医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

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2023/05/10
2023/5/10 ブログ

変な夢をみた。
 病気療養で1年間休んだのち、久しぶりに出勤した。旧医局の上司がにやにやとしていた。
 さらに、医局長に叱咤された。「これからは十二分に働いてもらわないとな・・・(怒)」と。
 後輩の先生も近くにいたが、冷ややかであった。久しぶりに食事に出かけたが、不気味な様子であった。途中まで付いて来てくれたはずが、いつの間にかいなくなってしまった。

2023/05/08
ホモ・ルーデンス in 日本笑い学会

JR野田駅近くの、安くて実に美味いフグの店に昇幹夫先生や笑い学会の方々とご一緒したことがある。もう何年になるかな?もちろんコロナ前である。 あの時飲んだ勢いで昇先生から教わり、紙の箸袋の裏に“あいうえおの人生” を書き記し、持ち帰った。 今、その本当の価値を知る。
会いたい人に会う。
行きたいところに行く。
歌いたい歌を歌う。
遠慮をしない。
美味しいものを食べる。
なんも変哲もないそれまでの日常が自分の前から突然消えてしまった。
毎日毎日灼熱の中続く発熱外来。 N-95 マスクと予防衣での感染予防。
夕方になると足が鉛のように重く、夜中に足がつって飛び起きることもしばしば。 病棟はゾーニングで自由に回診もできない。 医療現場はまるで煉獄のよう。
役所の方針だかなんだかで、少し感染対応が緩和され、少しだけ通常診療が戻ってきた。 やっと、いつもの患者さんの顔が見れる!
こんな事がいつまで続くのか。
ふと、“あいうえおの人生”の事を思った。
人は、仕事のためだけに生きているのではない。遊ぶために楽しむために生きている。ふと、フグの味を思い出した。
もう少し頑張ることにしよう。

2023/05/03
2023/5/3 ブログ

 最近、よく夢をみる。
 相変わらずと言っては失礼であるが、旧医局の上司がにやにやと近寄ってくる。ドキドキして構えてしまうが、それ以上、危害を及ぼすような素振りはない。
 あまり楽しい夢はなかったが、唯一、本命の女性が左の薬指を差し出してきた夢には感動した。しかし、顔が分からなかった。誰だろうか?
 今年は初恋40周年。1983年の今頃、水ぼうそう(水痘)に罹った。全身に水疱が広がった。新年度早々、惨めだった。出席停止期間解除後、登校したら同じ班になっていた。その後に奇跡の人生が始まるとは・・・、だれも予想できなかった。彼女はどうしているのだろうか?ちなみに、万能のChat GPTで検索してみたが情報ゼロ。情報源が検索不能な領域にある以上、Chat GPTも無力であろう。聖域は存在する。
 さて、新型コロナは世間を騒がせて3年経過。いよいよ、第5類感染症に格下げ。しかし、ウイルスも成長しているので、仲良くしていかないとダメだな。

ブラインドパンデミック
(見えない感染拡大)

第9波の足音
オミクロン XBB 1.5
日本上陸
いよいよ三重へ

2023/05/02
2023/5/2 ブログ号外

1.一面のチューリップ
 コロナ禍なんてどこ吹く風って感じ。
 明るい色が目立つ。絨毯ってイメージ。

2.トルコ共和国
 本年、建国100周年。
 国花はチューリップ(実はトルコ原産)。

3.日本との良好な関係
 日本とトルコの良好な関係を象徴するふたつ(以下の①②の出来事がある。ひとつはエルトゥールル号の遭難救助であり、もうひとつはイラン・イラク戦争時のトルコ政府による日本人救出である。2015年12月公開の日本・トルコ合作『海難1890』という映画でその本質を見ることができる。近況は③。

①エルトゥールル号
 エルトゥールル号遭難事件について、1890年秋、オスマン帝国使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が帰国途次に、和歌山県串本町沖で座礁した。串本町大島の住人が必死の救助にあたり、乗員650人中69人を救出。その後、乗員を日本海軍の巡洋艦で本国まで送り届けた。

②イラン・イラク戦争
 約100年後の1985年春、イラン・イラク戦争時に、イラクのフセイン大統領が「3月19日20時半以降にイラン上空の飛行機は全て攻撃する」と宣言。日本政府が救出機を飛ばせないなか、イランのテヘラン空港に取り残された日本人215人を救出するために、トルコ政府の命を受けたトルコ航空が救出した。この救出劇について、当時の在日トルコ大使は「われわれにはエルトゥールル号の恩があります」と発言した。

③その他(災害支援)
 東日本大震災(2011年)でトルコにより支援を受けた。長期間、手厚い対応であったという。一方、トルコ地震(2023年)で日本は災害支援派遣(自衛隊)を行った。

2023/05/01
2023/5/1 ブログ復活記念

夏目漱石の「それから」を読んで ~あらすじと小生の感想①

「三四郎」に引き続き、「それから」のあらすじと小生の感想(コメント?)を語っていきます。当時(あの御時世に)、この内容でよくお書きになれましたね。さすがは夏目漱石さま。横恋慕なんだけど(不貞行為あり?)、ちょっとヤバくない?

