コロナ禍で出会った英雄譚――『ポロス(Porus)~古代インド英雄伝~』
コロナ禍という世界が一斉に立ち止まった時間があった。人と人との距離が物理的にも心理的にも引き離され、日常が非日常へと反転したあの時代。
コロナウイルスという社会分断ウイルスに悩まされた。
医療現場に身を置く者として、私は「不確実性」と正面から向き合う日々を過ごしていた。正解のない判断、限られた情報、そして人の生と死。
過酷さは極まりなかった。医師会に投稿する原稿を半年先まで書き置き(事前投稿し)、死を覚悟しつつ、コロナ最前線に立ち向かった。なぜか、うまくいくような気もしていたが・・・。根拠はなかった。神頼みだった。
その合間に、私は一つの歴史ドラマを繰り返し観ていた。インド発の大河ドラマ『ポロス(Porus)~古代インド英雄伝~』である。
今、ふと思い出す。ああ、懐かしい。あの日々。そして、はっきりと言える。悔いはない。全く悔いはない。
本作は、古代インド西北部に実在した王・ポロス(プール)とマケドニア王アレクサンダー大王の対峙を軸に描かれる全299話の長編叙事詩である。単なる戦争ドラマではない。「侵略とは何か」「支配とは何か」、そして「人はどこまで合理的で、どこから非合理なのか」を問い続ける物語だ。
物語前半では、若きポロスの出生と成長が丁寧に描かれる。母の知恵、師の教え、民への共感。王とは、生まれつき完成された存在ではなく、経験と葛藤の中で形成されていく存在であることを示していた。
その描写は、医師の育成過程ともどこか重なる。白衣を着た瞬間に医師になるわけではなく、失敗や迷いを経てようやく「責任を引き受ける存在」になっていくのだ。
一方、アレクサンダーの姿は対照的である。天才的な軍事的合理性、圧倒的な決断力。しかし同時に、征服をやめられない強迫性にも似た衝動を抱えている。
医師の目からすると、彼は常に「成功体験に縛られた存在」にも映る。勝てば勝つほど、引き返す選択肢を失っていく――それは現代医療における過剰介入の構造ともどこか似ている。
やがて、ヒュダスペス川を挟んで両者は対峙する。象兵を擁するインド軍と戦術で洗練されたマケドニア軍。
勝敗以上に胸を打つのは、戦後の場面である。敗北しながらも尊厳を失わないポロスと、勝利しながらも相手の王としての器を認めざるを得ないアレクサンダー。ここには、「勝ったか負けたか」では測れない人間の価値が描かれている。(https://www.youtube.com/watch?v=Z_BcfUdlGxI&list=PLnSGWGB1aj5l_3iiJBQb_xoVRWBv7hgcC)
コロナ禍にこの作品を観た意味は、今になって腑に落ちる。医学は万能ではない。治せない病も止められない流行もある。その現実を突きつけられた時代に、私はこのドラマから「限界を知ったうえで、なお尊厳を保つ姿」を学んでいたのかもしれない。アレクサンダーの東方遠征は、人類の進歩の象徴であると同時に暴走の物語でもある。ポロスは、敗北の中でさえ、人としての尊厳を守り抜いた王として描かれる。
あの日々、私はこの長大な物語を淡々と観続けた。焦りもなく、後悔もなく。世界が止まった時間の中で、古代の王たちは今を生きる私たちに静かに問いかけていた。
今、改めて思う。あの時間は決して無駄ではなかった。悔いはない。全く悔いはない。静かな時代に観た、激動の英雄譚。
『ポロス』は、私にとって医師としての原点を見つめ直す時間でもあった。










