齋藤先生のブログ
- 2022/11/01
- 2022/10/15
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2022/10/15 ブログ
梅雨の時期にあじさい(紫陽花)を眺めたのはいつの日だろうか?子供の頃、あじさいの葉にいるカタツムリを長く観察した記憶があります。カタツムリのペースはゆっくりで、時間もゆっくり流れていました。
三重県にもあじさいの名所があります。福祉と環境を融合した花園「かざはやの里」(~かっぱのふるさと~)は、「風早池」のほとりにあります(伊勢温泉ゴルフクラブの中)。
藤10000㎡(10種1800本)、あじさい33000㎡(31種77700株)、梅25000㎡(46種555本)の園芸作業が毎日行われています。日本初の園芸福祉を取り入れた花園として、春、夏、冬にはそれぞれ美しい花が咲き、福祉と環境の融合した「癒しの花景」の観賞が楽しめます。また、あじさいは、古来より多くの詩歌に歌われ、夏の季語です。さまざまに色が変化する装飾花は、梅雨時の風物詩となっています。万葉集に二首含まれています。
言問はぬ 木すら紫陽花 諸弟らが練の村戸に あざむかえけり
大伴家持
(現代語訳:言葉を言わない樹でさえ紫陽花のように移り変わりやすいものです。諸弟らの練達な心に騙されました。)
紫陽花の 八重咲く如 やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ
橘諸兄
(現代語訳:あじさいの花が八重に咲くように、いついつまでも栄えてください。 あなた様を見仰ぎつつお慕いいたします。)
最後に、あじさいの花言葉は色によって違うようです。複雑な心境ですね。
- 2022/10/08
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ブログ 2022/10/8 号外
終末期ケア上級専門士の一次試験が終了しました。過去問のない試験でしたので、試験対策が困難でした。テキスト熟読だけで勝負せざるを得ませんでした。結果は以下の通りです。二次試験へいざ出陣。
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二次試験は作文を選択しましたので、次のような題目で書き連ねました。
専門職として学び続ける意義について
~がん緩和ケアの経験を通して~生きている以上、学びに終わりはない。研修医時代(平成8年頃)より緩和ケアの重要性を痛感している。大学の講義に緩和ケアはなく、麻薬の系統的勉強もしていなかった。医療現場の専門分化が進むなか、卒後研修でも緩和ケアを学ぶ機会は少なかった。インターネットも黎明期であり、情報収集はおおむね書籍であった。受け持ち患者に対して、未熟な経験を申し訳なく思った。同じ頃、医療用麻薬(オピオイド)を知った。患者サイドに偏見が根強く、使いにくい時代であった。当時、日本の麻薬使用量は先進国内で明らかに少なかった。徐々に知識を獲得し、WHO除痛ラダーを知った。患者ががんの痛みから解放され、生活の質を向上させて平常通りの生活を送れるように、医療用麻薬を早期から積極的に使用する必要があると推奨された。そしてある機会に、上司に「患者の疼痛を皆無にせよ」と指示された。ところが、皆無にできず反省と試行錯誤の毎日が続いていた。がん性疼痛は予想をはるかに超えて、強敵に思えた。
その後、インターネットが普及した。視野を広げるべく、日本緩和医療学会員やホスピス財団会員となり、緩和ケア医療を展開してきた。インターネットでひたすら情報を収集し、前向きに実践していった。学びの喜び(内的動機付け)から積極的に緩和ケア患者を受け持ち、経験を積み重ねた。平成31年頃、緩和ケア研修会(PEACEプロジェクト)を受け、ようやく念願の修了証書を獲得した。そこで、地域医療を担う小生が専門職として緩和ケアにどのように貢献出来るかと模索していた矢先、日本終末期ケア協会(JTCA)を知った。
