医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

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2023/12/23
中学3年生

甘酸っぱい初恋の中学2年生は過ぎ去った。
独学ピアノ伴奏という奇跡は過去の事実となった。
彼女はいない。しかし、小生は心身ともに成長した。

この頃、音楽の授業で「さらば青春」を歌った。
歌詞に敏感になっていた。「僕は呼びかけはしない 遠くすぎ去るものに・・・」

小生を慰めるために、独学伴奏を断行した。辛うじてできるようになった。

さらば青春(中3)

僕は呼びかけはしない
遠くすぎ去るものに
僕は呼びかけはしない
かたわらを行くものさえ
見るがいい黒い水が
抱き込むように流れてく
少女よ泣くのはお止め
風も木も川も土も
みんなみんな
たわむれの口笛を吹く

僕は呼びかけはしない
遠くすぎ去るものに
僕は呼びかけはしない
かたわらを行くものさえ
見るがいい黒い犬が
えものさがしてかけて行く
少女よ泣くのはお止め
空も海も月も星も
みんなみんな
うつろな輝きだ
ラララ…

うつろな輝きを放ち、高校受験に挑んだ。
灰色の青春。修学旅行中も寂しい気持ちが付きまとった。

2023/12/22
神様のカルテ 続き

その4 命の重さ
 栗原が日々奮闘している頃、栗原の住む御嶽荘の住人である片島榛名は冬山登山をしていた。行程の途中で先行していたはずの男性の姿が見えないことに気づいた。捜索の末、吹雪の中に怪我をした男性を発見した。死を覚悟して生きる勇気のない男性に対して、片島は叱咤し、荷物をその場に置いて男性を山小屋に連れ帰った。
翌朝、弁明を試みた男性に対して、片島は静かに自らの考えを語りかけた。山は帰るために登るものであり、帰る場所は自分でつくるのだと。
また、山小屋には他に一組の夫婦が滞在していた。この夫婦にとって、今回の登山は幼くして亡くした息子の弔い登山であった。それを知った男性は生きる気力を取り戻し、吹雪の去ったのち、男性はヘリで救助された。
 片島は撮影をしながら自力で下山した。駅の改札を抜けると、「帰ってきた・・・」と安堵すると同時に、心に占めるものは冬山の記憶でなく、帰宅を待っているであろう心温まる男性の存在であった。玄関の引き戸を開けたその瞬間、ここが自分の居場所と確信した。
<感想>
 少しわき道に反れた構成のようであるが、命の重さを語る上で、この章にアクセントを感じる。栗原と片島の将来的な関係性を含蓄しているようだ。

2023/12/21
シャンゼリゼ通り(Avenue des Champs-Élysées, Les Champs-Élysées)

フランス・パリの市内北西部にある大通り。パリ市内で最も美しい通りとされる。「世界で最も美しい通り (la plus belle avenue du monde)」と表現される。

『オー・シャンゼリゼ』という流行歌は世界的に有名。

小生、かつて本命に挑むため、フランス語で歌えるようにした。カラオケでよく歌って練習した。今でも歌える。

そして、初歩的なピアノ伴奏も独学でできるようにした。今でも何とか弾ける程度だけど・・・。

この曲を最後に、新曲の練習はしていない。

1番
Je m’baladais sur l’avenue
le cœur ouvert à l’inconnu
J’avais envie de dire bonjour à n’importe qui
N’importe qui et ce fut toi
je t’ai dit n’importe quoi
Il suffisait de te parler pour t’apprivoiser
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
aux Champs-Elysées

2番
Tu m’as dit “J’ai rendez-vous
dans un sous-sol avec des fous
Qui vivent la guitare à la main, du soir au matin”
Alors je t’ai accompagnée, on a chanté, on a dansé
Et l’on n’a même pas pensé à s’embrasser
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
aux Champs-Elysées

3番
Hier soir, deux inconnus et ce matin sur l’avenue
Deux amourreaux tout etourdis par la longue nuit
Et de l’Etolie a la Concorde, un orchestre a mille cordes
Tous les oiseaux du point du jour chantent I’amour
Aux Champs-Élysées, aux Champs-Élysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez
aux Champs-Elysées

