医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

齋藤先生のブログ

2022/09/20
ブログ 2022/9/20 号外

先日、あるインターネット上の医師専用サイトに「記憶に残る他科の凄い医師」特集がありました。
 
以下に、そのまま引用しました。

「同僚が資格マニアで専門医や資格を取りまくっています。よくそんなに勉強できるな、と尊敬しますが、どこを目指しているのでしょうか。

その医師は、総合内科専門医、リハビリテーション科専門医、救急科専門医、神経内科専門医、糖尿病専門医、内分泌・代謝科専門医、感染症専門医、アレルギー専門医、リウマチ専門医、老年病専門医、消化器病専門医、呼吸器専門医、循環器専門医、腎臓専門医、核医学専門医、漢方専門医、温泉療法専門医、人間ドック健診専門医、病態栄養専門医、脈管専門医、認定管理指導医、脳卒中認定医、認知症専門医、頭痛専門医、ペインクリニック専門医、心療内科専門医、肥満専門医、動脈硬化専門医、高血圧専門医、骨粗鬆症認定医、認定痛風医、結核・抗酸菌症認定医、胃腸科認定医、日本老年精神医学会認定専門医、日本抗加齢医学会認定専門医、家庭医療専門医、日本旅行医学会認定医、日本アロマセラピー学会認定医、認定脳波専門医、認定筋電図専門医、産業医、健康スポーツ医などの学会専門医のほか、臨床心理士、認定心理士、産業カウンセラー、労働衛生コンサルタント、作業環境測定士(1種)、ケアマネージャー、住福祉環境コーディネーター2級、日本体育協会公認スポーツドクター、日本リウマチ財団認定リウマチ登録医、日本糖尿病協会認定療養指導医なども持っています。」

 これには、全く恐れ入りました。脱帽です。

資格取得に向けての試験勉強時間、認定施設における研修期間や実習時間など、いくつもの障壁があったものと推定します。

小生もこのようなスーパードクターに憧れていました。究極の進化型総合診療医です。
是非、テレビに出演して取得のトリセツをご教授くださいませ。m(__)m

2022/09/15
2022/9/15ブログ

今回は、東海道散策です。といっても・・・、病院近辺ですけど。

杖衝坂(つえつきざか)は、三重県四日市市采女にある東海道の坂の名称です。国道1号線のすぐ横にある旧東海道にあり、三重県名の由来にもなった日本武尊(ヤマトタケル)の故事がある急坂です。この急坂は、東海道五十三次の四日市宿と石薬師宿の中間に位置します。日本武尊が東征の帰途、伊吹山の神との戦いで病に倒れ、弱った体で大和帰還を目指して剣を杖代わりにしてこの急坂を登りました。この際、「吾足如三重勾而甚疲」(私の足が三重に折れ曲がってしまったようにひどく疲れた)と言ったそうです。これが「杖衝坂」と「三重」の名前の由来とされています。また、貞享4年(1687年)、松尾芭蕉が江戸から伊賀へ帰途の際、この急坂で落馬してしまい、早速、次の俳句を詠んでいます。「歩行(かち)ならば 杖衝坂を 落馬かな」と。

坂を上がると、采女一里塚跡です。

もう少し歩くと菅原神社国分天神があります。地元では「国分の天神さん」と親しまれています。この神社は、しだれ梅が多数咲き誇るスポットとして有名です。しだれ梅の木だけでなく、白から薄いピンク、濃い桃色までのさまざまな品種の梅の木が植えられ、その数は350本以上もあります。3月上旬から下旬にかけて、梅が見頃となります。「梅まつり」の開催期間中、多くの参拝者が訪れます。
はるか昔に訪れたこの神社。記憶は定かでありませんが・・・、確か小学生時代だったと思います。あの頃にはなかった連理の枝がありました。「比翼の鳥」と「連理の枝」。いずれも「仲がいいたとえ」とされています。

社会分断ウイルスと悪名の高いコロナウイルス。着実に進化し続けています。人類は負けないと思いますが、油断は禁物です。

2022/09/01
2022/9/1 ブログ

8月24日で53歳になりました。誕生日ケーキを堪能しました。病院生活(単身赴任)3年目。いずれコロナとともに生きる時代が来るのでしょうか。多分そうでしょう(><)。

ようやく9月になりました。8月は何かと苦戦しました(T T)。憎きコロナウイルス(BA.5株)。来ないで欲しいBA.2.75株。来れば、危機的第8波。インフルエンザと来るなよ🙅。

