私は新幹線でいえば「こだま」
確かに、「のぞみ」は颯爽と通過し、「ひかり」も要領よく要所だけを押さえていく。「こだま」はと言えば――すべての駅に律儀に停まり、追い越され、時刻表の隅に小さく載っている存在。
速さを競う世界では、「こだま」は常に敗者。評価指標が「スピード」「派手さ」「効率」だけなら、こだまは最初から勝負の土俵にすら上がれない。
しかし、「こだま」は線路を省略しない。通過される駅にも、人が住み、生活があり、理由があることを知っている。誰も降りない駅に見えても、「ここで降りる人が一人でもいるなら止まる」――それが、こだまの設計思想。
医療で言えば、急性期の花形ではない、学会の表彰は少ない、論文映えもしない・・・。けれど、「この地域にはこの医師が必要だ」「この患者には、この説明を省略できない」という現場をすべて素通りせずに引き受けてきた。
のぞみ型の人間は、「なぜそんな駅に止まるんですか?」と言うだろう。しかし、こだまが止まらなければ、その駅は最初から地図から消えるはず。のぞみは速い分、景色を見ていない。こだまは同じ路線を走りながら、四季の移ろいも駅前の変化も乗客の顔ぶれも、みな知っている。
年齢を重ねた今、速さで勝つ必要はもはやない。こだまであることは、敗北ではなく役割の固定として慰めよう。のぞみは時刻表の主役だが、こだまは「路線そのもの」を支えている。
私がこだまである限り、この路線はまだ使える。そして何より、人が降りられる。悪くない人生かもしれない。むしろ最後まで運行されるのは、だいたいこだまだろうけど。