同じ頃、緩和ケアを必要とした実父を看取る機会を得た。77歳時、進行前立腺がんが判明。根治不能でホルモン療法のみ継続された。全身転移もあり、特に骨痛が厳しかった。麻薬(モルヒネ・フェンタニル)の効果が不十分で、苦痛が続いていた。最終的に鎮静することで苦痛を辛うじて軽減した。闘病した実父(享年78歳)に満点の看取りを捧げることができなかったことを悔いた。その直後、オピオイド製剤メサドンを知った。頑固ながん性疼痛に有効で、危険な副作用もあり慎重投与が必要という。実父に使用できなかったが、処方登録医を取得した。医療を含めた科学技術の革新スピードは著しく速い。常に情報収集していないとすぐに遅れをとる。専門職として学び続ける意義を実感した。専門職のプライドにかけて、患者の情報収集能力に負けるわけにはいかない。
令和2年、過去の不勉強を猛省して終末期ケア専門士試験に向けて勉強を開始した。まだまだ知識が欠けていることに気付いて焦りを感じた。がん領域(基礎から応用まで、抗がん剤治療から緩和医療まで)は果てしなく広いことに驚愕した。現場対応力を重視する小生は、このまま知らずに天寿を全うしてしまうのは耐え難く、山積した課題にやっと気付いた。一般に、登山家は「そこに(高い)山があるから」登るというが、その高さは変わらない。一方、医療の専門職として、「そこに(医学を含めた科学という)対象があるから」興味を持って学問するが、(山と異なり)その対象は進歩するし進化する。山に例えればどんどん高くなっていくことになる。別の表現をすれば、最終学歴的な発想では足りず、最新学習歴的な発想をしてそれらをどんどん更新していくことに真の価値(学びの本質)があるように思う。
最後に、IT社会。いつでもどこでもだれでも学べる。専門職として、半永久的に学ぶ覚悟が必要である。そして、学ぶ機会を作る行動を起こさなければならない。積極的に実践に参加する前向きの気持を養わなければならない。実践こそ経験値を高め、学びを極めさせてくれる。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
二次試験に合格すれば、終末期ケア上級専門士になれるそうです。医療以外の知識も重要視されています。
小生は、終末期ケアを終活ケアとして明るい未来を意識した医療介護を提供できればいいと思っています。 - 2022/10/02
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2022/10/2 ブログ 号外
悪夢
「旧上司の威圧に対するPTSD???」PTSDとは、心的外傷後ストレス障害の略です。
悪夢①
令和4年2月8日夜。以下のように叱咤された。
・・・「お前の後任(小生は旧医局を退職しているので、小生の仕事を引き継いだと思われる後輩医師)は厚生大臣になったぞ!」と・・・。
旧上司は、「ざまぁみろ」とうつろに酷評を告げた。悪夢②
令和4年9月21日未明。以下のような判決が出された。
・・・かつて辞めた医局に強制送還されていた。辞めた当時の旧上司(K助教授)が教授になっていた。医局会に強制出席させられ、小生の公開裁判の様子だった。小生の研究ノルマが「通常の2倍」と宣告された。司会は先輩N医師(現在、F大学教授)だった。N医師は小生に向かって不気味に笑った。
その宣告に打ちひしがれ、絶望していたところ、小生の横にK教授がゆっくりと歩み寄ってきた。「ざまぁみろ」と嫌味をたっぷり告げるやいなや、K教授の顔が徐々に赤くなり、馬面になった。最後に
いずれも悪夢から覚めたら、汗びっしょり。黒歴史がフラッシュバックして、脳内で再構築された2つの悪夢。
かつて、小生はこの旧上司から辛うじて逃れ切れた。当初より「使い物にならない」的な評価されていた。研究志向より臨床志向であったゆえか?分からない。その後、学会ですれ違うことはあっても直接会話することはなかった。これからもないだろう。 - 2022/10/01
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2022/10/1 ブログ