さて、今回は東南アジア(インドネシア)の伝統医療を紹介します。かつて、小生は、インドネシアからの留学生の研究協力者を務めたこともあります。時には、民俗医療から思わぬ学びを授けられます。

「東南アジアの民俗医療」

トバ・バタック族の家(野外民俗博物館・リトルワールド):ちなみに、トバ・バタック族はキリスト教徒(プロテスタント)である。

1.はじめに

 インドネシアは、東南アジアの島々の大部分を占めており、スマトラなどの大きな島々と無数の小島々から成る熱帯気候の国である。スマトラやジャワ島などに3000㍍級の山々が連なり、地理的変化に富んでいる。ここにある植物は極めて多種多様かつ豊富であり、これらの植物資源を背景に古くから伝統医学が発展している。

2.インドネシアの伝統医学

 インドネシアの伝統医学は、インドと密接な関係があるといわれる。なぜなら、現代のインドネシアで広く用いられる生薬配合薬(ジャムゥ)の大部分はアーユルべーダと共通するからである。8世紀中頃にインドからヒンズー教と共に伝えられたと考えられている。しかし、その医療体系は患者の問診を主とし、他の伝統医学で見られるような触診はなく、症状を聞いて最適な生薬を配合するという。現代医学の感覚からすれば、医師というより薬剤師に近いかもしれない。配合生薬の種類や調合法、処方目標はすべて口伝により伝承される(ほとんど世襲化)。治療理論に相当するものはなく(寒熱二元論の程度であり)、その地理上の位置を考えるとアーユルベーダだけでなく、他の伝統医学の影響も受けているようである。

3.インドネシア伝統医ドゥクン

 インドネシア社会における医療体制について、西洋医学による公立病院や保健センターなどが都市部に存在する。医師数は少なく、10万人当たり10人程度に過ぎない(2010年度)という。一方、地方ではドゥクンと呼ばれる民間医(呪術師、祈祷師も含む)によって病気の治療が施される。出産、魔除け、占いや予言なども行われ、現代においてもなお人々の生活に深く溶け込んでいる。ちなみに、ドゥクンはほとんどが世襲制である。山野に自生する薬用植物を用いてマラリアなどの熱帯病治療や骨折などの外科治療、出産などに対応している。

4.伝統医薬品ジャムウ

 ジャワ島にはジャムウと呼ばれる伝統医薬品がある。ジャムウとは、ジャワ語で「植物の根や葉などから作られた薬」という意味である。また、生薬製剤を含めた植物起源の医薬品の総称でもある。遺跡ボロブドール(780〜833年頃建立)の仏塔にある回廊壁にジャムウを調合する女性が描かれている。ブランバナン寺院群(9世紀初頭)でも同様である。ジャムウ調合法を記載した10〜11世紀の古文書がバリ島に残されている。今日、ジャムウの多くは製薬企業の工場で薬用植物の抽出エキスの粉末や錠剤、カプセルの形状で製造され、薬局などで販売されている。医学書に相当するものはなく、祖母や母から娘に継承される世襲的な医学知識を基にしているという。例えば、ジャムウに汎用される食用ショウガ科植物の含有成分を精査すると、フェニルプロパノイド類やセスキテルペン類などが含まれている。その有効性として、健胃、抗潰瘍、抗炎症、抗アレルギー、抗糖尿病、肝保護などの作用が証明されている。ジャムウに使用される薬草は何百種類もあり、代表的なウコンや生姜に加え、タマリンドやシナモン、レモングラスなど様々な植物が使用されている。ジャムウには植物の抽出液だけでなく、蜂蜜やその幼虫、タツノオトシゴやナマコの干物、乳や卵なども含まれている。漢方や栄養ドリンクのような滋養強壮に近い材料でもあり、風邪などで衰弱時に栄養補給として使用される。

5.まとめ

 伝統医学といえども、長い年月から知り得た生活の知恵である。ただただ感服するのみである。

2022/08/15
2022/8/15 ブログ

1.はじめに

 昔話に感動することはしばしばあります。まんが日本昔ばなし。遠い昔の物語。たまには、すっきりと心を和ませたいものです。今は亡き市原悦子さん朗読およびナレーションでした。コロナなんぞ、予想だにしていなかった幼少期のことです。確か土曜夜7時からよくみていました。遠い昔の思い出です。
 今回、非現実的ではありますが、奇異的で感動したシーンを紹介します。

2.昔話(まんが日本昔ばなしより)