その1:
学生時代、主人公の代助は知人(菅沼)の妹である三千代に恋心を抱いていた。また、代助の友人である平岡も同じく三千代に好意を寄せていた。その後、銀行勤務で収入の安定した平岡の方が三千代を幸せにできると考え、代助は間を取りもち、やがて平岡と三千代は結婚した。
一方、代助は30歳になっても無職のまま実家に頼って優雅な生活を送る高等遊民(漱石の造語という。高等教育を受けながらも就職せずに遊んでいる人のこと=いわゆるプー太郎)であった。一軒家に高齢女性(婆)と書生(門野)がお手伝いをするという人もうらやむ生活環境であった。
そんななか、平岡から手紙が送られてきた。代助のところに訪ねて来て、失業したことや夫婦仲が上手くいっていないことが判明した。平岡は、会社の金を使い込んだ部下の罪を被って銀行を辞めざるを得なくなったという。また、別の日に妻の三千代と一緒に代助のもとを訪れ、代助に「仕事を紹介してほしい」と頼んだ。また、三千代は子供の死をきっかけに歩けないほど体調を崩していたことも判明した。
 とはいうものの、いつまでも代助が依然として高等遊民(プー太郎)を続けていることに対して、父親がそれをとがめ、佐川(さがわ)財閥の令嬢との結婚を勧めた。しかし、代助はその気が全くなく、そうした生活を止めようとはしなかった。むしろ、面倒見のいい兄嫁の梅子(うめこ)に甘えていた。

 友人の幸せを望んだお人よしの代助。親に対する甘え(依存心)が抜け切れていない。プー太郎ゆえに結婚願望もない。しかし、平岡の生活状況の変化を気にしつつ、三千代に対する心境の変化が伺われる。

2023/04/30
2023/4/30 ブログ

(昨年、執筆活動の一部内容に対して残念なご意見を頂きました。そこで、永久的にブログを辞退することにしましたが、当院幹部よりその必要性はないと判断されました。それからというもの、執筆に躊躇しておりましたが、誤解を招く内容にならないように努めることを決意し、再開することにいたしました。そこで、これからも遠慮がちながら細々と継続することにしました。齋藤孝仁)

ブログ復活

「常に前向き」
 リトルワールド開館40周年。

 同時に、初恋から40年。救われた人生の奇跡。
 それからというもの・・・、悔いなき学問三昧。

「土筆の合唱」
 今年は土筆の合唱も前倒しでした。
 例年より早いぞ。采女付近にて。

「寂しさに耐える」
 梅がきれいな季節も過ぎ去りました。

 梅に「思いのまま」という品種があることを知りました。
 咲き方が特徴的ですし、花びらがいかにも「思いのまま」です。
 一輪に二色の花びら。勝手気ままって感じですね。
 まだまだ、知らないことばかり。

「桜咲く」
 生涯受験生の小生。
 今年もすでに一つ試験をパスした。
 本物の桜より長く咲いていたいと常々思う。
 地味でもいいから、咲ければ良し。
 邪魔されても、強く咲ければ、さらに良し。

「ウイズコロナ時代へ」
 新型コロナウイルスの驚異(コロナ禍)。
 あれから3年。長いようで短かった。
 人の心は変わっても、自然は変わらない。
 ここで、古(いにしえ)の有名な一歌
   ひとはいさ
      こころもしらず 
           ふるさとは 
              はなぞむかしの 
                   かににおいける

2023/04/12
協会けんぽ一般健診(生活習慣病予防健診)が受診しやすくなりました(自己負担の軽減)2023.4月~

協会けんぽ三重支部へ

2023ゴールデンウィークの健診について
2023/03/31
2023/3/31 定期ブログ

嗚呼、心の故郷“リトルワールド”へ

 いよいよ終活最終章(悔いのない人生)が始まる。黒歴史を断ち切り、ノーサイドを宣言する。明るい将来に向けて、それだけを考えて終活していこうと思う。
 はぐれ外様医師になって約20年。苦労が似合う小生に与えられた宿命に一片の悔いもない。苦節は勲章。Early bloomerに成れなかった。すでに曝け出した小生。失ってもめげない失う勇気を手に入れた。誇りを持って生きていけそうな精神状態になってきた。心機一転、Late bloomerを目指して生きたいと思う毎日だ。経験を生かして、生涯現役を貫こうと前向きに考えられるようになってきた。そもそもが「奇跡の人生」。だから、その宿命に一片の悔いもないのだ。半実半夢の状況下、前を向いてきた。
 人生は、「獲得と喪失の繰り返し」かもしれない。復活という現象もあるが、学問を楽しむ勇気を持ちたい。遊学という用語を思い出した。遊学とは、「故郷を離れ、よその土地や国で学問すること」とされる。北陸三県から東京・神奈川まで、約18年間の遊学の機会を持てたことに感謝したい。私生活上、育メンになれず、父親としては明らかに不合格だったが・・・(妻子よ、許してくれ)。
 最後に、「やさしい医療」や「分かりやすい医療」を提供していくことに心がけたい。小生は果たせなかったが、臨床現場で役に立つ基礎研究や臨床研究を積極的に進めていく環境が期待される。働き方改革の成功を心から祈っている。

 これがブログ最終回です。故あって、執筆活動を終了することになりました。今まで読んで頂けたことをありがたく思います。 齋藤孝仁

2023/03/15
「女性が働きやすい医療機関」に認証されました。

 令和5年3月13日(月)に三重県庁で行われた「令和4年度 女性が働きやすい医療機関認証制度 認証式」に出席し、一見知事から認証書をいただきました。

 今後も女性はもちろんのこと、誰にとっても働きやすい環境の整備に取り組んでまいります。

◆「女性が働きやすい医療機関」認証制度について

 三重県において、女性が働きやすい勤務環境づくりを促進し、ひいては男性職員にとっても働きやすい職場を実現するため、平成27年度に全国に先駆けて創設されたものです。

 当院では、今回初めて認証されました。

認証期間 令和5年4月1日~令和8年3月31日
※当院院長の淵田則次は1列目の一番左です。
外来診療の受付時間

交通アクセス

〒510-0958
三重県四日市市小古曽3-5-33
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