2025/1/9
今年の目標は復習である。振り返りが必要と感じたからだ。学直再考。くどいけど。
医療人として・・・小生はセカンドでいいと思う。
そもそも名脇役が仕事だから。医療は客観性を重視しているのだから。
かつて、ある患者に残念なことをされた。
上級病院(上級医師)に、勝手に(紹介状を持参せずに)診察を受けに行ってきた。
そして、その上級医師からの紹介状を持参して、その指示に従って今後診察していくように要求された。
患者のつまみ食いはやめて頂きたいと思った。老害医療に腹を立てた。
しかし、今は反省している。
そこで、ポンペの言葉を思い出した。「医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい」という言葉を。
患者本位なら、腹を立てる必要はなかったのである。恥ずかしい話だ。
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ふと、三重県厚生連関連病院の薬剤師であった「今は亡き父」を思い出した。
長野県厚生連佐久総合病院の若月俊一院長。子供の頃、その名を初めて父より聞いた。
(アジアのノーベル賞と呼ばれる)マグサイサイ賞受賞(1976年)
「農民とともに」を合言葉に、集団健診や健康管理などに取り組み、農村医学発展に尽した佐久総合病院の初代院長。
実績を調べたら、以下の通りであった。すごいの一言。地域医療(地域密着型医療)の幕開けだろう。
1 「農民とともに」
佐久に外科医はおらず、あらゆる手術の必要があり、多忙を極めた。
そんな中、手遅れの患者が多いことに気づき、休日を利用して医者のいない地域に出張診療を始める。
同時に、正しい病気の知識ならびに正しい衛生環境を整備するための啓発活動を行った。
2 戦後国内初の病院給食開始
「食の平等」という発想から、1947年日本初の病院給食を始めた。
当時「佐久病院に行けば若月の手術と銀シャリで病気が治る」と噂されたそうだ。
3 日本農村医学会創立
地域の中に入り、農村の生活に密着した調査・研究を行う。
農村特有の病気について研究しようと長野県農村医学研究会を設立。
後に日本農村医学会へと発展し、「農村医療」という分野を確立する。
4 予防は治療に勝る
「病気を治すだけではなく、地域の保健活動を通して定期的な検診を行うことで病気をなくすこともしなければならない」という思いが現在の健康診断のモデルとなる。
全村一斉の集団検診など全村健康管理を八千穂村(現・佐久市)で始める。
5 病床数1000床超