①「大蛇の塔」
 正直者でまじめな大工が代官の一人娘と恋に落ちました。身分の違いは明らかで、代官は許さず、叶わぬ恋でした。娘は自殺し、大工は失望しました。代官は深い悲しみに苛まれ、大工に恨みを抱きます。大工は囚われ、「一晩で釘一本使わずに五重塔を建てたら、命だけは助けてやる」という酷い難題を代官は押しつけました。困り果てた大工の目の前に、突然、大蛇が現れました。「楔一つ作って待て」と。大蛇は五重塔に化け、大工は塔の天辺に楔を打ちました。五重塔は黄金色に光り輝きました。完成した黄金の塔を見た代官は恐ろしくなり、大工を斬り捨てました。化けた大蛇は元通りになり、大工の屍を銜えて空に上っていきました。そして、嵐がやってきて洪水を引き起こし、代官屋敷までも水に沈みました。命を絶った二人の供養のため、神社が建てられました。
 当時、身分の違いは恋愛結婚を妨げていたのでしょう。一流の大工でも代官の娘を嫁にできなかったわけですから、なす術なしです。小生も親の身分を罵られて、恋敗れたことがありました。こればかりはどうしようもありません。受け入れる以外に術はありません。「人事の日本史」を読むと身分をよく理解できました。

(小生、アマゾンで購入)

②「大工と鬼六」
嵐のたびに橋が流されるという村。大工の棟梁が橋を再建すると豪語しますが、どうしようもできず、途方に暮れていました。後悔の念を感じつつも、とにかく現場に赴きました。そこに鬼が現れました。人間には無理だろうと諭しました。鬼は2日間で橋を完成させていました。そこで、鬼は棟梁の目玉を奪おうとしますが、「おいらの名前を当てたら赦してやる。明日まで。」と約束しました。棟梁は食が進みませんでした。そこに、妻の子守唄が聞こえてきました・・・「鬼六が目玉もってやってくる」と。翌日、棟梁はもったいぶりながら、「鬼六」と告げました。鬼六はそのまま水面下に姿を消しました。
 恩着せがましくなかった鬼六。潔かった鬼六。厚意は誇らないのが吉でしょう。しかし、・・・無知とは恐ろしいですが、妻の子守歌という幸運を棟梁は嚙み締めたはずです。偶然の吉報と橋のプレゼント・・・鬼に金棒でなく、まさしく一挙両得です。
能ある者は、腕を評価されたいという純粋な心を持ち合わせているのかもしれません。厚意に対して見返りを求めないことこそが真の美徳なのかもしれません。

3.まとめ

 現実的ではありませんが、このような夢物語があっても悪くないように思います。医者として生きていくうえでも重要であります。無謀ではありません。「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」と言いますが、発想の転換の重要性を学習できた思い出です。
 こんな些細なことに感動する小生は、デリケートかつロマンチストなのでしょうか?

2022/08/01
2022/8/1 ブログ

 まず、コロナ禍第7波が到来しました。BA.5は強敵で手強いように感じています。1年前の悪夢が再現されてしまいました。

 さらに、銃刀法の取り締まり強化を考える必要性が出てきました。安部元首相の暗殺事件は悲劇そのものでした。また、国内でも海外でも医者が殺される時代になりました。コロナ禍で犯罪が増えることだけは、避けて欲しいものです。

 さて、昨年、終末期ケア専門士となり、終末期医療に対して様々なことを考えるに至りました。個人的に、暗さが漂う「終末期医療」と表現するよりもむしろ「終活医療」としたほうが前向きに生きられるような気がしています。終活という言葉は、いつの間にか小生が好んで使用するようになりました。一度しかない人生ですから、どんな運命であろうとも前向きに生きるしかないのです。

 この話の流れから、例えば、がん(縦隔腫瘍である精巣上皮腫)を克服した医師フィッツ・フュー・モラー氏や肺がんステージ4を告白した緩和ケア医師関本剛氏(令和4年4月永眠)の勇気ある闘病記の発刊に対して敬意を表します。また、大学後輩の精神腫瘍医である清水研医師が活躍しているのをみて(発刊多数)、小生も活性化されました。
 がん患者も多数。そして、彼らに寄り添う家族や関係者も多数。長生きがすべてでないという考え方など、小生の辞書にないことを多く学びました。

 かつての小生の経験を紹介します。60歳代の女性です。当時、悪性リンパ腫と診断され、化学療法(CHOP療法という抗癌剤治療)中でした。医師1年目の研修医(血液内科)の小生の写真を撮ってくれました。金沢大学医学部附属病院の病棟にて。1997年2月頃のことです。

 最近、がんサバイバー大学生手記の『「がんになって良かった」と言いたい』(山口雄也著)を読みました。ただただ感激して涙しました。また、消化管間質腫瘍(GIST)患者である大橋洋平先生の著書「緩和ケア医ががんになって」も読みました。ここから、”足し算命”という時間の価値感を学びました。そのなかで緩和ケア病棟は生きるところであり、死ぬところでないと強調しています。

 もはやがんとは隣り合わせです。小生は、果たして死を悟ることができるのでしょうか?終活医療に貢献できるのでしょうか?神のみぞ知る?

