挫折した内視鏡医の回顧録 ――スコープの先に見えたもの――
若い頃、私は一流の内視鏡医を夢見ていた。胃でも腸でも、どんな粘膜のヒダも読み取れる達人になりたかった。専門医を取得し、ようやく「独り立ち」の瞬間を迎えたとき、スコープの先には輝かしい未来が見える気がしていた。
ところが、転勤先には内視鏡の係がなかった。人生というのは不思議なもので、「希望の門」は近くにない。半年で退職し、田舎の個人病院に再就職。ようやく再びスコープを握ったものの、今度は思うほどに数をこなせず、技術も伸び悩んだ。病院の方針も変わり、内視鏡は脇役に追いやられ、私は舞台袖で光を失った。
やがて、不満が積もってトラブルに発展し、クビになった。そのときようやく気づいた。私が覗き込んでいたのは、患者の胃ではなく、自分の狭い執念だったのだと。
その後、フリーターをしながら生き延びた。健診センターに応募して、内視鏡のリハビリを続けた。
かろうじて再就職しても、まとまった内視鏡の係には恵まれなかった。内視鏡はさらに脇役に追いやられた。だが、他人の「中」を覗けない代わりに、人生の「内側」を覗くようになった。
いま振り返れば、私は“内視鏡医”ではなく、“内省鏡医”になっていたのかもしれない。スコープを通して見つめたのは、結局、自分の心の粘膜だった。そこには炎症も潰瘍もあったが、瘢痕の下には、ちゃんと再生しようとする上皮があった。
夢は叶わなかった。けれど、叶わなかった夢の跡には、別の道標が残る。それを覗き込む勇気さえあれば、人生もまた、一種の内視鏡検査なのだ。
眼にも腰にも心にも、もう内視鏡を極めるだけの力が残っていない。向上心は必要条件であるが、それを支える健全な心身が十分条件なのだ。必要十分条件。それがないのであれば、ここで挫折決定。さらば、専門医。20年間ありがとう。