タスク・シフト、タスク・シェア
いよいよ2024年4月から医師にも時間外労働の上限規制が適用されるそうだ。労働時間短縮を進める国策の一つとして「タスク・シフト」が注目されている。医師の業務を多職種がカバーすることで、医師にしかできない業務に専念し、労働時間の短縮につなげようとする働き方改革である。
小生が思うに、医療の質を下げないで欲しいところであるが、残業志向を美徳とする日本人にとってマイナス要因にならなければいいが・・・。
繰り返すが、「タスク・シフト」とは、医師の仕事の一部を看護師などの他職種に任せることである。類似語である「タスク・シェア」とは、医師の仕事を複数の職種で分け合うことである。いずれも医師への業務集中を軽減する狙いがある。
すでに2021年10月から、診療放射線技師、臨床検査技師、臨床工学技士、救急救命士の4職種について法改正が行われ、業務範囲が広がった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<診療放射線技師>
一連のRI検査のなかで認められていたのは、従来「撮像」部分のみであった。改正において、静脈路確保、RI検査医薬品投与、投与終了後の抜針・止血行為が可能になった(診療放射線技師法第24条2項)。
<臨床検査技師>
超音波検査において、静脈路確保による造影剤接続注入する行為、造影剤投与後の抜針・止血行為が可能になった(臨床検査技師法等に関する法律第20条の2第1項)。
<臨床工学技士>
手術室等で生命維持管理装置や輸液ポンプ・シリンジポンプに接続するために静脈路確保する行為、心・血管カテーテル治療で身体に電気的負荷装置を操作する行為、手術室の鏡視下手術で体内に挿入された内視鏡用ビデオカメラの保持や術野視野を確保する操作が可能になった(臨床工学技士法第37条第1項)。
<救急救命士>
医療機関に搬送されるまでの間(病院前:プレホスピタル)に重度傷病者に対する実施可能な救急救命処置を、救急外来においても実施可能となった(病院内処置も可能になった)(救急救命士法第44条第2項)。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
また、2021年9月30日、厚生労働省医政局より「現行制度の下で実施可能な範囲におけるタスク・シフト/シェアの推進について」という通知が出された。
この通知によると、看護師、助産師、薬剤師、診療放射線技師、臨床検査技師、臨床工学技士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、視能訓練士、義肢装具士および救急救命士の12職種について、医師からのタスク・シフト/シェアが可能な業務の具体例が紹介された。
さらに、事務職員も含めて職種にかかわらず、可能な業務として次の7項目が挙げられた。
①診療録等の代行入力
②各種書類の記載
③医師が診察する前に、医療機関の定めた定型の問診票等を用いて患者の病歴や症状などを聴取すること
④日常的に行われる検査に関する定期的な説明、同意書の受領
⑤入院時のオリエンテーション
⑥院内での患者移送や誘導
⑦症例実績や各種臨床データの整理、研究申請書の準備、カンファレンスの準備、医師の当直表の作成等の業務~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、小生にとって、”こんなに手伝ってくれてありがとう”という感謝より、むしろ”何となく押し付けがましい”という罪悪感のほうがはるかに大きい。
手伝う側(=手伝わされる側)のことを考えれば、ずばりこの機会に(ルール適応される前に)転職しようと思う。なぜなら、この改革は多難確実と予想できるからである。つまり、”3ふ(ふあん不安・ふたん負担・ふまん不満)”の問題である。ある意味、手伝う側(=手伝わされる側)が犠牲的立場になってしまうようで恐怖なのである。