2022/07/15
2022/7/15ブログ

1.はじめに
 アニメに感動することはしばしばあります。例えば、アニメ「アルプスの少女ハイジ」の最終回は、ご存知の通り、クララの歩行にてハッピーエンドを迎えました。めでたしめでたしですね。
 今回、非現実的ではありますが、奇異的で感動したアニメシーンを紹介します。

①アニメ「侍ジャイアンツ」のミラクルボール
 主人公(番場蛮)がストイックな投球方法を開発して球界に旋風を巻き起こします。ハイジャンプ魔球、エビ投げハイジャンプ魔球、大回転魔球および分身魔球の4種類です。各魔球は、いずれもライバルに打ち砕かれました。
 最終回。日米野球で大リーグの最強打者ジャックスと対戦します。4球種のすべての魔球が単独で通用しませんでした。しかし、もうこれ以上投げる球種がなくなって、マウンド上で悩んだ挙句・・・、今こそ投げるべき球種があることに気づいたのでした。そう、魔球を組み合わせればいいことを思いついたのでした。見事、ミラクルボールがキャッチャー八幡の胸に吸い込まれました。ゲームセット。
 追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。組み合わせるということを。

②アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲
 アルファ星の手前の攻防でデスラー総統率いるガミラスに追い詰められました。アルファ星のコロナ(火の海)に突入せざるを得なくなりました。ところが、目前に避けきれない大型コロナが立ちはだかりました。絶体絶命の大ピンチです。速度が速く避けきれない状況ですが、さりとて速度を落とせばアルファ星の引力圏内に引き込まれます。そこで、沖田艦長は「波動砲で火を撃つ」という戦略に出ました。小宇宙を破壊できるほどの威力を持つ波動砲。ならば、コロナをしのげるはずという信念。見事、波動砲はコロナを打ち破り、ヤマトはその危機を辛うじて切り抜けました。まさしく、「火で火を撃つ」という発想の転換でありました。
 追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。「毒をもって毒を制す」という戦略もあることを。

③アニメ「エースをねらえ」の鬼コーチの贔屓
主人公(岡ひろみ)がテニス部に入部して間もなく、スパルタ宗方コーチに見初められました。岡の葛藤をコーチの愛情が包み込みました。最終回、実母の面影に重ねて岡を寵愛していたという事実が判明します。案外シンプルな人間の発想でありながら、鬼コーチに親近感を感じてしまいます。天才スタープレイヤーお蝶夫人と岡の死闘は、感動させられました。岡の飾らない真剣な眼差しとラケットと手をテープで巻きつけるという執念に勇気をもらいました。純粋な心が宿った岡の成長と無欲さこそが勝利につながるという摂理を体感しました。
追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。無欲を意識しつつ、勝ちたいという確固たる信念を持つことを。

④アニメ「北斗の拳」の奥義水影心
 「一度戦った相手の拳を己の分身とできる。」という達人技です。史上最強の拳法である証です。幾度となく、主人公のケンシロウはこの奥義を使いました。鮮やかでした。例えば、南斗白鷺拳シュウと一戦を交えたとき、同じ流派の南斗紅鶴拳の奥義を使いました。
追い込まれたときに、どのように切り抜けるかという発想の転換を思い知らされました。相手の弱点を攻めるということを。
 ちなみに、相手の技を盗む行為は、医療においても極めて重要です。常に手取り足取りで教えては頂けません。見て聞いて覚えるのです。一見野蛮ですが、時には重要です。

3.まとめ
 現実的ではありませんが、このような夢物語があって悪くないように思います。医者として生きていくうえでも重要であります。無謀ではありません。「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」と言いますが、発想の転換の重要性を学習できた思い出です。
 こんな些細なことに感動する小生は、デリケートかつロマンチストなのでしょうか?

