「汽車で逢つた女」室生犀星(青空文庫)
室生犀星(むろうさいせい、1889~1962年)は、日本の詩人・小説家。石川県金沢市出身。本名は室生照道(むろうてるみち)。生後すぐ養子に出され、室生姓を名乗った。生母の消息は最期まで判明せず、養育料で享楽するような養母のもとで貰い子たちと共同生活を送った。高等小学校を中途退学させられ、金沢地方裁判所に給仕として勤めさせられた。この頃より文学に関心を抱き、やがて上京する。しかし、生活は苦しく故郷に戻るが、出生や学歴などの理由で失恋した。東京と金沢を行ったり来たりする生活だった。「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの。」と心の内を詠んだ。
1915年、詩誌「感情」を創刊。1918年、「愛の詩集」と「抒情小曲集」を刊行。1919年に小説「幼年時代」と「性に眼覚める頃」を、1934年に「あにいもうと」を、1956年に「杏っ子」を発表。小説家の道を歩んでいった。
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「汽車で逢つた女」
服役3年。刑務所から出所直後の男性(打木田)が、汽車で出会った女性(戸越まさ子)に心を寄せ、後日、まさ子の職場に会いに行く話である。そして、まさ子が娼婦であることを知るが、打木田は自分が出獄人であることを告白し、まじめに求婚するのである。まさ子は、生きる喜びを湧かせてくれた女性だからである。
(そのまま引用)・・・おれはね、これから稼いできみを女房にしたいのだが、きみは女房になつてくれるかどうかといつた。あまり突然なしかも誰も申し出たことのないやうな言葉を、女はふしぎさうにこの男は少々どうかしてゐるのではないか、こんな境遇にゐる者を女房にする相談なぞ、しかけて來る者が今までになかつたのだ、この男はよほどおめでたく出來てゐるのか、うぶなところがあるのか、鳥渡見當がつきかねた。しかし惡い人間でないことは例のぽかんとしてゐる眼付にも、金拂ひでも、からだを愛撫するにも、すみずみまで齒がゆさうにする、あどけなさがあつた。どこかに一生懸命に今夜だけでも寢ようとする、ほかの客に見られないものを見せてゐて、しかも、お腹をなでるのにも、唇を吸ふのにも、いちいち、きすをしてもよいか、氣もちがわるければやめるよ、と、許しを乞うてゐるのは稀らしい客の風情であつた。・・・
元の飾り職に戻る決心をした打木田は、金を工面して二人で生活していこうと準備を始めていたが、前途多難の模様であった。
この作品は「大人のおとぎ話」として知られている。出所直後の罪人でありながら、純粋な心を併せ持つ打木田。
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さて、小生は出所直後の男性に出会ったことがある。あれは確か、大学受験生(浪人生)の頃。実家近くの公園で運動不足解消のために体操やジョギングをしていた時、バッグを持った中年の男性がベンチに座っていた。その男性から、「今、何時ですか?」と声をかけられた。小生は時間を答えた。この会話をきっかけに、しばらく話すことになった。
「先程、寿司屋に就職願いをしてきたが、あっさり断られた。」と。出所直後であることも告白し、強姦して逮捕されたという一連のいきさつも独白した。こちらも、浪人生であることを白状して頑張ることを誓って、お別れした。