神様のカルテ つづき
その3 初期研修医
本庄病院に就職して4ヶ月。医療現場に対して、驚嘆や困惑に加え、緊張に満ちた目の回るような日々を栗原は送っていた。上級医やベテラン看護師に支えられながら日々の業務をこなしていた。ある日、指導医からある男性患者の主治医を任された。栗原が自ら胃カメラで末期がんを発見した患者であった。ところが、患者自身が治療開始の延期を希望し、予約の外来にも現れなかった。困惑した栗原は担当看護師の助言もあり、患者宅を訪ねた。
自宅に誘い入れた患者から、その理由を聞かされた。約1ヶ月後の娘の結婚式であった。医師としての判断と患者自身の希望の狭間で揺れつつも、栗原は結果的に患者の気持ちを優先する自らの決断をした。辛うじて持ちこたえ、結婚式を終えて新幹線で帰路についた矢先、昏睡状態となり緊急搬送された。栗原は応急処置後、放心状態になった。その様子をみていた指導医(大狸先生)から、医療人の心の持ちようや命との向き合い方をアドバイスした。そして、「神様のカルテ」という表現をしながら、医師の限界を遠回しに暗示した。
<感想>
医師になれば、早晩このような経験を必ずするものである。末期がん患者。有効な治療法がない・・・、むしろ長期生存が見込めない場合、医師は無力である。しかし、投げ出すことは出来ず、診療を続けなければならない。患者の価値観を尊重しつつ、残された時間を有意義に過ごして頂かないといけない。それぞれ、事情があるからである。