日本のワクチン教育とGHQ(連合国軍総司令部)
GHQは日本の公衆衛生改革の一環として、ワクチン接種制度の整備を強力に推進した。特に、1948年の予防接種法制定・BCG接種の普及・ワクチン生産の近代化が大きな影響を与えた。GHQの施策は戦後日本のワクチン行政の基盤を築き、その影響は現在の予防接種制度にも受け継がれている。
GHQの介入は、日本におけるワクチンの普及を促進し、感染症対策の近代化に貢献したが、一方で義務接種のあり方などについてのちに議論を呼ぶ要因となった。
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日本占領期(1945~1952年)に日本の公衆衛生改革を推進し、その一環としてワクチン接種制度の整備にも関与した。
- 戦前の日本のワクチン事情
ワクチン接種は義務化されていたものの、供給や接種体制に課題があった。 - 公衆衛生改革
日本国民の健康状態を改善し、社会の安定を図るとともに戦後の民主化政策の一環でもあった。公衆衛生福祉局(PHW, Public Health and Welfare Division)の主導のもと、米国疾病予防管理センター(CDC)や米国公衆衛生局(USPHS)が関与した。 - ワクチン政策への具体的な影響
(1) 感染症対策の強化
結核・ジフテリア・百日咳・天然痘・ポリオなどに対するワクチン接種を推奨した。これにより、戦後の混乱期における感染症の大流行を防ぐことを目的とした。
(2) 予防接種法の制定(1948年)
ジフテリア・百日咳・天然痘・結核(BCG)のワクチンが公的に義務化・推奨されるようになった。
(3) ワクチンの生産体制の整備
国立予防衛生研究所(現:国立感染症研究所)の設立(1947年):ワクチン研究や品質管理を強化するために設立。
国内ワクチン生産の近代化:戦前は民間のワクチン製造業者が多かったが、品質の均一化を図るために国家による管理体制を強化。
アメリカ製ワクチンの供給:アメリカ製ワクチンを日本に供給し、その後に日本国内での生産を促進。 - ワクチン教育の導入と広報活動
学校教育への導入:義務教育課程で感染症予防やワクチン接種の意義についての教育を推進。
ラジオ・ポスター・パンフレットによる啓発:ワクチンの重要性を国民に広めるためのキャンペーンを実施。
母子手帳の導入(1948年):児童福祉法施行。ワクチン接種記録を管理するため、母子手帳制度が始まった。 なお、1960年代以降、日本は独自にワクチン政策を発展させ、ポリオ・麻疹・風疹などのワクチン接種を拡充。1976年の「予防接種法」改正により、義務接種から「勧奨接種(努力義務)」へと移行。1994年の予防接種法改正では「個人の意思を尊重する」方針へ転換。