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今はなき寝台夜行列車の旅《1》《名古屋から中津へ》

本来ならば気候も良く旅行シーズン真っ只中ですが、世間の情勢は甘くないようです。
小学生の頃、東京にいる従兄弟たちが夏休みになると母方の実家である伊賀に遊びに来ていました。当時新幹線もなく東京に帰るときは関西本線から東海道本線を走る「大和」という急行列車がありました。伊賀上野の駅を夜10時頃出発し翌朝7時前に東京駅に到着する列車で、伊賀上野の駅のある関西本線は蒸気機関車(D51)が引っ張っていました。その頃から夜通し走る列車に非常に興味を持っていました。
大学の卒業試験で及第出来ず卒業延期になった同級生が、発表があった翌日大阪駅から北海道への感傷旅行を見送ったのが夜行寝台「日本海」でした。長年抱いていた夢でもある寝台列車の旅が20年前の夏休みに実現しました。

機会があればと思い続けていましたが、平成14年の夏、夜行寝台特急「富士」が夢を叶えてくれました。東京駅を夕方出発し名古屋駅には午後9時過ぎに到着します。名古屋駅から大分県の中津駅まで乗車しました。東日本と西日本では電流の周波数が異なります。また、本州と九州では電圧だけでなく直流・交流の違いもあります。関門トンネルを通過する時は、本州側の下関駅でトンネル用の機関車に変え、九州側の門司駅では九州用の機関車に替えるという作業をしていました。

その時の旅の目的は、夜行寝台に乗ること以外にもう一つありました。子供の頃読んだ菊池寛著の「恩讐の彼方に」の主人公である禅海和尚が開削した青の洞門を見たかったからでした。早朝中津駅に着きました。

コツコツと独りで掘り始めました。住民たちの手助けもありましたが、21年の歳月を経て開通しました。その後も幾たびかの改修、拡張工事と手を加えられ自動車が通行できるようになりましたが、明かり取りの窓に完成当初のノミ跡が残っています。

この小説は、書体も古く難解な漢字が多く、短編の割に最後まで読むのに多少時間が必要ですが、読んだ後に残る胸の中の熱い思いは忘れる事ができないと思います。時間を見つけてぜひご一読いただければと思います。こうして現在まで洞門を始め耶馬溪の景色が残っているのは、中津出身の明治維新の教育者福沢諭吉がこの景観保護のために尽力を尽くしたとのことです。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/496_19866.html

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