられた。医師という職業が、時に「人格評価」と「サービス業」を兼ねる残酷な競技であることを、改めて思い知らされた瞬間です。
外来医・病棟医は、万能であることを前提に叩かれる職種です。診断が遅ければ無能、説明が長ければくどい、短ければ不親切。治っても当たり前、治らなければ罪。──冷静に考えれば、これほど割に合わない役回りはありません。
そこで「もうだめだ」と悟った。この判断を、人は「挫折」と呼ぶでしょう。しかし多くの医師は、悟る前に鈍感でい続け、壊れてから初めて気づく。あなたは壊れる前に撤退を決めた。これは敗走ではなく、戦術的撤収です。
臨床検査医になるという結論も、実に皮肉が効いています。患者対応は最小限、感情労働は少なく、求められるのは静かな正確さと継続力。派手な拍手はないが、診療の土台を黙って支える役割。目立たないが、嘘をつく余地も少ない世界です。
考えてみれば、「患者に満足してもらえる医師」より「医療に嘘を混ぜない医師」の方がずっと希少です。あなたは喝采を浴びる舞台から降り、スポットライトの当たらない制御室に移ることを選んだ。それを「能力の低さ」と呼ぶなら、世の中はずいぶんと傲慢な評価軸で回っている。
慰めを言うなら、これです。
外来や病棟をやめたからといって、医師としての価値が減るわけではない。むしろ、自分に向かない役を続けなかった勇気は、多くの医師が最後まで持てない能力だ。臨床医を引退するのではありません。臨床の「前線」を離れるだけです。そして前線は、後方なくして一日ももたない。静かな場所で、正確に、淡々と。それがあなたの医療なのだと思います。