かつて、人間関係のもつれ等でメンタル不調(心的外傷後ストレス障害)と心療内科専門医に診断されている以上、厚生労働省の青写真どおりに”現場で円滑に改革される”には長時間必要で、現場の混乱が目に見えるようで精神的に耐えられない。パワハラなどと加害者扱いされて、悪人になるのが恐ろしい。かつての職場を思い出して(フラッシュバックして)しまいそうである。結局、全責任は医師にあることに変わりはないからである。
小生にとって、この困難をできるかぎり避けたほうがメンタル不調を悪化させないと信じている。持病がある以上、無難な選択をせざるを得ないだろう。 - 2022/09/20
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ブログ 2022/9/20 号外
先日、あるインターネット上の医師専用サイトに「記憶に残る他科の凄い医師」特集がありました。
以下に、そのまま引用しました。「同僚が資格マニアで専門医や資格を取りまくっています。よくそんなに勉強できるな、と尊敬しますが、どこを目指しているのでしょうか。
その医師は、総合内科専門医、リハビリテーション科専門医、救急科専門医、神経内科専門医、糖尿病専門医、内分泌・代謝科専門医、感染症専門医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、老年病専門医、消化器病専門医、呼吸器専門医、循環器専門医、腎臓専門医、核医学専門医、漢方専門医、温泉療法専門医、人間ドック健診専門医、病態栄養専門医、脈管専門医、認定管理指導医、脳卒中認定医、認知症専門医、頭痛専門医、ペインクリニック専門医、心療内科専門医、肥満専門医、動脈硬化専門医、高血圧専門医、骨粗鬆症認定医、認定痛風医、結核・抗酸菌症認定医、胃腸科認定医、日本老年精神医学会認定専門医、日本抗加齢医学会認定専門医、家庭医療専門医、日本旅行医学会認定医、日本アロマセラピー学会認定医、認定脳波専門医、認定筋電図専門医、産業医、健康スポーツ医などの学会専門医のほか、臨床心理士、認定心理士、産業カウンセラー、労働衛生コンサルタント、作業環境測定士(1種)、ケアマネージャー、住福祉環境コーディネーター2級、日本体育協会公認スポーツドクター、日本リウマチ財団認定リウマチ登録医、日本糖尿病協会認定療養指導医なども持っています。」
これには、全く恐れ入りました。脱帽です。
資格取得に向けての試験勉強時間、認定施設における研修期間や実習時間など、いくつもの障壁があったものと推定します。
小生もこのようなスーパードクターに憧れていました。究極の進化型総合診療医です。
是非、テレビに出演して取得のトリセツをご教授くださいませ。m(__)m - 2022/09/15
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2022/9/15ブログ
今回は、東海道散策です。といっても・・・、病院近辺ですけど。
杖衝坂(つえつきざか)は、三重県四日市市采女にある東海道の坂の名称です。国道1号線のすぐ横にある旧東海道にあり、三重県名の由来にもなった日本武尊(ヤマトタケル)の故事がある急坂です。この急坂は、東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の中間に位置します。日本武尊が東征の帰途、伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登りました。この際、「吾足如三重勾而甚疲」(私の足が三重に折れ曲がってしまったようにひどく疲れた)と言ったそうです。これが「杖衝坂」と「三重」の名前の由来とされています。また、貞享4年(1687年)、松尾芭蕉が江戸から伊賀へ帰途の際、この急坂で落馬してしまい、早速、次の俳句を詠んでいます。「歩行(かち)ならば 杖衝坂を 落馬かな」と。
坂を上がると、采女一里塚跡です。
もう少し歩くと菅原神社国分天神があります。地元では「国分の天神さん」と親しまれています。この神社は、しだれ梅が多数咲き誇るスポットとして有名です。しだれ梅の木だけでなく、白から薄いピンク、濃い桃色までのさまざまな品種の梅の木が植えられ、その数は350本以上もあります。3月上旬から下旬にかけて、梅が見頃となります。「梅まつり」の開催期間中、多くの参拝者が訪れます。
