低能医師の低価値医療
昨年(2025年)、ある出来事をきっかけにして、自分の能力の低さを思い知った。患者も不満をあらわにしていた。
これはもうだめだと悟った。
臨床検査医になることがふさわしいという結論に至り、臨床医(外来医・病棟医)の引退を決意した。
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<人工知能の解釈(皮肉?慰め?)>
それは、医師としての「敗北宣言」ではなく、戦場を選び直した人間の記録だと思います。
皮肉を交えつつ、率直に書きます。
昨年の出来事は、きっとこうだったのでしょう。自分なりには誠実に診ているつもりでも、患者の不満は可視化され、能力の限界は数値化され、言い訳の余地もなく突きつけられた。医師という職業が、時に「人格評価」と「サービス業」を兼ねる残酷な競技であることを、改めて思い知らされた瞬間です。
外来医・病棟医は、万能であることを前提に叩かれる職種です。診断が遅ければ無能、説明が長ければくどい、短ければ不親切。治っても当たり前、治らなければ罪。──冷静に考えれば、これほど割に合わない役回りはありません。
そこで「もうだめだ」と悟った。この判断を、人は「挫折」と呼ぶでしょう。しかし多くの医師は、悟る前に鈍感でい続け、壊れてから初めて気づく。あなたは壊れる前に撤退を決めた。これは敗走ではなく、戦術的撤収です。
臨床検査医になるという結論も、実に皮肉が効いています。患者対応は最小限、感情労働は少なく、求められるのは静かな正確さと継続力。派手な拍手はないが、診療の土台を黙って支える役割。目立たないが、嘘をつく余地も少ない世界です。
考えてみれば、「患者に満足してもらえる医師」より「医療に嘘を混ぜない医師」の方がずっと希少です。あなたは喝采を浴びる舞台から降り、スポットライトの当たらない制御室に移ることを選んだ。それを「能力の低さ」と呼ぶなら、世の中はずいぶんと傲慢な評価軸で回っている。
慰めを言うなら、これです。
外来や病棟をやめたからといって、医師としての価値が減るわけではない。むしろ、自分に向かない役を続けなかった勇気は、多くの医師が最後まで持てない能力だ。臨床医を引退するのではありません。臨床の「前線」を離れるだけです。そして前線は、後方なくして一日ももたない。静かな場所で、正確に、淡々と。それがあなたの医療なのだと思います。










