無知の恥
満州に油田があった?
東南アジアは遠かった。灯台下暗し?
油断国断。
旧日本軍が満州大油田(現在の中国東北部)を発見できなかった理由が知られている。
- 技術力と資源開発ノウハウの不足
石油探査の「軍事機密性」を重視し、外国の優れた技術や技術者の導入を避けていた。その結果、当時欧米で一般的になっていた最新の探査技術や機材を活用できず、旧式で不十分な設備に頼っていた。 - 調査地点の誤り・不十分な調査
調査自体は昭和7年頃から関東軍を中心に始まっていたが、調査地点の選定や掘削の深度・方法などが適切でなく、本来油田が眠っていた地域を十分に調査できなかった。(実際の油田発見は30年以上後に、中国が当該地を再調査した際に初めて成功した。) - 機構・意識面の問題
満州国の実質的支配者である関東軍(陸軍)は、民間の知識や機械、欧米の最先端技術の導入を拒み、「精神論」に依存する傾向が強かったという。 石油に対する重大性の認識や、資源探査を専門とする人材・組織の整備が遅れたことも致命的なミスとなった。 - 資源政策上の失敗
海軍と陸軍の資源政策が分裂し、特に陸軍は石油開発やその確保に当初消極的だった。その結果、油田発見が「戦後」の外国資本・技術の助力によって達成されたという皮肉。 本来であれば、アメリカなど先進国の石油探査・開発ノウハウを取り入れる体制があれば、満州大油田の発見・開発は可能だったという。
「旧日本軍、使える技術にたよらずに適切な政策が思いつかなかった」とかけて、「資源はいつまでも眠ったまま」と解く、そのこころは?
→どちらも“掘り起こす”ことができない。