2022/07/01
2022/7/1ブログ

1.はじめに

 今年も6ヶ月が過ぎました。暑さがさらに増してきています(~~)。桜の時期はコロナ禍中でありましたので、花見を楽しんでいる場合ではありませんでした。(T;T)

2.かつての学会発表

 今から8年前の話です。地域医療を進める中、独自で収集したデータをもとに第111回日本内科学会総会で発表しました。懐かしいです。
 最近の学会事情によると、コロナ対策で学会場に行かなくてもリモート(WEB開催)で学会に出席できます。移動時間が不要であり、現地よりも多くのセッションを聴講できます。地方勤務であれば遠方出張は厳しいので、なおさらありがたいです。(^^)

3. まとめ

 コロナ地獄ながらコロナ福を感じることも時々あります。学会活動がそうです。「ピンチをチャンスに変える」という発想の転換が必要かもしれませんね。(^^)
 今は、コロナ禍という長い長いトンネルに入っています。いつしか、長いトンネルを貫けるとそこは雪国(平穏な生活)であったと夢見ています。

2022/06/15
2022/6/15 ブログ

1.はじめに

 最近、大鐘稔彦先生の著書「私が”足の裏の飯粒”を取らなかった理由」(2021年11月発刊)を読みました。小生は、若いうちに医局を離れ、あちこちを転々とするなかで、「はぐれ外様医師」として一匹狼のごとく生きてきました。この本では「アウトサイダー医師」と表現されていますが、同じ意味を示しています。
 博士号なんて要らないとされていますが、博士号(医学博士)を取得した経験からすれば、ある意味であったほうがいいと思います。なぜなら、学会研究発表する際、「医学博士なんだから」と上司に妨害されることがありませんでした。あと強いていうならば、国立の機関で働く場合、手当がつきました(当時、月500円)。それだけのことです。はっきり言うと、医学博士は過去の栄光に過ぎません。
 しかし、臨床医家としての「アウトサイダー医師」では、たとえ博士号を取得していなくても何ら問題とはなりません。特に外科系では、腕さえあれば(実力さえあれば)大丈夫です。患者さんが評価するわけですから。

(小生、アマゾンで購入)

 さらに、現職医師の大鐘稔彦先生の著書に「孤高のメス」というベストセラーがあります。実は完全映画化されています。地域医療という現代医療が直面する大きな問題に一石を投じています。小生が肌で感じた過去の記憶に似たものが含まれています。共感できるところがたくさんありました。

2.孤高のメス~外科医当麻鉄彦~(全6巻)

(小生、アマゾンで購入)

 原本(著書)とドラマを比較することに興味のある小生は、先にドラマを見るのか、先に原本を読むのかは、その都度選択しており法則はありません。まあ、気まぐれなんです。(笑)
 今回はドラマ「孤高のメス」(堤真一主演)を解説しておきます。
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 ある地方の市民病院に外科医当麻鉄彦が赴任する。当麻は、腐敗した病院の中で次々と困難なオペを成功させていく。その信念に満ちた姿はやがて病院や人々の心を動かし、信頼を獲得していく。そんな中、肝硬変に倒れた市長が市民病院に搬送されてきた。助ける方法は唯一、脳死状態のA少年から肝臓移植を受けることだった。しかし、それは日本の法律ではいまだ認められていない禁断のオペだった。当麻は、信念のもと進退をかけてオペに臨む。クライマックスのオペは見事成功し、市長は一命をとりとめた。違法性の議論がなされたが、A少年の肉親の強い意志が容認され、書類送検は見送られた。
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3. まとめ

「孤高のメス」を是非、鑑賞してください。ちなみに、連続ドラマ版(滝沢秀明主演)もあります。

 かつて肝臓専門医だった小生は、肝臓移植に関与したことがありました。当時、原発性胆汁性肝硬変の43歳女性を生体肝移植に送り出しました。最後に交した言葉は、「先生、好きな人には好きと言ってね」でした。しかし、無事に帰って来ませんでした。この記憶はいつまでも消えません。

2022/06/01
2022/6/1 ブログ

1.はじめに

 今年も5ヶ月が過ぎました。暑さが増してきています。世間に平和が戻ってくることを夢見ています。コロナ禍、第7波はどうなるでしょうか?分かりませんけど・・・(~~)。XE株、B.A.4株、B.A.5株・・・。やはり、第8波に備えないといけませんね(><)。

