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昭和16年夏の敗戦

 猪瀬直樹(元東京都知事)が作家時代に詳細に調査・執筆したノンフィクション作品。太平洋戦争(いわゆる日米決戦)開戦直前に、日本の「総力戦研究所」で行われたシミュレーション(机上演習)が中心的に扱われている。

総力戦研究所による日米決戦シミュレーション:
 総力戦研究所は、1940年(昭和15年)に当時の内閣総理大臣直轄の機関として創設され、各省庁や民間の若手エリートが研究員として集められた。彼らは「模擬内閣」を組織し、日米開戦シナリオを徹底的にシミュレーション。軍事、経済、資源、外交など多面的な観点から、戦争が勃発した場合の日本の国力・持続力を分析。

シミュレーションの結論:
 シミュレーションの結論は「日本は勝てない」というもの。開戦直後は奇襲によってある程度の戦果が期待できるものの、物量や資源、特に石油などの戦略物資で圧倒的に劣る日本は、戦争が長期化すれば確実に敗北するという見通し。

 研究員たちは、石油の備蓄量や物流、戦時下の経済運営なども細かく分析。しかし、当時の政府・軍部内ですら石油の統合的な備蓄量把握ができていなかったことも判明。東南アジアから石油を運んでも本土に安定供給は極めて困難という見込み。

結果の扱いと意思決定:
 このシミュレーション結果は昭和16年8月に内閣や軍部上層部にも報告され、首相近衛文麿や陸相東條英機も内容を把握していたとされる。ただし、「机上の空論」として十分に活用されず(空論ゆえに、都合よく解釈されていったため)、日本は結局、アメリカとの開戦に突き進んだ。

 実際の展開はシミュレーション通り、開戦初期で日本が善戦するものの、資源枯渇で戦局悪化。最終的に無条件降伏という結果に至った。

研究の意義:
 猪瀬氏は、このシミュレーションが敗戦を「最初から分かっていた」画期的な事例であり、合理的な予見と現実の意思決定の乖離を通じて、日本型組織や歴史の教訓を描き出した。開戦前にすでに「日本必敗」という合理的シミュレーション結果が政府に上がっていた。シミュレーションは軍事だけでなく、国力・産業・資源・経済の総合分析。結果は政治的・組織的な理由で十分活用されなかった。現代の意思決定や組織のあり方への教訓としても重要視される研究。

 最後に、敗戦後の日本をどのように生きていくかを事前にシミュレーションしていた日本人もかなりいたという。孫子、諸葛孔明や黒田官兵衛(黒田如水)なら、どのように判断したのであろうか?

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