はるか昔に訪れたこの神社。記憶は定かでありませんが・・・、確か小学生時代だったと思います。あの頃にはなかった連理の枝がありました。「比翼の鳥」と「連理の枝」。いずれも「仲がいいたとえ」とされています。社会分断ウイルスと悪名の高いコロナウイルス。着実に進化し続けています。人類は負けないと思いますが、油断は禁物です。
- 2022/09/01
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2022/9/1 ブログ
8月24日で53歳になりました。誕生日ケーキを堪能しました。病院生活(単身赴任)3年目。いずれコロナとともに生きる時代が来るのでしょうか。多分そうでしょう(><)。
ようやく9月になりました。8月は何かと苦戦しました(T T)。憎きコロナウイルス(BA.5株)。来ないで欲しいBA.2.75株。来れば、危機的第8波。インフルエンザと来るなよ🙅。
さて、今回は東南アジア(インドネシア)の伝統医療を紹介します。かつて、小生は、インドネシアからの留学生の研究協力者を務めたこともあります。時には、民俗医療から思わぬ学びを授けられます。
「東南アジアの民俗医療」
トバ・バタック族の家(野外民俗博物館・リトルワールド):ちなみに、トバ・バタック族はキリスト教徒(プロテスタント)である。
1.はじめに
インドネシアは、東南アジアの島々の大部分を占めており、スマトラなどの大きな島々と無数の小島々から成る熱帯気候の国である。スマトラやジャワ島などに3000㍍級の山々が連なり、地理的変化に富んでいる。ここにある植物は極めて多種多様かつ豊富であり、これらの植物資源を背景に古くから伝統医学が発展している。
2.インドネシアの伝統医学
インドネシアの伝統医学は、インドと密接な関係があるといわれる。なぜなら、現代のインドネシアで広く用いられる生薬配合薬(ジャムゥ)の大部分はアーユルべーダと共通するからである。8世紀中頃にインドからヒンズー教と共に伝えられたと考えられている。しかし、その医療体系は患者の問診を主とし、他の伝統医学で見られるような触診はなく、症状を聞いて最適な生薬を配合するという。現代医学の感覚からすれば、医師というより薬剤師に近いかもしれない。配合生薬の種類や調合法、処方目標はすべて口伝により伝承される(ほとんど世襲化)。治療理論に相当するものはなく(寒熱二元論の程度であり)、その地理上の位置を考えるとアーユルベーダだけでなく、他の伝統医学の影響も受けているようである。
3.インドネシア伝統医ドゥクン
インドネシア社会における医療体制について、西洋医学による公立病院や保健センターなどが都市部に存在する。医師数は少なく、10万人当たり10人程度に過ぎない(2010年度)という。一方、地方ではドゥクンと呼ばれる民間医(呪術師、祈祷師も含む)によって病気の治療が施される。出産、魔除け、占いや予言なども行われ、現代においてもなお人々の生活に深く溶け込んでいる。ちなみに、ドゥクンはほとんどが世襲制である。山野に自生する薬用植物を用いてマラリアなどの熱帯病治療や骨折などの外科治療、出産などに対応している。
4.伝統医薬品ジャムウ
ジャワ島にはジャムウと呼ばれる伝統医薬品がある。ジャムウとは、ジャワ語で「植物の根や葉などから作られた薬」という意味である。また、生薬製剤を含めた植物起源の医薬品の総称でもある。遺跡ボロブドール(780〜833年頃建立)の仏塔にある回廊壁にジャムウを調合する女性が描かれている。ブランバナン寺院群(9世紀初頭)でも同様である。ジャムウ調合法を記載した10〜11世紀の古文書がバリ島に残されている。今日、ジャムウの多くは製薬企業の工場で薬用植物の抽出エキスの粉末や錠剤、カプセルの形状で製造され、薬局などで販売されている。医学書に相当するものはなく、祖母や母から娘に継承される世襲的な医学知識を基にしているという。