医療法人社団 山中胃腸科病院【公式ホームページ】

齋藤先生のブログ

2023/11/22
2023/11/22 ブログ

あえて言おう「2年目の正直」
 一般に言う、「三度目の正直」でない。

ここで一句。

挫折後の 
ふいと出会い妃 
再起させ

小生、挫折後に出会った女性が再起させたという経験が多かった。
 回復過程において、実力以上の実力を発揮させてくれた。これは、まぎれもない人生の奇跡だろう。独学ピアノ伴奏もしかり。「2年目の正直」だ。
挫折後に、適応障害を発症していた。経験的に、「適応障害の回復には2年という月日がかかる」と考えている。
この回復期は貴重で有意義であろう。しかし、この時期に無理は禁物。なぜなら、失敗が案外目立つ。「慎重かつ丁寧に」を心がけるべし。不完全な時期。

2023/11/21
病院の裏事情

以下のニュースが報道された。

・・・三重県の志摩市民病院の江角悠太病院長がパワーハラスメントを行ったとして、停職1か月の懲戒処分を受けました。志摩市によりますと、江角病院長は2019年、当時の事務長に対して「あほか、お前は」「ばかなのかお前は大丈夫か」などの暴言を放ったほか、人格を否定するような発言でパワーハラスメントを行ったということです。去年5月に元事務長が市に相談して調査が行われ、江角病院長は市の聞き取りに「指導の一環でハラスメントの認識はなかった」と話したということです。志摩市の橋爪政吉市長は「志摩市民病院の管理職によるハラスメント行為により、市民の皆様の信頼を損ねたことを深くお詫び申し上げます」などとコメントしています。

小生のコメント

・・・かつて、困難な状況を乗り切った江角先生に敬意を表します。

・・・現況において、暴言はよくないとされていますが、人間ですから。

・・・最高責任者である以上、心中穏やかでないこともあるでしょう。理解できます。

・・・作為(暴言)と不作為(無視)のバランス。難しいですよ。小生は適応障害という持病がありますので、そもそも無理です。

・・・しかし、「沈黙は金、雄弁は銀」という格言があり、さらに難しいですよ。

・・・医療バカ(患者本位)だけでは通用しない社会なんでしょう。その典型例(失敗例)がまさしく小生です。

2023/11/20
コロナ禍を振り返る①

 まず、2類感染症相当から5類感染症に移行して、半年以上が過ぎた。

 ブラインドパンデミック第9波は落ち着いたようであるが、まだまだ油断はできない。

 年末年始の大移動で流行する可能性はある。

 第10波の予兆はすでに感じている。

 個人の責任で適切に行動して頂きたい。

 次に、尾身 茂(著)の「1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録」を読んで感じたこと。
 1年を365日とすると、365日×3年=1095日。3年強の葛藤である。この間、100強の提言を発信。単純計算して、10日に1回程度の提言である。

 風変りの経歴の持ち主、尾身氏。WHOで20年間の勤務歴あり。国民の前に突然現れた。新型コロナウイルス対策において、政府と対峙した英雄。

2023/11/19
東海道散策「采女の一里塚跡」

 日本橋から101番目の一里塚という。

 国道1号線沿いにある「史跡:采女一里塚跡」。

 昭和62年、国道1号線の拡張工事で姿を消した采女一里塚を後世に残すため、地元の取り組みに賛同した地元の企業が協力して敷地と費用を提供した。
 めでたく、現在のところに石碑が建てられている。実際は反対側にあった。

2023/11/18
安濃ダム

昭和56年10月、ダム本体工事着工。

昭和60年5月、コンクリート打設完了。

2級河川安濃川の上流、芸濃町河内地内に建設された重力式コンクリートダム。

中勢地域に広がる農地約3200haへ安定的かつ効率的な用水供給の水源として重要な役割を果たす。

ここにも季節の移り変わりを堪能できる観光スポットがある。

自然に感謝 m(__)m

2023/11/17
藤堂高虎(1556〜1630)と伊賀上野城

 慶長13年(西暦1608年)、徳川家康は、伊予の国(現在の愛媛県)宇和島城主であった藤堂高虎に、伊賀の国10万石、伊勢の内10万石および伊予の内2万石(合わせて22万石)を与え、国替えさせた。

 家康の信任が厚い高虎。築城の名手であり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための築城という。

 慶長16年(1611年)、本丸を西に拡張して、高さ約30メートルの高石垣をめぐらして南を大手とした。ところが、五層の天守閣は建設中の慶長17年(1612年)、大暴風(台風)で倒壊したが、外郭には10棟の櫓(二重櫓2棟、一重櫓8棟)と長さ21間(約40メートル)の巨大な渡櫓をのせた東西の両大手門や御殿などが建設された。

 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、翌1615年の夏の陣で豊臣方が敗れた後、幕府は城普請を禁じたため、天守閣が再建されない状態に。それでも伊賀国の城として認められ、城代家老が藩政を行った。幕末まで国替えなく、この地を治めた。

2023/11/16
トリーチャー・コリンズ症候群

 5万人に1人の割合で発生する先天性疾患。胎生期に顎骨や頰骨の一部欠損や形成不全が生じる。生後、顔の下半分が小さいまま成長するため気道が狭くなり、口呼吸になりやすく、乳幼児には突然の呼吸停止のおそれがある。耳朶や耳道がないため聴覚障害を伴う場合もあり、骨伝導補聴器が不可欠である。呼吸や嚙み合わせなどの機能改善目的に、成長に合わせて骨移植するなどの形成外科手術を繰り返していく。