2.パクス・ヤマナーカ(山中の平和)の希求
 
 歴史上、古代ローマ時代の平和(パクス・ロマーナ:帝政ローマ時代の約200年間)を彷彿させます。戦争がないことに越したことはありません。ウクライナ戦争は残念ですけど。
 さて、コロナ禍閑散期(パクス・ヤマナーカ)の昨秋、紅葉を観るために水沢のもみじ谷に行きました。短い時間でしたが、心が澄み渡りました。時には、自然の壮大さを拝観する機会を持つべきでしょう(^^)。

3.柿渋

 コロナ禍初期から奈良県立医大の情報を気にかけていました。必ずや自然界に予防薬があるはずだという期待的推測です。柿渋カテキンを含有したサプリメントを飲みながら、日々、発熱外来に挑んでいます(o o)v。コロナウイルスに罹りませんようにと願いながら・・・。

4.甲状腺疾患をみたらA型胃炎を考える

 かなり医学的ですが、少しお付き合いください。甲状腺に病気(バセドウ病や橋本病が有名)があると慢性胃炎になっていることがあります。しかし、この慢性胃炎はヘリコバクターピロリ菌による慢性萎縮性胃炎(B型胃炎ともいう)とは違い、A型胃炎(慢性逆萎縮性胃炎)といって区別されています。
 認知度が低く、若いわりにヘリコバクターピロリ菌による慢性萎縮性胃炎の成れの果て(胃がんABC健診でD判定)と解釈されていることがあります。ベテラン内視鏡医になってくると、ピンときて診断出来るようになりますv(**)v。

5.最後

 いよいよ夏本番。熱中症にならないように気をつけましょう。昨夏は、コロナ禍第5波に痛めつけられて不愉快でした。なんせ暑かったから・・・(Y Y;)。

6.付録
   
 5月5日のこどもの日。日直でお子様ランチが出ました。これもご褒美でしょうか。最高でした。V($$)V

2022/05/15
2022/5/15 ブログ

1.はじめに

 地元に帰ってきて、医療を展開して15年以上が経過しました。実父を看取ってちょうど2年が過ぎました。不甲斐ない息子を優しく見守ってくれた亡き父にあらためて感謝の意を奉げたいと思います。
 さて、今は昔。医学部に入学して間もなく、小生が実家に帰省した際、最寄の駅(近鉄鈴鹿市駅)でかつて学習塾で同じクラスだった女性に偶然出くわしてしまいました。進学先を知っているのか・・・、一言「昔、馬鹿だったのにねー」と苦笑されました。小生の若かりし頃の無能な事実を赤裸々に表現されてしまいました。隠す必要性もなく・・・、その通りなんです。
 家族をはじめ、いろいろな方々にお世話になりました。迷惑もかけましたし、救ってももらいました。医師として働くチャンスを頂いたわけですから、猪突猛進するしかありません。しかし、高望みは禁物です。

2.白い巨塔

 時は流れて・・・、医師になってしばらくしてから、教授に成りたいと思った時期がありました。「白い巨塔」という映画をご存知かもしれませんが、教授選では壮絶な争いが繰り広げられています。残念ながら、その渦中に遭遇したことがありませんので、聞いた噂から想像するしかありません。実際はどうなんでしょうか?全然、分かりません。
 その後、就任された教授と比較して小生の資質が明らかに相応しくなく、当然に無理と悟りました。言い訳でなく、負け犬の遠吠えと表現するのが正しいでしょう。ここで、その理由を挙げてみました。
①人脈作りが不得意。(情報収集能力に乏しい。)
②一つのことに集中もできないし、こだわることもできない。(学者的でない。)
③留学できる勇気もなく、経済力もない。(小生の能力に自信が持てない。)
④語学力に乏しく、英文論文が自力で書けない。(実際に書いてはみたものの・・・、悪文の数々で雑誌に投稿しても門前払いされ、査読者から嫌味の一言まで告げられた。)
⑤後輩の面倒をみることが億劫。(小生みたいな先輩が指導することで後輩の将来を台無しにしてしまう不安が大きい。)
 少なくとも①~⑤の理由で落第点は確実。挙句の果てに、大学院時代の指導教授に「君はあまり賢くないね」とダメ出しされました。つまり、学者になれないと引導を渡されました。これでは、努力しても才能が伴っていなかったと反省して、高望みしたことを恥じました。
 それからというもの、医療現場で地道にやっていくことに生き甲斐を感じています。時々、講師を依頼されたことがありますが、講演している間、(学者の真似事に)つかの間の幸福感に浸っていました。

3.まとめ

 医者の不養生と言われないように、健康に留意しながら地域医療に尽力していきたいと強く思います。

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