例えば、ジャムウに汎用される食用ショウガ科植物の含有成分を精査すると、フェニルプロパノイド類やセスキテルペン類などが含まれている。その有効性として、健胃、抗潰瘍、抗炎症、抗アレルギー、抗糖尿病、肝保護などの作用が証明されている。ジャムウに使用される薬草は何百種類もあり、代表的なウコンや生姜に加え、タマリンドやシナモン、レモングラスなど様々な植物が使用されている。ジャムウには植物の抽出液だけでなく、蜂蜜やその幼虫、タツノオトシゴやナマコの干物、乳や卵なども含まれている。漢方や栄養ドリンクのような滋養強壮に近い材料でもあり、風邪などで衰弱時に栄養補給として使用される。
5.まとめ
伝統医学といえども、長い年月から知り得た生活の知恵である。ただただ感服するのみである。
- 2022/08/15
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2022/8/15 ブログ
1.はじめに
昔話に感動することはしばしばあります。まんが日本昔ばなし。遠い昔の物語。たまには、すっきりと心を和ませたいものです。今は亡き市原悦子さん朗読およびナレーションでした。コロナなんぞ、予想だにしていなかった幼少期のことです。確か土曜夜7時からよくみていました。遠い昔の思い出です。
今回、非現実的ではありますが、奇異的で感動したシーンを紹介します。2.昔話(まんが日本昔ばなしより)
①「大蛇の塔」
正直者でまじめな大工が代官の一人娘と恋に落ちました。身分の違いは明らかで、代官は許さず、叶わぬ恋でした。娘は自殺し、大工は失望しました。代官は深い悲しみに苛まれ、大工に恨みを抱きます。大工は囚われ、「一晩で釘一本使わずに五重塔を建てたら、命だけは助けてやる」という酷い難題を代官は押しつけました。困り果てた大工の目の前に、突然、大蛇が現れました。「楔一つ作って待て」と。大蛇は五重塔に化け、大工は塔の天辺に楔を打ちました。五重塔は黄金色に光り輝きました。完成した黄金の塔を見た代官は恐ろしくなり、大工を斬り捨てました。化けた大蛇は元通りになり、大工の屍を銜えて空に上っていきました。そして、嵐がやってきて洪水を引き起こし、代官屋敷までも水に沈みました。命を絶った二人の供養のため、神社が建てられました。
当時、身分の違いは恋愛結婚を妨げていたのでしょう。一流の大工でも代官の娘を嫁にできなかったわけですから、なす術なしです。小生も親の身分を罵られて、恋敗れたことがありました。こればかりはどうしようもありません。受け入れる以外に術はありません。「人事の日本史」を読むと身分をよく理解できました。②「大工と鬼六」
嵐のたびに橋が流されるという村。大工の棟梁が橋を再建すると豪語しますが、どうしようもできず、途方に暮れていました。後悔の念を感じつつも、とにかく現場に赴きました。そこに鬼が現れました。人間には無理だろうと諭しました。鬼は2日間で橋を完成させていました。そこで、鬼は棟梁の目玉を奪おうとしますが、「おいらの名前を当てたら赦してやる。明日まで。」と約束しました。棟梁は食が進みませんでした。そこに、妻の子守唄が聞こえてきました・・・「鬼六が目玉もってやってくる」と。翌日、棟梁はもったいぶりながら、「鬼六」と告げました。鬼六はそのまま水面下に姿を消しました。
恩着せがましくなかった鬼六。潔かった鬼六。厚意は誇らないのが吉でしょう。しかし、・・・無知とは恐ろしいですが、妻の子守歌という幸運を棟梁は嚙み締めたはずです。偶然の吉報と橋のプレゼント・・・鬼に金棒でなく、まさしく一挙両得です。
能ある者は、腕を評価されたいという純粋な心を持ち合わせているのかもしれません。厚意に対して見返りを求めないことこそが真の美徳なのかもしれません。3.まとめ
現実的ではありませんが、このような夢物語があっても悪くないように思います。医者として生きていくうえでも重要であります。無謀ではありません。「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」と言いますが、発想の転換の重要性を学習できた思い出です。
