医療法人社団 山中胃腸科病院

ブログ 2022/10/8 号外

 終末期ケア上級専門士の一次試験が終了しました。過去問のない試験でしたので、試験対策が困難でした。テキスト熟読だけで勝負せざるを得ませんでした。結果は以下の通りです。二次試験へいざ出陣。

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 二次試験は作文を選択しましたので、次のような題目で書き連ねました。

専門職として学び続ける意義について
 ~がん緩和ケアの経験を通して~

 生きている以上、学びに終わりはない。研修医時代(平成8年頃)より緩和ケアの重要性を痛感している。大学の講義に緩和ケアはなく、麻薬の系統的勉強もしていなかった。医療現場の専門分化が進むなか、卒後研修でも緩和ケアを学ぶ機会は少なかった。インターネットも黎明期であり、情報収集はおおむね書籍であった。受け持ち患者に対して、未熟な経験を申し訳なく思った。同じ頃、医療用麻薬(オピオイド)を知った。患者サイドに偏見が根強く、使いにくい時代であった。当時、日本の麻薬使用量は先進国内で明らかに少なかった。徐々に知識を獲得し、WHO除痛ラダーを知った。患者ががんの痛みから解放され、生活の質を向上させて平常通りの生活を送れるように、医療用麻薬を早期から積極的に使用する必要があると推奨された。そしてある機会に、上司に「患者の疼痛を皆無にせよ」と指示された。ところが、皆無にできず反省と試行錯誤の毎日が続いていた。がん性疼痛は予想をはるかに超えて、強敵に思えた。
 その後、インターネットが普及した。視野を広げるべく、日本緩和医療学会員やホスピス財団会員となり、緩和ケア医療を展開してきた。インターネットでひたすら情報を収集し、前向きに実践していった。学びの喜び(内的動機付け)から積極的に緩和ケア患者を受け持ち、経験を積み重ねた。平成31年頃、緩和ケア研修会(PEACEプロジェクト)を受け、ようやく念願の修了証書を獲得した。そこで、地域医療を担う小生が専門職として緩和ケアにどのように貢献出来るかと模索していた矢先、日本終末期ケア協会(JTCA)を知った。
 同じ頃、緩和ケアを必要とした実父を看取る機会を得た。77歳時、進行前立腺がんが判明。根治不能でホルモン療法のみ継続された。全身転移もあり、特に骨痛が厳しかった。麻薬(モルヒネ・フェンタニル)の効果が不十分で、苦痛が続いていた。最終的に鎮静することで苦痛を辛うじて軽減した。闘病した実父(享年78歳)に満点の看取りを捧げることができなかったことを悔いた。その直後、オピオイド製剤メサドンを知った。頑固ながん性疼痛に有効で、危険な副作用もあり慎重投与が必要という。実父に使用できなかったが、処方登録医を取得した。医療を含めた科学技術の革新スピードは著しく速い。常に情報収集していないとすぐに遅れをとる。専門職として学び続ける意義を実感した。専門職のプライドにかけて、患者の情報収集能力に負けるわけにはいかない。
 令和2年、過去の不勉強を猛省して終末期ケア専門士試験に向けて勉強を開始した。まだまだ知識が欠けていることに気付いて焦りを感じた。がん領域(基礎から応用まで、抗がん剤治療から緩和医療まで)は果てしなく広いことに驚愕した。現場対応力を重視する小生は、このまま知らずに天寿を全うしてしまうのは耐え難く、山積した課題にやっと気付いた。一般に、登山家は「そこに(高い)山があるから」登るというが、その高さは変わらない。一方、医療の専門職として、「そこに(医学を含めた科学という)対象があるから」興味を持って学問するが、(山と異なり)その対象は進歩するし進化する。山に例えればどんどん高くなっていくことになる。別の表現をすれば、最終学歴的な発想では足りず、最新学習歴的な発想をしてそれらをどんどん更新していくことに真の価値(学びの本質)があるように思う。
 最後に、IT社会。いつでもどこでもだれでも学べる。専門職として、半永久的に学ぶ覚悟が必要である。そして、学ぶ機会を作る行動を起こさなければならない。積極的に実践に参加する前向きの気持を養わなければならない。実践こそ経験値を高め、学びを極めさせてくれる。

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 二次試験に合格すれば、終末期ケア上級専門士になれるそうです。医療以外の知識も重要視されています。
 小生は、終末期ケアを終活ケアとして明るい未来を意識した医療介護を提供できればいいと思っています。

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