死生学ってなんだろう
46歳から終活を始めた小生。
かつて終末期ケア専門士試験を受けて、医学以外のこともいろいろ勉強しました。
みなさん、「死生学(しせいがく)」という言葉を聞いたことがありますか?
文字通り「死」と「生」を学ぶ学問です。
人は誰でも生まれ、そしていつか必ず死を迎えます。
この避けられない現実と向き合い、「どう生き、どう死ぬのか」を考えるのが死生学です。
たとえば、学校での勉強は「進学や将来の仕事」に役立つかもしれません。スポーツや趣味は「楽しい時間」をつくってくれます。
でも、死生学はもう少し根本的なテーマに迫ります。「人はなぜ生きるのか」「死ぬとはどういうことか」といった、大きな問いを扱うのです。
死を考えることは生を考えること
「死について考えるなんて怖い」と思う人もいるでしょう。でも、死を避けずに見つめることで、むしろ「生きることの意味」が浮かび上がります。
たとえば、もし自分の人生が無限に続くのなら、今日という一日を大事にしなくてもよいかもしれません。しかし寿命が限られているからこそ、「誰と過ごすか」「どんなことをやりたいか」を真剣に考えられるのです。
哲学者の中には、「死を意識することが、生を豊かにする」と語る人もいます。つまり、死は単なる終わりではなく、私たちに「生きる力」を与える存在でもあるのです。
終末期ケアと死生学
小生は、医療現場で、終末期、つまり人生の最終段階にいる人を支える仕事をしています。そこでは、「もう治せない病気」とともに生きる人がたくさんいます。その人たちにとって大切なのは、「あとどれだけ生きられるか」よりも「残された時間をどう生きるか」です。
ある患者さんは、最後まで家族と一緒に過ごすことを望みました。別の患者さんは、できるだけ自然に最期を迎えたいと希望しました。こうした選択には正解はなく、一人ひとりにとって大事な価値観があります。死生学は、こうした「生と死の意味」を尊重し、人それぞれの生き方・死に方を考えるための学問です。
若いみなさんにとって、「死」はまだ遠いものに感じられるかもしれません。でも、身近な人との別れや大切なペットの死を経験することもあるでしょう。そのときに悲しみを受け止めながら、「なぜ自分は生きているのか」「これからどう生きたいか」と考えることは、決して早すぎることではありません。
死生学は、特別な人のための学問ではなく、誰にでも必要な視点です。もし日常の中で「生と死」について考える時間を少しでも持てたなら、きっと自分の人生がより豊かに感じられるはずです。
小生、56歳。現在、終活第4幕の途中。院内職員向けに文集を3回発行しました。時間を大切にして、無駄な時間を作らないように、心がけています。