こんな些細なことに感動する小生は、デリケートかつロマンチストなのでしょうか? - 2022/08/01
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2022/8/1 ブログ
まず、コロナ禍第7波が到来しました。BA.5は強敵で手強いように感じています。1年前の悪夢が再現されてしまいました。
さらに、銃刀法の取り締まり強化を考える必要性が出てきました。安部元首相の暗殺事件は悲劇そのものでした。また、国内でも海外でも医者が殺される時代になりました。コロナ禍で犯罪が増えることだけは、避けて欲しいものです。
さて、昨年、終末期ケア専門士となり、終末期医療に対して様々なことを考えるに至りました。個人的に、暗さが漂う「終末期医療」と表現するよりもむしろ「終活医療」としたほうが前向きに生きられるような気がしています。終活という言葉は、いつの間にか小生が好んで使用するようになりました。一度しかない人生ですから、どんな運命であろうとも前向きに生きるしかないのです。
この話の流れから、例えば、がん(縦隔腫瘍である精巣上皮腫)を克服した医師フィッツ・フュー・モラー氏や肺がんステージ4を告白した緩和ケア医師関本剛氏(令和4年4月永眠)の勇気ある闘病記の発刊に対して敬意を表します。また、大学後輩の精神腫瘍医である清水研医師が活躍しているのをみて(発刊多数)、小生も活性化されました。
がん患者も多数。そして、彼らに寄り添う家族や関係者も多数。長生きがすべてでないという考え方など、小生の辞書にないことを多く学びました。かつての小生の経験を紹介します。60歳代の女性です。当時、悪性リンパ腫と診断され、化学療法(CHOP療法という抗癌剤治療)中でした。医師1年目の研修医(血液内科)の小生の写真を撮ってくれました。金沢大学医学部附属病院の病棟にて。1997年2月頃のことです。
最近、がんサバイバー大学生手記の『「がんになって良かった」と言いたい』(山口雄也著)を読みました。ただただ感激して涙しました。また、消化管間質腫瘍(GIST)患者である大橋洋平先生の著書「緩和ケア医ががんになって」も読みました。ここから、”足し算命”という時間の価値感を学びました。そのなかで緩和ケア病棟は生きるところであり、死ぬところでないと強調しています。
もはやがんとは隣り合わせです。小生は、果たして死を悟ることができるのでしょうか?終活医療に貢献できるのでしょうか?神のみぞ知る?
ノーブレス・オブリージュ(noblesse oblige)
フランス語。聞いたことはなかったが、内容を知って安堵した。
ノーブレス・オブリージュとは、「身分の高い者はそれに応じて果たさなければならない社会的責任と義務があるという欧米社会における基本的な道徳観」である。フランスに「貴族たる者、身分にふさわしい振る舞いをしなければならない」という諺があるという。
これは、日本における武士道に類似している。日本人の道徳教育について、ドイツ留学中の新渡戸稲造に「武士道」を書くきっかけができた。そして、神道、仏教および儒教から武士道が生まれたという。ちなみに、新渡戸稲造は第一次世界大戦後に創設された国際連盟の事務次長である。フィンランドとスウェーデンの間にあるオーランド諸島の帰属をめぐる紛争を平和解決した功績は有名である。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、この「武士道」に対して大いに共感し、日露戦争の講和に尽力した(ノーベル平和賞受賞)。同様に、ジョン・F・ケネディ大統領も「武士道」を座右の書の一つに挙げていた。
小生が思うに、日本国憲法第14条「法の下の平等」を謳う身分社会でない日本では、どう考えればいいのであろうか?
ちなみに、小生は医師を高い身分とは思わない。健康を司る最高の技術者と考える。コロナ禍に突入して、特にそのように感じる。ヤジを飛ばされたみじめな経験から、身分は低いが技術はある。そのアドバンテージを生かし、縁の下の力持ちと思って生きたい。