このテンポのいいリズミカルな歌に心和まされたことが多かった。今でもそうだ。

2023/12/20
2023/12/20 ブログ

無残な夢をみた。

 胸苦しさを感じながら、残酷にも夢が続いた。

 旧職場に戻ることになった。

 かつての内科外来は、寂れていた。人気はなく、殺風景。

 リハビリ科に行くと、スタッフには無視されっ放し。

 小生の席は、プレハブの窓際の席。隣のナースに冷たい言葉をかけられた。

 ここではね・・・。

 病院内のどこを歩いても、誰も相手にしてくれなかった。

 院内をひと回りして、小生の席に帰ってくる途中、窓から水色のナース服を着た女性が目に入った。

 胸の谷間をくっきり見せていた。どういうつもりなのか?

小生の深層心理はいかに?

 そういう役回りの運命だったのだろう。その身分は受け入れる。

 しかし、現実でない。助かったと思い、今を大切にしたい。

 ちなみに、女性に誘惑性はあるのだろうか?

2023/12/19
2023/12/19 ブログ

腫瘍マーカーCEA(Carcinoembryonic Antigen) :正常値(基準値)は5.0ng/mL以下。

 CEAは腫瘍マーカーの1つ。もともとCEAは胎児の腸にみられるたんぱく質で、そのために大腸がんに反応しやすい腫瘍マーカーとされる。大腸がんだけでなく、胃がん、肺がん、乳がんなどでも増加する。つまり、消化器癌を中心とした、比較的多くのがんに反応しやすい。

 CEAは通常の血液検査でできるため、検診などで行われることがある。確かに、CEAが高いとがんの発生や再発を示すことがあるが、単に高いだけではがんの診断にはならない。CEAが高い場合は、内視鏡検査や画像検査でがんの有無を調べる必要がある。ところが、案外見つからないことが多い。CEAは、正常細胞では分泌しづらく(だから、血液で検出しづらく)、がんで分泌しやすい(だから、血液で検出しやすい)特徴を持つに過ぎず、がん以外の炎症細胞でも分泌されることがある。

 小生の経験では、20~30ng/mLでもがんが見つからないケースがあった。もちろん、翌年も元気に検診にやってくるケースである。常に、不気味さを感じる瞬間である。

 小生の意見として、「腫瘍が認められない場合には、安易にCEA検査をしない方がいい」と考える。逆に、「CEAが正常だからがんでない」と考えるのは危険だと思う。さらに、CEAは早期がんを見つけるものでもないように感じる。

2023/12/18
ワーク・ライフ・バランス

ワーク・ライフ・バランスとは、「仕事と生活を調和させること」という。

ただし、仕事を少なくしてプライベートを充実させることではない。

もちろん、女性のためだけの取り組みでもない。

性別年齢問わず、仕事と生活を両立させ、相乗効果を生み出すという意味が含まれるという。

仕事も生活もどちらも充実してこそ、生きがいや喜びを感じられるということ・・・そんなの分かり切っている。

現実は違う。いかにそのケースを示す。

・仕事だけに追われてしまい、心身のストレスから健康を害してしまうケース

・仕事と家事・育児・介護などの両立がそもそも難しいケース

・家庭の事情で安定した職に就けず、経済的自立ができないケース

そのために提唱されたのが、内閣府の「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」という。

その前に、ワーク・ラーン・バランスを考慮すべきだろう。ワークの中に学ぶ(ラーン)時間を含めるべきだろう。

ライフを犠牲にして、学ぶ(ラーン)ことは多い。勉強(スタディー)時間も無視できないはず。

ワーク・ラーン・ライフ・バランスを提唱する。

2023/12/17
横浜市緑区十日市場町

JR横浜線十日市場駅前。懐かしい場所である。

横浜勤務の際、この近くにある新緑病院に外勤アルバイトに行っていた。

十日市場駅で降りて、歩いて行っていたような記憶がある。

さらに、三重県に帰ってきてからも、この近辺に昔の患者さんが住んでいて(今でもメル友)、会いに行った記憶がある。

ファミリーレストランで飲み食いしたことも懐かしい。

また、この地を訪れることはあるのだろうか?