 最近、四日市医師会の先生より、三重県四日市市出身の山川記代香さん(29)が発刊した「大丈夫、私を生きる。」(集英社)をプレゼントされた。早速、読破した。一読の価値は十分あった。

 山川さんが自身の経験を振り返り、まとめた自伝である。幼少期から大学生まで、夏休みなどのたびに手術を受けた。ほとんど頰骨がない小さな顔に合うマスクは、不運にも少ない。ひもを掛ける耳朶がなく、そのために手術で形成した。耳穴は生まれつきなく、カチューシャ型の骨伝導補聴器を使っている。「病気を知ってもらえたら生きやすくなる。そして、他の人たちと同じように悩みを持つ一人だと伝えていけたら」と語る。

 学生生活では、好奇の視線を常に意識させられてきた。それでも、病気を知ってもらおうと活動を繰り返した。強い意志を保ちつつ、大学生となり、やがて見事に社会人となった。ただ、社会人生活の初期が大変だったようだ。しかし、皆さんの温かい励ましで立ち直り、障がいを克服して今を生きている。

 今は愛知県内で働いているそうだ。実家の周り以外ではマスクをつけて顔を隠す生活をしている。「コロナ禍でマスクが当たり前になったのはありがたかった。それまでは人に会う時、外すタイミングに戸惑っていた」とも語る。

 ちなみに、アマゾンで「ワンダー 君は太陽」もこの機会に鑑賞した。トリーチャー・コリンズ症候群を知る上で欠かせない映画である。

2023/11/15
2023/11/15 ブログ

前回の続きである。古都金沢。
 昔話も伝言ゲームと同じように、言い伝えなので若干ずれることもある。

金沢の地名の伝説「芋掘り藤五郎」
 兼六園の横にある金沢神社の傍に「金城霊沢」という泉がある。この泉には「芋掘り藤五郎譚」という、金沢の地名の由来となった民話が伝わっている。無欲な藤五郎と賢く美しい和子の話は、金沢では知らない人がいないくらい親まれている。
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 昔々、今から1000年ぐらい前、加賀の山科(現在の金沢市郊外)という所に、山芋(自然薯)を掘って暮らす藤五郎という、貧しいけれど無欲で礼儀正しい若者がいた。
ある日、藤五郎のもとに大和の国から生玉方信(いくたまほうしん)という信心深い長者がある娘を連れて訪れた。夢で観音様のお告げがあったので、その和子(わご)という美しい娘を嫁にしてほしいと言った。藤五郎は断りましたが、長者はきかず、娘をおいて帰ってしまいました。
和子はたくさんの持参金を持って嫁いで来たが、藤五郎が貧しい人たちに分け与えてしまったので、すっかり無くなってしまった。生活があまりに貧しいので、和子は最初とまどったが、そのうち貧乏にも慣れ、藤五郎と仲むつまじく暮らしていた。
そんなある日、娘夫婦の貧乏を見かねた大和の実家から、砂金の入った袋を送ってきた。和子は大喜びで藤五郎に袋を渡し、さっそく食べ物や着物の買い物を頼んだ。
ところが、買い物に行く途中、藤五郎は通りかかった田んぼに雁の群れを見つけた。獲ろうとしたが、あいにく投げる石が見あたらず、そこに持っていた砂金の袋を投げつけた。雁は獲れず、投げた砂金袋もどこへいったかわからなくなった。仕方なく、藤五郎は手ぶらで帰ってきた。わけを聞いた和子は驚き、「あれだけのお金を、いくらなんでももったいない・・・。」と、和子は夫の人の良さにあまりにも情けなくなって怒り出した。藤五郎には、なんで和子が怒るのかわからなかった。「あんなもの、芋を掘るといっぱい付いてくるがな。」と平気な顔をして言い返した。
和子は半信半疑ながら藤五郎といっしょに山へ行き、二人で芋を掘った。そして、掘った芋を近くの泉で洗ってみた。すると、きれいな水の中に金色のつぶつぶがキラキラといっぱい光っていた。和子は藤五郎にそれが砂金であることを教えた。
藤五郎と和子は、たちまち大金持ちになった。しかし、二人は決してひとり占めにはせず、貧しい人たちに分け与えたため、暮らしは少しも変わらなかった。それでも二人は十分に幸せで、人々からは「芋掘り長者」と呼ばれて敬われた。
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感想
 金より名人芸。名声より実績。むしろ、自己満足かな。なかなか真似できないことである。人はそもそも欲深いからなあ。

2023/11/14
鈴鹿の大楠

鈴鹿市南長太町に自生する楠木。
樹高約23m、樹齢1000年超という。

かつて、楠の木そのものが神社であったようである。
1963(昭和38)年1月11日に県の天然記念物に指定された。
2012年には三重県下では初となる景観重要樹木に指定された。

周囲が広大な田園で囲まれ、見通しよく、近鉄名古屋線の車窓からも遠望できる。
子供の頃、よく見たものだ。その向こうには、今は無き中勢病院も見えた。

2023/11/13
横浜からみた富士。2023年秋。

横浜滞在期間は3年半。

4人家族でゆっくり眺められなかった富士山。

福井に帰省した際、新幹線からみんなで眺めた記憶はあるが・・・。

いつか行こう横浜へ。漲るパワーで駆け巡っていた30歳代。

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