松尾芭蕉と不易流行
貞享元年(1684年)8月、芭蕉は「野ざらし紀行」の旅に出る。東海道を西へ向かい、伊賀・大和・吉野・山城・美濃・尾張・甲斐を廻った。再び伊賀に入って越年し、貞享2年(1685年)4月に木曽・甲斐を経て江戸に戻った。
野ざらしを 心に風の しむ身哉
貞享3年(1686年)春、以下の有名な句を詠んだ。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
貞享4年(1687年)2月、伊勢神宮を参拝。8月から芭蕉は弟子の曾良と宗波を伴い、「鹿島詣」に行った。10月25日から、伊勢へ向かう「笈の小文」の旅に出発。東海道を下り、鳴海・熱田・伊良湖崎・名古屋などを経て、同年末に伊賀上野に入った。
元禄2年(1689年)3月27日、弟子の曾良を伴い、「おくのほそ道」の旅に出た。下野・陸奥・出羽・越後・加賀・越前など、未知の国々を巡る旅で多くの名句が詠まれた。
夏草や 兵どもが 夢の跡
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
五月雨を あつめて早し 最上川
荒海や 佐渡によこたふ 天河
この旅で、各地に多くの門人を得た。金沢で門人となった者達は、のちに加賀蕉門発展の基礎となったという。また、変わらない本質と流れ行く変化の両面を実感する「不易流行」に繋がる思考の基礎を確立した。