本当にこの地で働いていたのであろうか?

幻ではなかったのか?夢物語でなかったのか?

ここでも一曲(竹内まりやのマンハッタン・キス)練習して、ピアノ伴奏したような・・・。

やはり夢か?

2023/12/16
死角がん

 最近、死角がんの患者さんのことを思い出した。

 「死角がん」という呼び方はないのであるが、簡単に言えば、見えなかったので診断できなかったがんである。

 見えているのに診断できなかったがんは稀にある。例えば、検査目的と異なったところに偶然に見つかるがんである。

 実際、がんと言っても、細胞の検査までしないとがんと確定できない。当たり前であるが・・・。

 細胞の検査ができないがんもあり、その場合、画像だけでそうだろうと診断してしまうことも時々ある。

 それによって、誤診に至って欲しくないのであるが・・・。リスクとの相談も必要であるし・・・。

 話は逸れたが、内視鏡医は胃カメラや大腸カメラをする。長細い袋の中をファイバースコープで見ている。胃は丸い袋に近いので死角はわずかである。しかし、大腸はヒダがあるので、その裏側は10~15%の死角になる。検査中は大腸の動きを止めるので、どうしても死角ができてしまう。見えなかった病変が、大腸が動くこと(蠕動すること)で見えてくることを時々経験した。よかった。その一言である。安堵する。

 検査の時は、緊張しながら正面視するのが通常である。左右をチラ見するセンスも必要である。何となく、自動車の運転に似ているように感じる。

 常に死角を意識して、内視鏡検査に取り組もうとあらためて思う。

2023/12/15
神様のカルテ つづき

その3 初期研修医
 本庄病院に就職して4ヶ月。医療現場に対して、驚嘆や困惑に加え、緊張に満ちた目の回るような日々を栗原は送っていた。上級医やベテラン看護師に支えられながら日々の業務をこなしていた。ある日、指導医からある男性患者の主治医を任された。栗原が自ら胃カメラで末期がんを発見した患者であった。ところが、患者自身が治療開始の延期を希望し、予約の外来にも現れなかった。困惑した栗原は担当看護師の助言もあり、患者宅を訪ねた。
 自宅に誘い入れた患者から、その理由を聞かされた。約1ヶ月後の娘の結婚式であった。医師としての判断と患者自身の希望の狭間で揺れつつも、栗原は結果的に患者の気持ちを優先する自らの決断をした。辛うじて持ちこたえ、結婚式を終えて新幹線で帰路についた矢先、昏睡状態となり緊急搬送された。栗原は応急処置後、放心状態になった。その様子をみていた指導医(大狸先生)から、医療人の心の持ちようや命との向き合い方をアドバイスした。そして、「神様のカルテ」という表現をしながら、医師の限界を遠回しに暗示した。
<感想>
 医師になれば、早晩このような経験を必ずするものである。末期がん患者。有効な治療法がない・・・、むしろ長期生存が見込めない場合、医師は無力である。しかし、投げ出すことは出来ず、診療を続けなければならない。患者の価値観を尊重しつつ、残された時間を有意義に過ごして頂かないといけない。それぞれ、事情があるからである。

2023/12/14
がん患者の敗血症

 敗血症とは、簡単に言うと、細菌やウイルスなどの病原体に感染することによって、病原体が血液にのって全身に広がり、さまざまな影響がおよぼされ、心臓や肺などの重要臓器の機能障害(臓器不全)が起こる状態。可及的速やかに治療を行わないと死亡に至るきわめて危険な状態ともいえる。

 子供の頃、侍ジャイアンツというマンガで、敗血症という言葉を初めて聞いた。

 さて、病棟医経験25年以上の小生、24時間以内に敗血症で死亡した患者を僅かに経験している。

 すべて、がん患者であった。その種類は、腎盂がん、膵臓がんおよび大腸がんであった。

 小生は、これらを劇症型敗血症と呼んでいる。

 ちなみに、良性疾患といえども壊死性筋膜炎という病気がある。これによる劇症型溶連菌感染症は死亡率が高い。

 がん患者の予後は、感染症(特に敗血症)によって寿命が短くなるので、細心の注意が必要と考えている。

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