医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

2023/11/1 ブログ

 金沢を離れて20年が過ぎた。四季のある学都に憧れて、受験し入学できた。「雪の降る日に炬燵に入ってみかんを食べる」というささやかな夢は叶った。
 風の便りによると、金沢市の城北病院に70歳の研修医が奮闘しているという。まだまだ、加齢を言い訳にできない。あっぱれである。
 金沢を紹介するにあたり、まんが日本昔ばなしの「芋ほり長者」および金沢民話の「芋ほり藤五郎」(いずれもYou Tubeで鑑賞できる)がわかりやすいだろう。

 金の価値を知らない芋ほり名人。少々抜けたところがあるも誠実な性格。貧乏だけども幸せな生活。
 長者の娘(後に嫁)もまいった。そもそも観音様のお導き。そして、長者になっても名人技は続ける。金より名人芸。貧乏時も長者時も子供にからかわれる憎めない性格。これもまたあっぱれである。

 藤五郎が黄金を洗った泉は、現在、兼六園の南側にある「金城霊沢」だそうだ。「金を洗った沢」つまり「金洗い沢」が、省略されて(短くなって)「金沢」となる。「金沢」の地名の起源といわれている。
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「イモほり藤五郎」<あらすじ>
 昔々、加賀の国の山里に「イモほり藤五郎」と呼ばれるヤマイモ掘りの名人がいた。藤五郎はヤマイモを掘って、それを米や食べ物と交換し、貧乏なその日暮らしをしていた。
ある日、藤五郎がヤマイモ掘りに出かけている間に、美しい嫁御と嫁入り行列が藤五郎の家にやって来た。村人達は驚いて、家の周りは黒山の人だかり。やがて藤五郎が帰って来て、驚く間もなく、嫁御は「大和の国、長谷村の長者の娘の“かずこ”です。」と名乗った。観音様のお告げにより、藤五郎の所に嫁に来たと言った。藤五郎は困惑したが、仕方なくかずこを嫁にした。
ところが、その年は長雨が続き、藤五郎はヤマイモを掘りに行くことができず夫婦は暮らしに困っていた。すると、かずこは嫁入り道具の中から小判3枚出して米と交換してくるように促し、藤五郎に渡した。藤五郎は小判を見るのも初めて、それどころかお金というものがこの世にあることさえ知らなかった。小判の価値が分からない藤五郎は、小判3枚と笊(ざる)一杯の米を交換して帰って来た。それを知ったかずこは、「私はなんて馬鹿な人の所に嫁に来てしまったのだろう」と嘆いた。そこで、藤五郎は怒ってかずこに実家に帰るよう言い渡した。
かずこは実家に帰る前に、ふと気になって家の納屋に寄ってみた。納屋の中には藤五郎のイモ掘り用の籠があり、その中には土に混じった砂金が一杯詰まっていた。かずこは驚いて藤五郎を呼んで、いつもヤマイモを掘っている山に連れて行ってもらった。すると、その山からは砂金がいっぱい出てきた
こうして、藤五郎とかずこは大金持ち(長者)になって、何不自由ない暮らしができるようになった。その後も、藤五郎は相変わらずヤマイモを掘って暮らした。

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